yamanba's blog

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白菜1玉950円‼

2025-01-18 23:46:26 | 日記

物価高騰が止まらない。ガソリンに対する政府の補助金が16日から縮小されたため、ガソリン価格が急上昇。全国で一番高いのは長野県の190円(1月16日時点)らしいが、宮崎県も負けてない。西都市内のJAは1リットル187円(1月18日現在)。前日より5円上昇している。このままいくと来週あたり190円になるかもしれない。これで驚いてはいけない。今月7日、急遽、山口へ向かう際、ガソリンが入っていなかったので仕方なく、東九州道川南PAで入れることにしたのだが、なんと204円。目を疑った。おそらく今は210円くらいになっているのではないだろうか。明日は山口へ移動するので、事前(15日)に安いところで入れておいたが、それでも177円。毎月2~3回、山口と宮崎を往復しているのでガソリン代の高騰は辛い。なるべく高速割引のある土日に移動するようにしているのだが。(どうにかならないものか)

ガソリン価格もさることながら、野菜の高騰も半端ない。ガソリン値上げ前(15日)、JAの白菜1玉が680円(734円税込)だったのを見て驚いた。が、それで終わりではなかった。翌日(16日)見ると、なんと1玉880円(950円税込)になっていた。1日で200円の値上げとか、狂気の沙汰。原因は夏秋期の高温や12月の低温等の影響だと言われているが、ガソリン値上げも影響しているのだろう。このタイミングで補助金を縮小するとは。すでに決定していたこととはいえ、国民の生活をどう考えているのか。(怒)

寒い季節、白菜は欠かせない。白菜や大根など冬野菜は山口のほうが断然安いので、山口で買っておいたが、ストックもなくなったので、今日、綾町にある『綾手づくりほんものセンター』へ買い出しに行った。ここは野菜や果物、お菓子にパン類、お豆腐や肉など質の良いものが安く手に入る。白菜は平常より少し高めだったけど、1玉250円(税込み)は許容範囲。大根も100円~150円と安い。しかも大きい。今夜はうちの山で採れた椎茸と柚子を添えて地鶏鍋にした。

ちなみに、昨年10月、一足先に宮崎入りした相方が、山の麓の畑で白菜や大根を植えて育てているが成長が悪い。本来ならば今頃ぶりぶりした白菜が採れないといけないのだけど、、異常気象はかなり深刻なレベルになっているのではないだろうか。

 

 

な、なんと1玉950円😲

 

 前日は734円だった、、

 

 

 

山のめぐみ😊

今年は椎茸も成長が遅かったけど、ようやく大きくなった

 

 

こちらは12月18日撮影したもの、まだ小ぶり

 

 

《関連記事》

政府 ガソリン補助金縮小 1月中にも185円程度まで上昇の見込み(NHKニュース 2025.1.16)

 

《参考資料》

農林水産省。野菜の生育状況及び価格見通し(令和7年1月)について

 

 

※日向灘地震について書こうと思いましたが、時間的余裕がないので次回にします。あしからず。

 

 


2025年の幕開け~宮崎三社参り

2025-01-17 14:14:04 | 日記

2025年の幕開、いろいろとアクシデントが続いている。昨年末、母が利用する施設でコロナクラスターが発生(母は感染しなかったが)、しばらく施設の利用ができず年明けまで自宅介護が続いた。同時に、姉も持病の膀胱尿管逆流症が再発し入院した。再発は2度目となる。そのため膀胱尿管逆流症手術(デフラックス注入)はもう無理だろうと主治医から言われ、膀胱留置カテーテル(バルーン)を挿入ことになった。先週(9日)、無事退院することができたが、入退院の繰り返しで体力の衰えがひどく、要介護5の状態で施設に戻った。

その数日前(6日)、施設に預けていた母がインフルエンザに感染。宮崎へ戻ったばかりのところに、施設から病院へ連れて行ってほしいと連絡があった(ショートスティの場合、原則家族が付き添うことになっている)が、宮崎からだと急いでも夜になるので、受診付添いサービス付き介護タクシーへ依頼したところ、快く引き受けて下さり母をかかりつけ医へ。結果はインフルA型だった。翌朝、急いで山口へ向かい、1週間自宅で隔離。体調が回復したので施設へ預け、13日夕方遅く、宮崎へ戻ることができた。これで休めると思った。

