浅草被官さまの鉄砲狐をとりあえず一回目のお納めを済ませ、やはり同じく初午前に王子の装束稲荷神社向けの「招き狐」を暮れに頼まれていたのを急いで塗って納めなければなりません。古典落語には「王子の狐」という演目もあり、人が狐を化かし返すといった筋なのですが、舞台となった王子は昔から飛鳥山と音無川(石神井川)を名所として花見や紅葉狩りで江戸近郊の行楽地として賑わったところ。また王子稲荷神社は関八州の稲荷の総元締めとして知られ、毎年大晦日には関八州の狐が王子稲荷を詣でるため、近くの榎の古木に集って装束を改めたところから、榎のあった場所が「装束稲荷神社」として今日まで伝わっています。JR線を挟んで関東ローム層の上にある「王子稲荷神社」と下の「装束稲荷神社」とがあります。
近年大晦日の新たな年中行事として定着している「狐の行列」がはじまってから、装束稲荷神社の奉賛会の方から赤羽にいらっしゃた北区の歴史文化にお詳しい方を通して、「狐の行列」に因んだ土人形を作れないか、、というお話があり、画像のような招きの狐をお納めするようになったのがはじめで、この型を装束稲荷さま向けとして作るようになりました。とはいっても完全な創作ではなくて、若い頃一時期東京の郷土玩具の愛好会であった「竹とんぼの会」の例会で中古として出ていた狐があり、詳しいことはわからないものの「今戸」であるという話も聞いていて、デザインとしては面白いと思っていたのでそれを手本にアレンジしたものです。
お手本となった狐の土人形は2つか3つ手に入れる機会があって、あるものは前面の尻尾ともども「前後の2枚型」から抜き出したものと、本体のみ「前後の2枚型」で抜き出して、尻尾のみ手捻りで貼り付けたタイプと両方あって、その後者を手本としました。彩色については赤部分を赤の絵の具で置いてあったのが中古の手本でしたが、古い人形の彩色パターンとして下地に黄色を置いて、その上から透明感のある赤の染料を置くほうが色の深みがあると思って、現在のような彩色にしました。
王子の初午、二の午は「火伏せの凧市」や「暫狐」をはじめとする「紙からくり」が有名になっており、「王子稲荷」でも「装束稲荷」でも凧の授与が有名ですが、過去には王子で土の狐が並んでいたという事実もあり、今戸の狐やその傍系らしき狐があったことも確かです。しかし大正から昭和にかけて瀬戸物の硬い磁器製の狐が関東にも流入されることで今戸焼の狐は淘汰されてしまいました。磁器製だと雨風にも丈夫で長持ちするという理由からでしょう。
かつて王子にあった今戸傍系らしき土の狐もいつかは手がけてみたいと思います。
余談ですが、王子の名物玩具の話ばかりになりましたが、昔の王子の特産品としてお茶とか里芋とかやつがしらが名物だったらしいです。
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