今戸焼の中でも土人形、今戸人形へ関心のある私ですが、母胎である今戸焼というブランド名の定義は曖昧で、どれが今戸焼でどれがそうでないか、ということについては?が多いのです。
落語や文芸などに表れている名称から、こういうものがあった、というイメージはあるのですが、、、。どちらかといえば荒物屋などで扱う日常雑器類というイメージで、もちろん落款だの窯印だのがない製品がほとんどでしょう。どちらかというと「今戸焼」といえば、身近すぎて、安価なもの、という感じが一般的ではないでしょうか?
中には、茶道具など幾分高級志向のものに、窯印のあるものも存在はします。しかし製品そのものに「今戸焼」という窯印をつけるようになるのは、懐古調なブランド名として、日常生活から離れてしまった頃からではないでしょうか?
私は学者でも研究者でもありませんから、間違いなどあれば、ご存じの方にお教えいただきたいのです。
画像は「猫こたつ」または「猫行火」。明治頃には今戸で作っていたといいます。画像のこたつが100パーセント今戸であるとは言い切れませんが、こうした感じのものはあったようです。外側の覆い部分の照りは、「黒みがき」といって、素焼きした生地を那智石(あるいは鴨川石)と灯明油によって磨きあげ、黒鉛を塗って再度焼いて仕上げた、と聞いています。また、中の手あぶりは焼成中に炉内に松の枝を入れ、密封すると燻されて瓦質になるとか聞きました。画像のものには燻された素地に銀色の吹き付けのような柄がありますが、これも一般的な今戸焼の仕上げだったのかどうか?今戸や葛飾近辺以外の関東近県でもこうしたものは作られていたかもしれず、画像のものは、あくまで、こういった感じのものも今戸にあったというレベルでしか把握できません。
十数年前、今戸にあった燃料屋さんのおじいさんに聞いた話ですが、大震災前は、上記のように松の枝を燻しに使うため、帆船で茨城県の岩井あたりから川伝いに運んできていた。といいます。
「黒みがき」「白みがき」という言葉は、白井本家である善次郎家の白井和夫さんから聞きました。聞いた話をしっかり理解できているか自信はないのですが、、。
昭和40年代のはじめ頃までは、遊んでいた町内の家々とか縁下でよく見かけたものですが、いつの間にか昔の道具となってしまった、という感じがします。猫こたつがごろごろしていた頃はまだ「今戸焼」という名前はどこのお年寄りにも通じていたのではないでしょうか?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます