この紅丑は最後の生粋の今戸人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)によるものです。画像の黒塗りと一緒に金塗りのも作られたようです。
但し、そんなにたくさん作られなかったのかあまり観たことがありません。大抵鈴木たつの牛のほうが圧倒的に多く残っているという印象があります。
はっきりとはわかりませんが、春吉翁の場合は復古作としてごく一部の趣味家向けに作られたということなのか?
型は鈴木型よりもいくぶん大きく、肉付きがよい感じです。口もとに水色を置いているのも異なります。この型と同じで古そうなものや色のとれてしまったものは観たことがないので、鈴木たつの紅丑のように、小間物屋の配りものとして大量に作られていたものではないのではないか?、、そのように思っているのですが実際どうだったのでしょう。
今戸焼には他に鬼門除けの臥牛を尾張屋さんが作っていたのと、古くは牛の午前(牛島神社)で授与していた牛(戦後の白井孝一家でお作りになられている新型とは異なる形のもの)があったようです。
私は反対に生身の牛さんに接する機会がありませんから、実際に体をくの字にさせているというのは実感としてありませんでした。北海道チーズとかバターとかの包装紙の牧場の景色以上のイメージがないもので、、。行ってみたいですね。北海道。