曲がり角で 迷いながら

自分も家族も人生の曲がり角に。戸惑いの中の日々を迷いうろついています。

入院当日 そして、次の日①

2013年10月25日 | 高齢者

実家母Yこさんの事、今までの入院闘病については、ずっと、私が付き添い、いろいろ手続きもやってきた。

けれども、やはり、それはよくない。

弟夫婦は、母親の事をわからないまま、病院のいろんな事もわからないまま、単に不満不平が募るだけ。

入院の時の煩雑さとか、通院だって、大変なのをやはり、身を持って知るべきと、今回の入院時には、弟にやってもらう事にし、私は、仕事と、自分の家の事に選任。

一応、手術日には付き添うつもりだけれど、頼まれたこと以上はしないし、第一、交通事故の当日の義妹の態度は、腹立たしいというか、人としてどうよ!と思っているので、むこうさんが何か言ってくるまで、こちらからは何も言わないつもりでいた。

両脚付けない母親を、どうやって連れて行ったかも、聞いてはないが、一応、つつがなく入院出来たようだ。

入院手続きだって、前日、出来るところはやって来てあるので、それほどでもなかったはず。

夜7時過ぎに、医師から手術の説明があるとの事だったけれど、そちらも、弟に任せた。

入院日の次の日も、これから、何があるかわからないので、パート先の仕事も出来るところは片付けて、NPOの活動(こちらも、欠員が何人か出て、ぎりぎりの人数での活動になっている)にも支障が無いように、日程も調整。

昼過ぎに遅いお昼を食べに家に戻ったけれど、このころは、GBさんにもとどにもいわゆる「むかついている」状態。

Bこさんは目の前でよたよたしていたけれど、その、よたよたすら、腹立たしいのだ。これは、理屈ではないね。申し訳ないけれど、顔を見たくなかったので、昼食をかき込むと、そのまま母親の入院先に向かった。

この時の事は→こちら に 

顔も見たくないと、はっきり言えば、Bこさんから逃げてきた私。この日のBこさんの様子は→こちら

仕事も一段落(一応山は越えた)NPOの方もなんとかなった、一応母親も入院できた…

以前には殺風景だった病院も、今は喫茶コーナーや休憩コーナーが出来て、丁度、1人用のソファー椅子とテーブルが開いていたので、抹茶ラテを買ってきて、一服…(この時の事もこちらで)

しばし、撃沈してから、重いそして、苛立った気分のまま、Yこさんの部屋へ。

と、そこに主治医の先生が、通りかかり、先生の方から声を掛けてくださって、「昨日息子さんですかね、手術の事を説明しておきましたけど、(彼で)良かったですかね?あ、Yこさんのお部屋はあちらですよ。そこ、真っすぐ行って右ですから。」

以前から、無愛想な先生ではないけれど、テキパキ話す先生だけれど、ちょっと、この日は「良かったですかね?(彼に話しちゃって良かったですか?)」が珍しく婉曲な言い方で、ひっかかった。

そして、Yこさんの病室に行くと、そこには、警察官の姿があり、事情聴取中でした。

調書って手書きなんだね。警察官の人が丁寧に手書きで調書を仕上げ、それをYこさんに読み聞かせ、間違いがないか確認すると、文章の最後のところに間を開けずに、署名捺印。

それが終わると、私にも事故の説明をしてくれた。

Yこさんが青信号になったのを確認して横断歩道を6歩歩いたところに、左後ろから、車がYこさんの左足に乗り上げて止まった。横断歩道全体の3分の1の距離だそうで、目撃者、被害者加害者からの聞き取りの結果が一致していることから、警察の方はこれで事故処理は終了するとの事。

なによりも、事故の時に停車中の車の目の前でひかれ、その運転者の証言から、正確な距離がわかったことが決め手になったそうだ。目撃者も渡り始めた側、反対側に何人もいて、乗り上げた車をみんなで動かしてくれたそうだ。

その時、足は反転し、足裏が上に向いた状態にねじれた状態だったそうで、しかも、ひいたのは後輪ではなく、前輪であること。

青信号を確認して歩き始めたのも、目撃者がいたそうだ。

なによりも、横断歩道の3分の1って、しかも手前(歩き始めた側)の方は右折レーンがあって、2車線、車が向かったのはその向こうの1車線のところなのだから、相当内側を走ったことになる。

