yamanba's blog

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コロナ感染、5類のリスク

2023-10-23 10:23:13 | 新型コロナ

姉と母がコロナに感染してしまった。これまでいろいろ修羅場はあったが、今回ほど大変なことはなかった。相手がウイルスだけに神経が擦り減った。ただ私が感染しなかったのは幸いだった。(私が感染してしまうと二進も三進もいかないので)

姉は10月6日から10日までショートスティを利用していた。帰宅後、鼻水が異常に出ていたが熱はなかった。13日の朝まで平熱だったが、昼過ぎ38度の熱が出た。またいつもの尿路感染症の熱だろうと、市民病院に連絡したが(時間が遅かったので)、近くの病院で診てもらうように促された。とりあえずカロナールを飲ませ様子をみることにした。翌日(14日)、容態がよくないので、近くの病院へ連れて行き、まずコロナ&インフルの検査をしてもらった。すると院長先生から電話で「コロナ陽性」と告げられた。(まさか)

病院からコロナ感染症治療薬「ラゲブリオ」と解熱剤となぜか葛根湯が処方された。すぐにラゲブリオを飲ませ、ふたたび病院へ向かい、自分の抗原検査をしてもらった。陰性だった。急いで自宅へ戻り、母を行きつけの病院へ連れて行った。すると母も陽性だった。姉が自宅に戻ってから居間でずっと一緒に過ごしていたのでうつってしまったのだろう。(自分は2回検査して2回とも陰性だった)

急いで自宅へ戻ると、姉がベッドのそばでひっくり返っていた。意識がほとんどない(やばい)。すぐに救急車を呼んだ。数分後、救急隊が到着。SpO2は86%。救急車内で酸素吸入をして意識が戻った。隊長に前日の市民病院とのやりとりを説明し、同病院への搬送が決定。緊急入院となった。搬送後、当直医師(内科)から説明を受けたが、肺炎の疑いがあるので点滴で対応するとのことだった。中等症に近い状態でウイルス量は物凄い数だと。最新のオミクロン株は潜伏期間が短く、1日から2~3日と言われた。やはり介護施設で感染していた。

母は軽症だった。行きつけの病院から同じ「ラゲブリオ」が処方されたので飲ませた。容態は落ち着いていたが、パニックになっていた。この4年間、コロナに感染しないよう外出を控えていただけにショックが大きかったようだ。行動制限をしようとしても言うことを聞かない。2日目あたりからようやく受け止めてくれたが、92歳の高齢者に感染対策を徹底させるのは難しい。もう精神はボロボロになった。(ストレスのせいか、生まれたはじめて蕁麻疹が出た)

コロナ5類の療養期間(外出を控える期間)は、発症後5日間(5日目に症状がある場合は症状が軽快して24時間が経過するまで)とされているが、姉が入院している病院では、1週間の隔離後、検査をして陰性、尚且つ症状がなければ一般病棟へ移る。姉の場合、コロナ感染で腎臓がダメージを受けているようなので、持病(慢性腎炎)が悪化しないか心配している。

母は発症日こそ咳と痰が凄かったが、熱はすぐ下がり、その後は目立った症状もなく、食事はしっかり摂れていた。発症から1週間でほぼ回復した。ただ3日目あたりから倦怠感を訴えていた。体がだるくて動けない(炊事ができない)というので、不安はあったが(私も限界だったので)施設へ預けることにした。念のため、施設を利用する前に母の抗原検査をしてもらおうと病院へ電話をすると、主治医から「療養期間後の検査は必要ないと厚労省から通達がきている。ウイルスの死骸は体内に残り、陽性が1ヵ月以上続く人もいる」と説得され検査ができなかった。そのため施設では(発症日から8日経過していたが)隔離状態で対応してもらうことにした。

コロナが2類から5類へ移行し、感染対策も事業所や個人の判断に委ねられ、マスクをしていない人も増えている。発症日から6日で外出できるようになり、陰性確認は不要になるなど、2類よりもむしろ感染リスクは高くなっていると感じる。姉と母の感染はその証だと思う。これからどうやってふたりを守っていけばよいのか、、

 

10月14日19時頃、市民病院駐車場

姉、緊急入院、今月3日に退院したばかりなのに、、(看護師さんに入院用の荷物を渡すため駐車場で待機中)

 

 

本日(23日)、姉の陰性が確認されたので、一般病棟へ移ることになったと市民病院から連絡が入った。明後日、医師から病状を聞く。(またしばらく福岡へ帰れそうもない)

 

 

《参考資料》

厚労省・新型コロナウイルス感染症の5類感染症移行後の対応について

 

 


介護保険変更申請

2023-10-08 18:38:28 | 日記

市民病院に入院していた姉が退院した。抗生剤の効果なのか、予想以上に回復が早かった。それは良かったが、こちらはてんやわんや。ゆっくり休むこともできず、体調はすこぶる悪い。取りあえず、姉を施設に預けて福岡へ帰ったが、すぐに山口へ戻らなくてはならない。この調子だと早晩、倒れてしまう。危機感を覚えたので、先週、姉の介護保険変更申請を行った。

もともと今年5月、要介護4から要支援1になった直後に不服申し立てをするつもりだったが留まった。それ以降、姉は入退院を繰り返し、体力は落ち、思考能力は低下している。歩行(ゆっくり歩行)に問題はないが、トイレや入浴などの介助が必要で、前回の申請時より状況は悪くなっている。それでこちらの負担も増しているので、今回変更申請をすることに決めた。聞くところによると、審査のポイントは、認知度・歩行・トイレ、それから主治医の意見書だとか。こちらとしては、超高齢の母と障害を持つ姉の2人を介護しているところなど、少しは考慮してほしいと思っているのだが、、どうなるか。

 

 

姉の病室から見た風景(写真右に竜王山)

退院の準備を終えて外をみると、、黄色のじゅうたん(秋ですね) 

 

 

《余談》

先週、中国道であわや大事故になるところだった。福岡から山口への走行中、追い越し車線を走っていると、材木を積んだ連結トレーラー(20mくらい)がいきなり車線変更してきた。慌ててブレーキを(踏まざるをえず)踏むと、ハンドルが左右に大きく振れて制御できなくなった。必死にハンドルを立て直して、なんとか中央分離帯にぶつかる寸前でおさまった。が、前方を見るとトレーラーが蛇行している。後ろの材木は大きく揺れ、バランスを失い横転しそうになっていた。ああこれはダメだと思っていたら、持ち直した。九死に一生を得た。それにしても、トレーラーの運転者は私の車が見えていなかったのだろうか。前方に「右へ」の標識があったので車線変更したのだろうが、、死ななくてよかった。(2人を残したまま死ぬわけにはゆかないので)