熊本地震から1ヵ月が過ぎた。梅雨入りを前に熊本県では土砂災害危険箇所の緊急点検を行っていたが、25日、土砂災害危険箇所に市町村指定の避難所や避難場所が少なくとも165ヵ所あることが分かった。そのため県では、別の地域への予防的避難を図るよう各市町村に呼び掛けている。そんな中、益城町総合運動公園に設置されていたテント村の閉村が決まった。この件について、ブログに掲載するか迷ったが、テント村へはシュラフなどの支援をしていることもあり、少し意見というか感想を述べることにした。
地震直後、野口健さんが立ち上げた熊本地震テントプロジェクトに、すぐさま岡山県総社市の片岡市長が連携、たちまち益城町にテント村が完成した。その抜群の行動力はツイッターなどを通じ、多くの人々に伝わっていった。野口さんの真直ぐな思いは被災者の方々の救いとなった。一方で、私のように親の介護があり、被災地で支援ができない者にとって、このプロジェクトの立ち上げは有難いもので、心から感謝している。(東日本大震災では寝袋プロジェクトでお世話になった)しかし、テント村の閉村が決まった直後の野口さんのツイッター発言には、違和感を覚えた。既にツイートは削除されているが、元石原都知事を引き合いに、益城町長に対する意見(不満)や非難めいた(そのように取られ兼ねない)発言が続いた。これには正直うんざりした気分になった。強い使命感からなのだろう、いきなり閉鎖という展開に気持ちの整理がつかなかったことは理解できる。が、言ってはならないこともある。非常事態だからこそ支援する側には大きな器が必要とされる。フォロアー数12万人となれば、その発言が社会に及ぼす影響も大きい。支援する側が被災地の足元をすくってしまっては、それこそ本末転倒ではないか。
報道によれば、そもそもテント村は1ヵ月の予定で、延長する場合は町と野口さんが話し合う約束をしていたとある。今月12日、総社市の片岡市長は西村町長とテント村について協議されている。が、なぜかそこに野口さんの姿はなかった。ツイッターでは、片岡市長に一任されたような発言が見受けられるが、仮にそうであったとするならチームとして協議の結果を真摯に受け入れるべきではないか。そうでなければ、なぜ早い段階で町長と直接協議をしなかったのか。町長の趣味は山登り。意見交換をされていれば、また違っていたかもしれない。
東日本大震災に熊本地震、わずか5年の間に2度も大地震が発生するような国に住んでいるのだから、もはや対岸の火事では済まされない。全国の活断層地図(産総研)を見るとその多さにぞっとする。どこで大地震が発生しても不思議ではないということだろう。もはや地震の備えは必須。これまでも災害時にテントは活用されていたが、今後、さらに必要性は高まっていくだろう。色々、問題はあったが、今回のテント村が避難所のモデルとなっていけばよいと思う。今は何より一日も早い復興を願いつつ、微力ながら熊本への支援を続けたい。
《関連記事》
・県内避難所、165カ所が「土砂災害危険」(熊本日日新聞 2016.5.26)
《関連資料》
・熊本県HP。熊本地震に係る土砂災害危険箇所の緊急点検結果について(2016.5.25)