遅ればせながら、昨夜(17日)、NHKBS1で再々放送された「良心を束ねて河となす~医師・中村哲73年の軌跡~」を見た。これは、昨年12月4日、中村哲氏の命日に九州限定で放送された「理屈やなかろうもん~医師・中村哲73年の軌跡~」の拡大版だった。というより、「理屈やなかろうもん」がダイジェスト版だった。「理屈やなかろうもん」では(カットされていたせいか)よくわからなかったことも、今回の放送で合点がいった。「良心を束ねて河となす」は、前編と後編に分かれ、前編は中村氏の幼少期から医者としてアフガニスタンへ赴任されるまでを、後編は飢餓に苦しむ人たちのために用水路建設に奔走された中村氏を紹介していた。
後編のエピソード。2009年、6年の歳月をかけてマルワリード用水路が完成した。その数か月後、クナール河で大洪水が発生、用水路や堰は壊滅的な被害を受けていた。その時の映像を初めて見たが、現地の人はすぐに動きはじめ、中村氏は朝倉市にある山田堰を訪れていた。そこで、3日間、中村氏は堰を見続けていたと山田堰土地改良区前理事長の徳永哲也さんは話している。筑後川は暴れ川で過去幾度も洪水に遭遇している。にもかかわらず、数百年経った今も堰は昔のままである。なぜか。中村氏は山田堰(斜め堰)が直線でないことに気付く。山田堰を模範としてつくられたカマ堰だったが、緻密なところが違っていたのだ。そして、1年半後、カマ堰は見事に復活した。
その後もアフガニスタンでは洪水と干ばつが続いている。今は現地の人たちの手で改修工事が行われ、徐々に灌漑事業は進められている。中村氏の遺志は受け継がれている。今頃、きっと天国から笑って見ておられるに違いない。(あの笑顔が忘れらなれない)
写真:NHK「良心を束ねて河となす~医師・中村哲73年の軌跡」より
タイトルどおりの内容だった
模範とされた山田堰(福岡県朝倉市) 洪水時、中央に水が流れるよう堰は微妙にカーブしている
中央に水が集まるよう改修されたカマⅡ堰
2019年4月、アフガニスタンを訪問された徳永さんに堰を見せて自慢気に話されていたと これが最後となった、、
(余談)徳永さんには昨年のお別れ会の帰り際、偶然出会いました。
”誰も行かないから自分が行く” そうして砂漠は緑の森へと変わった
《追記:2021.2.19》
昨年、さだまさしさんが中村哲氏に捧げた歌『ひと粒の麦~MOMENT』をアップし忘れていましたので、今回放送の画像とともにアップしました。よろしければこちらからご覧ください。
《参考資料》