ところが、その日(13日)の夜。食事を終えて片付けていると突然ぐらぐら揺れた。揺れはどんどん大きくなった。やばい、どうしようと狼狽えていたところで治まった。すぐさま2階に駆け上がると緊急速報メールが入っていた。震源は日向灘で震度5弱、うちは震度4だったが、すぐそばで震度5弱。それくらい揺れた。しばらくすると市役所の防災アナウンスが流れてきた。だが、防災メールは届かなかった。休日で危機管理課職員がいなかったのだろうか?福岡市の防災メールは地震直後に入ってきたのだが。西都市、大丈夫だろうか。

というわけで、新年早々、落ち着かない日が続いている。日向灘M6.6後も余震が続いているので、なかなか眠れない。40年以上暮らした、福岡市は比較的災害が少なかったが、宮崎は地震のメッカ。地震の備えは怠れない。取り急ぎ、家具の固定、水や食料等の備蓄は終えた。あとは防災グッズの点検が残っているが、大体、登山グッズでどうにかなるだろう。それにしても、この先一体どんなことが待ち受けているのだろう。2025年もいろいろありそうだ。

 

以下、写真は宮崎三社参りの様子です。

一ツ瀬川と西米良の山々(2025.1.3撮影)

児原稲荷神社下から一ツ瀬川を望む

 

 

児原稲荷神社・宮崎県児湯郡西米良村(2025.1.3撮影)

何十年ぶりかな、、

 

 

 

久しぶりに境内のうどん、素朴で美味しい。稲荷神社だけあってお稲荷さんは特に美味しい

この時、箸が折れたので不吉な予感はしたけれど、、

 

 

速川神社・宮崎県西都市(2025.1.4撮影)

メジャーな神社だけに、4日でもお参りする人が多かった

 

 

 

参道では台風14号(2022年9月)の爪痕も

 

 

 

一ツ瀬川沿い、木の根っこも抉れて

 

 

速開都比売神社・宮崎県西都市(2025.1.4撮影)

青い鳥居がなんとも、、

 

 

 

速開都比売神社へは湯之内吊橋を渡っていく

 

ここは結婚して最初に訪れたところで、右の崩れかけた家屋が義父兄のおうち。はじめてお茶摘みの方法を教えてもらったり。煎れてもらったお茶の美味しかったこと。ここはとにかく水がきれいで自生のワサビも摂れた。神社裏にある大滝、今ではパワースポットになって多くの人が訪れる場所になったけれど、昔はほとんど訪れる人はなかった。

 

 

パワースポットとなった場所(昭和40年頃に祀られたのが滝の右側部分、のちに鳥居がつくられたと相方)

 

 

おまけ

吊橋からみた、うちの山(一ツ瀬川の右側ぜんぶ、相方の仕事場)

 

 

三社参りの後、急遽山口へ向かうことになったので、お正月の掲載が今になりました。今年もこんな感じでなかなかアップできませんが、よろしくお願いいたします。なお、日向灘地震については次項で掲載する予定です。

 


綾のまち~ユネスコエコパーク

2024-12-06 21:11:33 | 日記

宮崎へ移住して1ヵ月が過ぎて、ぼちぼち日常が戻ってきた。今年春から引越しの準備を始めておよそ8ヵ月、長い道のりだった。思えば、6月にくじゅうミヤマキリシマを見て以来、休日というものはなかったような。そこで、一昨日、お天気が良かった(私の誕生日だった)ので、自宅から30分程のところにある綾町へ出かけた。

綾町は、結婚直後に一度訪れているが、記憶が定かではない。(雲海酒造の蔵元に行ったことは、はっきり覚えている😊)綾と言えば、照葉大吊橋。日本最大級の照葉樹林を有する場所にあり、観光の目玉となっている。ここは、昭和57年5月、九州山地国定公園に指定されており、昭和59年に初代吊橋が架橋された。その後、平成21年度の点検でケーブルと鋼材の一部表面に錆が認められたことから、平成22年に架替工事が行われている。旧吊橋は全て解体されており、現在の橋は2代目となる。(昔、渡ったのは初代の吊橋だったのか)

