2025年の幕開、いろいろとアクシデントが続いている。昨年末、母が利用する施設でコロナクラスターが発生(母は感染しなかったが)、しばらく施設の利用ができず年明けまで自宅介護が続いた。同時に、姉も持病の膀胱尿管逆流症が再発し入院した。再発は2度目となる。そのため膀胱尿管逆流症手術(デフラックス注入)はもう無理だろうと主治医から言われ、膀胱留置カテーテル(バルーン)を挿入ことになった。先週(9日)、無事退院することができたが、入退院の繰り返しで体力の衰えがひどく、要介護5の状態で施設に戻った。
その数日前(6日)、施設に預けていた母がインフルエンザに感染。宮崎へ戻ったばかりのところに、施設から病院へ連れて行ってほしいと連絡があった(ショートスティの場合、原則家族が付き添うことになっている)が、宮崎からだと急いでも夜になるので、受診付添いサービス付き介護タクシーへ依頼したところ、快く引き受けて下さり母をかかりつけ医へ。結果はインフルA型だった。翌朝、急いで山口へ向かい、1週間自宅で隔離。体調が回復したので施設へ預け、13日夕方遅く、宮崎へ戻ることができた。これで休めると思った。
ところが、その日(13日)の夜。食事を終えて片付けていると突然ぐらぐら揺れた。揺れはどんどん大きくなった。やばい、どうしようと狼狽えていたところで治まった。すぐさま2階に駆け上がると緊急速報メールが入っていた。震源は日向灘で震度5弱、うちは震度4だったが、すぐそばで震度5弱。それくらい揺れた。しばらくすると市役所の防災アナウンスが流れてきた。だが、防災メールは届かなかった。休日で危機管理課職員がいなかったのだろうか?福岡市の防災メールは地震直後に入ってきたのだが。西都市、大丈夫だろうか。
というわけで、新年早々、落ち着かない日が続いている。日向灘M6.6後も余震が続いているので、なかなか眠れない。40年以上暮らした、福岡市は比較的災害が少なかったが、宮崎は地震のメッカ。地震の備えは怠れない。取り急ぎ、家具の固定、水や食料等の備蓄は終えた。あとは防災グッズの点検が残っているが、大体、登山グッズでどうにかなるだろう。それにしても、この先一体どんなことが待ち受けているのだろう。2025年もいろいろありそうだ。
以下、写真は宮崎三社参りの様子です。
一ツ瀬川と西米良の山々(2025.1.3撮影)
児原稲荷神社下から一ツ瀬川を望む
児原稲荷神社・宮崎県児湯郡西米良村(2025.1.3撮影)
何十年ぶりかな、、
久しぶりに境内のうどん、素朴で美味しい。稲荷神社だけあってお稲荷さんは特に美味しい
この時、箸が折れたので不吉な予感はしたけれど、、
速川神社・宮崎県西都市(2025.1.4撮影)
メジャーな神社だけに、4日でもお参りする人が多かった
参道では台風14号(2022年9月)の爪痕も
一ツ瀬川沿い、木の根っこも抉れて
速開都比売神社・宮崎県西都市(2025.1.4撮影)
青い鳥居がなんとも、、
速開都比売神社へは湯之内吊橋を渡っていく
ここは結婚して最初に訪れたところで、右の崩れかけた家屋が義父兄のおうち。はじめてお茶摘みの方法を教えてもらったり。煎れてもらったお茶の美味しかったこと。ここはとにかく水がきれいで自生のワサビも摂れた。神社裏にある大滝、今ではパワースポットになって多くの人が訪れる場所になったけれど、昔はほとんど訪れる人はなかった。
パワースポットとなった場所(昭和40年頃に祀られたのが滝の右側部分、のちに鳥居がつくられたと相方)
おまけ
湯之内吊橋からみた、うちの山(一ツ瀬川の右側ぜんぶ)
三社参りの後、急遽山口へ向かうことになったので、お正月の掲載が今になりました。今年もこんな感じでなかなかアップできませんが、よろしくお願いいたします。なお、日向灘地震については次項で掲載する予定です。