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僕は普段コーヒーを飲まないのだけど、
誰かが淹れてくださったときは飲みます。
たまになので効き?がよく、それは人生における
ターニングポイントとさえ言えます。

大げさかもしれませんが、そうだと思っているからそうなっちゃうのでしょう。

たとえば、ご飯に「ありがとう」と声をかけているとよい発酵をして、
無視したり暴言を吐いてると腐る、なんて実験結果が出る
なんていう話がありますが、

それは、言霊の力というよりは、こうなってほしいという
結果を当初から期待しているからそうなるのだと思います。

「ありがとう」をかけたご飯はよい状態へ至るだろうと
思いや祈りを込めている。

だから逆に「バカタレ」と言っても、それでご飯が甘く芳しく
醸されると思っていればそうなるでしょう。

ことばの文言よりも、芯にある思いの方がつよい。
そうでなければ、世話好きで照れ屋の下町っ子が
親愛をこめて放つ「ばか野郎」が暗黒の世へ導くことになりますが、
実際は反対です。

上べだけよい事言いながらも、義理人情に薄く融通の効かない人間を多く
感じられる現代において、優しさゆえに出る口の悪さはむしろ絶滅危惧種。

大切なのは、何かを語った後の行動やアフターフォローでしょう。

日本語は最後まで結論が分からないから、終わらせ方が大事。

もしも途中で大変な状態になっちゃっても、諦めずに心身を尽くして
有終の美を飾れればよいですね。

初めから、失敗の少ない無難路線の型にはめてしまうと、
洗練があっても進化がない。

非結晶体で、しっちゃからめっちゃからで紆余曲折しまくっても、
ようやく最終目的地に到達した時は、DNAにはお土産の宝ものでいっぱいでしょう。

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