落語「今戸焼」に登場する「今戸の福助」はこういうタイプではないか?と思われる今戸の土人形の画像です。都内の近世遺跡からも様々な型のものが出土していますが、変わり型は別として、「叶福助」と画像のような「夫婦」の2タイプが代表的なのではないかと思います。
もちろん「夫婦」タイプでも頭が極端に大きなものや持ち物の異なるもの、大小などの違いがあり、木地を作る人と絵付けする人も様々あったようで配色も微妙に違っています。
浅草橋にある江戸時代から人形問屋である吉徳さんには天保年間の人形玩具の配色手本が残されており、こうした「夫婦」の配色も描かれています。それによれば、福助の裃はべんがらに砂子をちらし、着物は群青。お福の打掛を群青に着物を鉛丹か朱、角隠しは鉛丹か朱を胡粉で薄めた桃色などの指定があり、今戸焼屋さんから木地を仕入れた問屋さんが手本をもとに別の人に絵付けを任せていたことが想像できます。
画像の人形は朱色部分が洋紅のような新しい顔料になっていますが、配色としては、手本のものとほぼ同じだと思います。
同じような型の人形でも大小色々なものや、配色の違うものがあり、色を変えることによって売れ行きを考えていたのではないかとも考えられないでしょうか?
ちなみに真ん中の列の右端の福助さんは、「福助足袋」商標のお辞儀の福助さんに一歩近づいたような前かがみ、頭が更に大きくなったようなモデリングですが、造りをみると今戸焼です。
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以前、落語「今戸の狐」について採り上げましたが、もうひとつの演目である「今戸焼」についても触れてみたいと思います。
落語そのものについては、ただ笑って聴いているだけの私ですので、うんちくを披露するだけの知識もありません。話に登場する言葉の端だけについてだけ触れます。
この演目は八代目三笑亭可楽師匠所演のCDを聞いたのみですが、さらさらと実に淡々と噺されていますね。
タイトルの「今戸焼」は噺のサゲの「今戸焼の福助」に由来するばかりなのですが、そのひとことで通用するだけ、今戸の福助というものが聴き手に周知されていたのですね。それだけ身近なものとして知られていたのでしょう。
「役者の福助」は成駒屋・中村歌右衛門家の大切な名跡である「中村福助」です。歌右衛門家では福助の名跡を空けてはいけない、と言われているそうなので、5代目歌右衛門(4代目福助として明治の劇界で絶大な人気を得た)以来常に名跡を継いでいる人があったようです。 歌右衛門家では児太郎→福助→芝翫→歌右衛門という順繰りに襲名していきます。では噺に登場するのはどの福助さんか?
この噺には「吉右衛門」と「宗十郎」という名前も出てきます。播磨屋・初代中村吉右衛門と紀伊国屋・沢村宗十郎です。吉右衛門は六代目尾上菊五郎とともに下谷二長町の市村座で人気をあげた人なので時代は大正以降です。この時代の沢村宗十郎は帝国劇場の専属として売っていた7代目と考えられます。この人は今戸にあった料亭「有明楼」を経営していたことでも知られています。この七代目宗十郎が亡くなるのは昭和24年なので、大正~昭和24年の間の中村福助さん。2人います。
先年お亡くなりになられた6代目中村歌右衛門さんも昭和8年に福助を襲名されていますが、まだ年少でした。そのお兄さんの「慶ちゃん福助」と呼ばれて美貌で人気のあった5代目中村福助(本名を慶次郎といった)こそが、この噺に出てくる「役者の福助」でしょう。現在の中村芝翫さんのお父上です。
今戸焼の土人形の福助ですが、いろいろな種類がありました。「叶福助」という人形もあったのですが、一番ポピュラーだったのではないかと思われるのが、画像のようなお福さんと夫婦の福助さんです。長年神棚にお祀りされていたのでしょう。煤けて色や絵付けがわかりません。この夫婦のタイプは両手を膝に置いたポーズのものもあります。画像の福助さんは扇、お福さんは宝珠を手にしています。
落語の「今戸焼」はYouTubeに八代目三笑亭可楽師匠所演の映像があります。まだご覧になられていない方はどうぞ。
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