ふろしき王子のブログ◎
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風呂敷をまわさば 腹に読書台

背負い荷にお尻ぽこぽん励まされ

風呂敷をひらいてハロー、きみに貸す本

いろいろな思いとともに布いちまい

泣いてないて君が瞳の清らなれ

さまざまな思い背負いてただ一歩


風呂敷を京都で背負うはつ体験

あのころもきみと風呂敷いつまでも

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つらいときも、
たのしきときもいつだって
風呂敷はすぐ傍らにいて、感情に関わらず
具体的に自分を手つだいつづけてくれて、
いつしか一心同体となっていた。

自分の右手が好きとはあまり言わないように、
風呂敷も「好き」と相対化できる
距離感ではもはやない。

距離のあればこそ、好きという感情が湧いて
恋の病におちいる。僕の風呂敷つかいはじめのシーズン1は
そうだったかもしれない。


きみがすきだ。
めっちゃすき。
きみをとても大事に思っている。
また会いたい。
きみをずっと見ていたい。
手に触れたい。
きみは今ころ何をしてる?
ゆっくり休んで、明日もすてきに


そんなときもあったかな。

今となれば、
たとい風呂敷が手元になくとも
自分自身が風呂敷と同位体であって、
さみしいとか会いたいもない、安心につつまれている。
ただし実際的に風呂敷がないと、できることが制限されて
困るかもしれない。

好きな対象を攻撃されると不快になるかもしれないが、

風呂敷は好きの時元を超えて、ひだりひざと同じ
自分の一部分であるから、
「貴方の左ヒザが嫌い」と言われた所で
「アラソ◎でも僕はこのひざのお蔭で、かく立ちて歩けて
いて、好みの問題でもなくここにある
空と海からの宝物であるから、だから何なんなん?☆」

という感じで、ちっとも嫌なことでもない。

ふろしきも左様であるから、
「風呂敷なんてダサい」といわれても

「あなたにとって、あなたの中では、
あなたの井戸の壁に貼っついた
風呂敷は、ださいデザインに織り成されているらん」

とかんじるだけで、
やっぱり特に傷つきもしない。

嫌うというのはむしろ距離感があるから、ひっくり返ると
好きへ転ずる可能性さえ秘めている。

僕は風呂敷に対して全てを言い放ち、
傷つけて反省して仲直りし、を
繰り返してきた今となっては、
好きでも嫌いでもない、からだの一部と化している。

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風呂敷をつかってみたくはあるけれど、

ほんとに大丈夫かなあ

浮かないかな。不便にならないかな…勇氣も足りぬ。。。

もしそういう方いらっしゃれば、

何と助言できるかな。


僕のつかいはじめは、
使い捨てのごみが出ない風呂敷は環境にやさしくてすばらしい!
という思いのつよさによって突き進んだから、
特に空氣もよまずに
おばあちゃんのタンスの中の、古風な紫色したふろしきで
荷物をつつんで、旅へと出かけた。

いまもし、ふろしきをゼロからスタートするとし、
加えて、むすび方もほとんど知らない状態だったら、こうする。

やっぱり、すきな色や柄のふろしきが佳いから、
風呂敷やさんで買うか、
縫い慣れているなら、好きな生地を買って
手づくりというのもありです。

四角くて、ある程度の丈夫さがあり、むすびやすければ
どんな布でも風呂敷としてつかえますが、
日常つかうなら洗いやすく乾きやすい素材がよいので
まずは木綿や麻がおすすめです。

と、このように揃えるのも楽しいですが、それが
かえって手間で遠のいてしまうならば、
すでに家にあるものを探してみます。

スカーフやバンダナ、大判のハンカチでも
風呂敷として生かせます。

そして、とにかく何か包んでみましょう。
それぞれの対角を結ぶだけのお弁当つつみでよいので。
そのむすんだ感覚、できあがった包みの感触がよければ
大丈夫です。



生地がしゃれていれば、そのまま外へ出かけても
粋だと思いますが、

もうちょっと、現代や洋服にも調和しやすいむすび方は何かというと
やはりエコバッグになるでしょう。
持ち手があることと、全体的にまんじゅう形にならないことでも
印象はがらりと変わるので、
たとえばお弁当包みの一対の結び目をちいさくして
取っ手がのびるようにすれば、もう立派な買い物になりますし、



さらなるアレンジとして、もち手の左右の元にシュシュをはめこんでみたり、
中にカゴを入れて形をつくってみるのも、簡単です。



もしかすると、いま風呂敷をつかうってことそのものが
割と勇氣のいることであると同時に、一歩を伸ばして
いざ使ってみてしまえば、吹っ切れて、わくわくな快感へと
変わっていくのかもしれません。

きっと、みなが使っていれば、躊躇なくつかうのでしょうけれど、
空氣をよむのが得意な日本人は、よみすぎて取り越し苦労をしたり、
お互いともに自分なりのおしゃれをしたくても、
合わせあって無難な路線に甘んじるのかもしれない。

だけど、あなたはひとりじゃない。

僕が既に、20年ほど前から、毎日ふろしきを、
エコバッグどころか背中にしょって、津々浦々
シンガポールも銀座の街も、海山あぜ道どこであれ
歩いてきたのだから、
ぜひとも、風呂敷ともだちになりましょう!!



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すんなりと、9月に突入。
まだ暑いし、川で泳げる氣候。

ちかくの川は、大雨の3~4日後が、藻もながされ
水も澄んできれいな泳ぎ日和。
裸眼をひらいたままおよぎ、ソフトリーな水中を堪能する。
浅いので、顔を浸けて中の石を確認しながらのほうが
安全だし、ゴーグルを通さない異空間にしびれる。



この川で息子が捕ってきた赤ちゃんスッポンは
市販の亀のエサを食べないようだが、
昨日、だんご虫の小さいのを入れたら食いつき
飲み込んでいました。

これから寝、朝に目のひらいたら、
片付けや新しいふろしき本
『きみひらくふろしき』に入れ込むイラストを描こう。

描かないとはじまらない。
何かアウトプットしなければ、必要なインプットも
訪れないからだ。
たったひとつの点がアンテナとなって、
次なる線をさそう。

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