綾町は、2012年、ユネスコエコパークに指定されている。全国に先駆けて推進した有機農業や手づくり工芸の里づくり、花いっぱい運動、綾の照葉樹林プロジェクトなど官民あげての取り組みが世界的に高い評価を得た結果という。確かに、まちの中を歩くと、自然と人が融合しているように感じる。まず何と言っても水。照葉樹林(広葉樹の森)から運ばれた澄み切った水がまちを潤している。綾南川の上流にはダムがないので川が生きている。それも綾の人たちの努力があってこそ。お手本にしたいまちの姿がここにあった。ちなみに、うちの山の前を流れる一ッ瀬川もかつては鰻や鮎が見えるほどの清流だった、ダムで変わってしまったと残念がる相方。見てみたかった。

帰りに「国際クラフトの城」へ立ち寄った。その中に綾城がある。約680年前の山城として、日本城郭協会の時代考証に基づいて再現されたもので、昭和60年に構築されている。天守閣からは綾のまちが一望できた。さらに、遠くに霧島連山がうっすら見えた。ここは南九州。新たな地で新たな人生のはじまりに見た風景、きっと忘れることはないだろう。

 

綾ユネスコエコパーク

 

 

 

照葉大吊橋へ 

 

 

 

いざ、、

 

 

 

一番深いところ、撮るのも恐る恐る

 

 

下から見ると、、 

 

 

 

綾南川、下に”かじか橋”が見える

 

 

 

渡り終えて振り返る

 

 

 

渡り終えたところにある遊歩道マップ「遊歩道は通行禁止」

 

※今年8月22日に発生した台風10号の大雨により、遊歩道が多数壊れたため、現在は通行止めになっています。

 

 

綾城へ

 

 

 

 

 

 

天守閣から見た綾のまち

 

 

 

遠くに霧島連山(来年は登りにいくぞ~)

 

 

 

《参考資料》

綾町ホームページ・観光情報

生物圏保存地域(ユネスコエコパーク)について

 

日本のユネスコエコパークは、1980年(昭和55年)に志賀高原、白山、大台ヶ原・大峯山・大杉谷、屋久島・口永良部島、2012年(平成24年)に綾、2014年(平成26年)に只見、南アルプス、2017年(平成29年)に祖母・傾・大崩、みなかみ、2019年(令和元年)に甲武信の10ヶ所が登録されている。

 

 


宮崎移住

2024-11-22 21:14:22 | 日記

怒涛の1ヵ月だった。よく倒れず持ち堪えたものだと我ながら感心している。ようやくパソコンを開けるようになったが、過度なストレスのせいか、口がまともに開かなくなった。もしかすると顎関節症かもしれない。少し体を休めたほうがよいのだろうが、なかなか難しい。母の介護と姉の看護のため、山口と宮崎を行ったり来たり。過酷な超遠距離介護がはじまっている。

引越し当日、まさかの出来事に見舞われた。母が体調を崩し帯状疱疹になったため、(ショートスティの場合、家族が病院へ連れていかなくてはならないので)急遽、山口へ向かうことになった。荷物は日通さんと相方に任せ、区役所で転出届を提出し、職員の方に長年お世話になったお礼を述べ、夕方、40年以上過ごした福岡を後にした。翌11月1日、母を病院へ連れて行った後、姉が入院している病院へ行き、大雨の中、東九州道で宮崎へ急行した。福岡最後の日によもやこういうことになろうとは思わなかったが、まだ福岡にいたのでよかった。宮崎に行ったあとだともっと大変だった。

