東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

今戸焼?(44)「施釉の鳩笛」

2011-02-17 17:03:21 | 今戸焼(浅草 隅田川)

P1010053 今戸焼では素焼きの木地に泥絵具で彩色した鳩笛(従来の土人形と同じ彩色方法)の他に鉛の透明釉を施した鳩笛(箱庭細工やなめ人形と呼ばれるものに共通するし仕上げ)もかなりの量で作られていたようです。

都内の近世遺跡からかなりの量が出土しています。施釉のものだけでもさまざまな大きさ、プロポーションのものがみられます。

画像の鳩笛もまた、今戸焼のものだと考えています。但し、かねがね不思議に思うことがあるので記してみたいと思います。

画像のものと同様な造りの鳩笛について「仙台産」のものだと書かれた記述を目にしたことがあります。例えば昭和40~50年代でしょうか?東京の郷土玩具関係の会で発行された全国の鳩笛について特集された冊子に「仙台産であることがわかった、、、。」という記述があること。何だったか忘れてしまいましたが、近年関西の郷土玩具の研究家の方が「仙台の鳩笛」としていたこと(おそらくネットオークションの販売での表記)などです。

気になっていたので、これまで仙台在住の歴史や人形関係にお詳しい複数の方々にお訊ねしたところ、「このようなものが仙台で作られていたということを聞いたことがない。」というお答えでした。また、仙台市博物館の学芸の方、仙台市歴史民俗博物館の学芸の方に問い合わせてみても「そういう話や実物は記録されたり資料として収蔵されていない。」というお答え。また、念のため、仙台市近辺の近世遺跡からの出土例がないか仙台市役所の埋蔵文化財の係の方に問い合わせたところ「そういうものは確認されていない。」というお答えでした。

地元で作られていたとすれば何かしらの手がかりがありそうなものですが、肯定的な手がかりが全くないのが不思議です。反対に、私自身が観たことがある都内の近世遺跡からの出土品にほぼ同じものがあったり、関東近県から出てきた伝世品もあるので、今戸焼なのではという思いがより深まっています。

では、なぜ「仙台産」と考えられたのか?古い人形についてお詳しい方にもご意見をいただいたところ、昭和の戦前の頃までの収集家の記録にそのような記述があり、それが根拠となっていることも考えられるのでは、、?というお答えでした。昔のそうした記録は今から見るとアバウトな内容もままあって、例えば今戸の「招き猫のぴいぴい」が「宇都宮産」とされているのを目にしていますし、東北のこけしの産地なども入手地と混同されているケースも見受けられます。「仙台産の鳩笛」として紹介されている文献そのものについてはまだ目にしたことがないのであったら見てみたいと思っています。

昭和10年代、「鯛車」という郷土玩具の雑誌に最後の今戸人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)が座談会でお話になられたことが記録されています。その中で人形、玩具の彩色について

「、、、楽焼きの絵の具は鉛が入るので毒だと言はれて居ます、それについて斯う云ふ話があります、浅草仲町の大野と云ふ小児科醫が楽焼の鳩笛を毎日一つ宛子供に呉れて居た、其数は五百個だと云ふから一個二厘か二厘五毛程の安価な時代でも大した仕入れ値段です、それが絵の具が毒だとあって問題になり遂に禁止されました。」

浅草仲町というのは、現在の浅草1丁目の仲見世通りと寿司屋横丁に挟まれた辺りの地域のことです。話に出ている鳩笛が画像のようなものだったのではないかと考えています。

顔料による彩色の鳩笛についてはこちら(尾張屋春吉翁作)→


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2 コメント

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私にはよくわかりませんが、奇奇怪怪な話ですね。 (都月満夫)
2011-02-20 16:49:18
火のないところに煙が立ったのでしょうか・・・。
したっけ。
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都月さま (いまどき)
2011-02-20 18:24:08
コメントをありがとうございます。
私もものごとを言いきることはできませんが今戸焼で作られた製品の中には、画像とほぼ同じ仕上がりのものがよくあります。例えば「今戸焼43 梅鉢模様の小皿」などもそうですし、箱庭細工だとか「なめ人形」と呼ばれた施釉の人形などもそうです。仙台産の話については、何かしら根拠があるのだと思いますが、地元に何の手がかりがないというのは不思議だと思います。もしあれば、納得できますが。
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