ふろしき王子のブログ◎
出前講座開催☆
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メール isamix@gmail.com
 





明日11/3文化の日は、13時から渋谷で風呂敷講座があります。
まだ席があるので、参加ご希望の方はここのコメントまたは
メール isamix@gmail.com までお願いします。

会場は、株式会社ジャパンライフデザインシステムズ
東京都渋谷区南平台町15-13
帝都渋谷ビル7F(渋谷駅徒歩10分)
参加費2500円

基本から応用まで、日常・旅・防災・子育て・忍者の
技を身につけます。
特製レジュメ付き。

ものを素材のまま生かす風呂敷の心をぜひ体験してみてください。よこやま

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たくさん食べた後は、帰宅が遅くてもなかなか眠られない傾向にある。

それは、お腹が膨れたままで眠らないほうが消化によいということなのか。

ザクロでは何杯もアールグレイティーを飲んだから、カフェインの影響かも。

朝寝になるから、起きるのは10時過ぎるかもしれない。
休みで、留守番の日だからよかった。

本当は人は寝たいだけ寝ればだいぶ健康になるだろう。

ずるずる惰性でネットを眺めるのに小一時間も費やすなら、
ちゃちゃと寝た方が自分への投資になろう。
そして、冴えたる朝に、有意義な情報をさららと読み流しながら、
現在のテーマと結びつけて視野を太くする。

朝は宝の時間。普段はこんな風に遅寝せず、四時起床を目指したい。

真に研ぎ澄まされはるのは2時から6時台まで。
すると20時までには寝た方がよくなるが、難しければ
22時に寝て4時に起きることを。

そして、早起きしてやることは、早起きしてみないと分からない。

(翌朝)
結局9時前に起きました。
炭水化物でお腹いっぱいなのと、たんぱく質とでは
すい臓の稼働や腹持ちが異なるのか、眠氣なくぱちりと目覚めた。

ただ、まだお腹は張っている。
今日は自宅で風呂敷を20枚ほど縫うのと、掃除洗濯片付けを。

けっこうな雨天です。
これを境に寒さが増すでしょう。
自然ときもちが引き締まり、集中力が増すから、勉強によいシーズンかも。

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本日の風呂敷講座は茨城県の龍ヶ崎で行なったため、
日暮里から常磐線でした。

帰りはちょいとお腹すいて疲れていたので、日暮里で下車して
イラン・トルコ・ウズベキスタン料理のザクロで夕飯をいただきました。

夜は、食べ切れないコースといって量があるのです。
それでも、長期計画で3時間強をかけて完食しました。

20時過ぎてからベリーダンスショーがあり、一緒に踊れるので
そこで多少燃焼させて、何とか残さずに行けたのです。

ひっきりなしにストレートチャイ(アールグレイティー)を
飲みながら、ピクルス噛み噛み、野菜→お肉→ご飯にナンの順に
いただきました。

そのように細かにバランスをとり続けたお蔭で
エネルギーをチャージし、帰り道の氣力を得ました。

それは食事だけでなく、一体感あるこのお店でのお客同士の会話や
近くの方に似顔絵を描いたり、踊ったりと、
いつもと違う場におけるモードチェンジが、見えないこころの
バランスを調えたのでしょう。

人生において、あんまり損得を考える必要は無いと考えています。
というのも、必ず様々な形で大きなバランスがとられるので、

素直に正直に心を注いだ行動には、誰も知らなくとも
天(自分)がちゃんと見ていて、

罪悪感のあることにはそのうち罰が生じるし、
晴れ晴れと心洗われたならば、美しい何かが飛んできます。

僕自身はそんな偉そうなこと言えない、マイペースでぼーっと
していますが、勘を信頼し、全て自分の選択として
人を責めず、よい結果につなげるように自然と手足を運んだなら、
何とか無事に生きて行かれる。

その無事安心元氣の輪を、1人がみんなに、皆が誰かのために
ふりまけば、おかしかった所もあるべき形に還元されて、
完全燃焼のいのちの循環に満たされるでしょう。

なぜならば、いい大人であっても、中心には
素直で好奇心いっぱいで柔らかい空氣を振り巻いている
永遠の赤ちゃんが根付いているから。

何だかこういう、言葉のたゆたう精神的な文章は、20代のころの日記のようだ。

それが次第に具体的な形の描写に移ろって行ったが、
また、かく再びふるると洗い流され湧き出す、理由もなき感謝の念。
かかる波の幅は、人生における両輪の歯車。

生きていくのは大変なことだっていっぱいある。
しかし、実際に自転車を進めるのは心配ごとの強さではなく、
手足の1つ1つの動きの重なりから醸さるる突然変異。

頭も大事だが、手足の感覚ではじめて分かることもある。

絵を描くのも、頭で考えたことを絵で表すのではなく、
絵でしか感じ得ない情緒や摂理があるから絵を描くより他にない。

上手いとか下手の前に、絵にすることで見える世界がある。

行き詰まったら、紙に鉛筆で○でも△でも落書いたなら、
そこに現状のメッセージが微細に織り込まれているのだが、
かといって解釈して問題を抽出して解決を思案することなく、
絵を受けてまた絵を描きゆくうちに、ただ分かる。

トイレに行きたいのは頭で出す結論でなく体で感じるように、
絵から直接、識ることがある。

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