宮崎へ着くと荷物の山。超特急で荷物を片付け、ようやく生活できるようになった、と思った矢先、当て逃げに遭った。スーパーの駐車場に止めていたわずか10分程の間の出来事だった。車の前が凹んで無惨な姿に。うそ~と涙が出そうになった。警察に連絡し、店の方に協力していただいたが、相手は見つかっていない。店の防犯カメラに映っていなかったのだろう。警察官の実況見分では軽トラの可能性もあるとのことだったが、それも納得できる。まちの中は白い軽トラが多く、そのほとんどが高齢者ドライバーである。このまちで暮らす以上、ドライブレコーダーは必須だと痛感した。

新たな地で新たな生活がはじまった。慣れないことも多々ある。日常的に戦闘機が轟音をたてて飛び交う。この音はなかなか慣れそうもない。あとモノがなかなか手に入らない。ショップが圧倒的に少なく、ネットが頼みの綱となっている。何より驚異的なのは、ゴミの分別。これはまたの機会に詳しく書こうと思っているが、何しろ分別が半端ない。市が発行している虎の巻を見ないとまず無理。間違えて入れていると回収してもらえない。(ノイローゼになりそう)

といろいろあって、福岡での平穏で便利な暮らしが恋しい今日この頃。明日は車修理(入庫)のため福岡経由で山口へ。何事もありませんように🙏

 

2024.11.22撮影

住めば都となるかな、、

 

 

 

戦闘機が飛ぶ日常、、

 

 


福岡から宮崎へ

2024-10-26 20:32:22 | 日記

引越しまであと5日。いよいよその時が来てしまった。この1ヵ月、山のような作業に追われていた。その上、先月末、リハビリ病院を退院した姉が敗血症と肺炎にかかり、ふたたび市民病院に緊急入院となった。一昨日、退院はしたものの今一体調がよくない。引越しの準備はどうにか目処が立ったものの、無事に引越しできるかどうか。あと台風21号の進路も気になる。

18歳の時、山口から大学進学のため来福して以来、40年以上、このまちで過ごしてきた。生まれ故郷より長い年月を過ごしてきただけに、離れるのが辛い。まちはずいぶんと変わってしまったが(高島市政にはすいぶん悩まされたが)、福岡のまちが大好きだ。利便性がよく、都会でありながら近場に自然も豊富にある。災害も比較的少なく、過ごしやすい。何より山口まで2時間もかからないところがよかった。とても恵まれた環境だった。

ところが、来月からはそうはいかない。宮崎から山口へはどんなに急いでも5時間以上はかかる。母や姉に何かがあってもすぐに駆け付けることはできない。電車も通っていないので東九州道を利用するしかない。自然災害も多く、先月の台風10号では大きな被害が出ていた。今週22日の大雨では2人の方が亡くなり、宮崎県内で229棟の浸水被害が出ている。さらに、日向灘地震や南海トラフ地震への不安もある。おまけに近くに新田原基地があり、うちの上空を戦闘機が飛んでいる。(地元の方は慣れておられるようだけど)なんとも落ち着かない。これからは先祖の山を守ってゆくことになるので、否が応でも災害と向き合うことになるだろう。

 

寂しさと不安が入り混じりどうしようもないが、明日は衆議院選挙の投票日。最後に福岡市民としての務めを果たして宮崎へ。

 

《追記》

先程、姉の入所先の施設から連絡があり、容態がよくないので、これから市民病院へ連れて行くとのこと。もしかすると再入院になるかもしれない。すぐに駆け付けられるよう準備をして待機している。

その後、市民病院の当直医師から電話があり、やはり入院となった。が、慌ててくる必要はないとのことだったので、明日朝一番で選挙に行ったあと山口へ向かうことにした。引越しギリギリまで看護が続きそうだ。

 

 

福岡市内の朝焼け、この3時間後に雨が降り出した。(10月22日午前6時すぎ撮影)

この日は不要な家具や廃棄物を搬出をしていたので、宮崎が大雨になっていたとは知らなかった。杉本先生(元九大、現在大阪大准教授)からXでメンションをいただき、はじめて知った次第。今回は特に延岡がひどかったようだ。

 

 

《関連記事》

22日の大雨 県内の住宅の浸水被害229棟に上る(NHK宮崎 2024.10.25)

台風10号の被害 美郷町と椎葉村が「局地激甚災害」に指定(NHK宮崎 2024.10.25)