一歩(文字通り)前に出ていたら、体ごと跳ね飛ばされていたかもしれないのだ。しかも、何かに乗り上げたと思って止まったら、おばあさんをひいていたと気がついたそうで、運転者への怒りと、よく、これだけの怪我ですんだとほっとした気持ちと、少し、母親にも悪いところがあったんではないかと思っていたので、母親は悪くなかったんだと、安心したような、理不尽さに腹立つ気持ちと、なんとも複雑な気分だ。

警察の方が帰られて、まもなく、今度は、看護師さんからの聞き取り調査があったんであります。

またまた、続く~~。

 


事故の次の日ー後半その3

2013年10月25日 | 高齢者

事故の次の日 やっと、病院の手続きが終わり、日中一人で自分で排せつの処理をして、頑張った、実家母のもとへ。

本当はじっくり説明したいところだけれど、こちらも思いがけず時間がかかってしまい、しかも次の日は早朝からの丸一日の仕事が入っていて、自分の家のの方の用事も溜まっている。

とにかく、頑張っていた母親をねぎらい、そして、明日の本人の支度について、説明。

あとは、弟に渡す書類。弟から保険会社へ預ける書類…。

明日の入院に必要な書類や薬の用意など、こまごま言い置いて、とりあえず、そのままスーパーに突っ走る途中で、弟からの電話。

向こうはいろいろ聞きたい事が合ったようだけれど、そして、私も言いたい事が色々あったけれども、この時は本当は今日入院が出来たんだなんてことは言わず、「明日入院で、必要なものは○○。それを持って、午後病院に連れて行って」とだけ言って、「今日も時間がかかったし、明日も私一日仕事なんで、すんませんが、これからもうダッシュで自分の方のことをやらせてもらいます。あとはよろしく!」

正直言うと、余計なことを言うと、爆発しそうだったからね。

なにせ、むこうはそのつもりはないんだろうけれど、いちいち人のやったことに文句を言う(というか、病院や母親への不満を私に言う)のが、腹立たしい。

その場にいてくれれば、わかることなのに。

これからの弟夫婦と母親との事を考えても、これ以上、私がやってしまうのは、よくないだろうと、ちょっと、突き放して(なにせ、弟からももちろん、義妹からもなんのねぎらいの言葉はない。文句はいろいろ言われたけどね(;一_一))置こうと、早々に電話を切って、スーパーに飛び込む。

考えてみれば、事故の電話をもらったのも、そこだったのだ。それから、まだ、丸2日と1時間ほどしかたってないのだ。

何日か分の食料を買い占め(気持ちはね)大荷物で帰ったら、我がオットとどは、早々に帰宅して、その辺にとどっておったぜ(;一_一)=ごろごろしておった!

ふんずけたろうかと思ったけど、そっちは寄り道なんでねフン!横目で廊下を通って台所に直行!

大忙しで支度をしているところに、Gオさんが、すり寄ってきて、

「ここみて!こんな腫れてるのに、○先生は年のせいだなんつうだよ。ひどいしょ?」

と手首の骨瑠を見せる。まあ、大きくはなってるが(普段なら、あら~なんて同情の声をあげるが)どおってことはない!心配ならゴルフなんて行くな!とは、言わないが、鼻でフン!

更にGオさん、「呼吸器のB先生が、娘さんはどうしたですか?顔が見たいなんつってたウショウヒョ」このGオさん、掛かり付けのB先生は私の事をいつも娘さんと言い、ついて行かないと、私の事を心配するのだそうだ。Gオさんは、娘さんと言われるのがうれしいらしいのだが、この、ゴルフ騒ぎ後は、なああんも、うれしくないのだ!私は!

すりよんじゃねえ!と心の中で叫びながら、気のない返事しかしない私。

Gオさん、しおしお引っ込みましたが、この時はかわいそうなんて感情はわかなかったね。正直言ってさ。

明日私がいない隙に、また、なにかするんじゃないかえ?でも、私は駆けつけないぜ。物理的にも無理だし、駆けつけるのはとどだからね!

私は娘じゃないし!

が!がが!

かまってほしいGオさん、何度も何度も「B先生が、娘さんは?って。会いに来てだってさ。娘さんにって!」繰り返すんですな(;一_一)

ほへ~~~。

これで、Bこさんも同じなら、まあ、かわいいんですが、こっちは違うからね。こっちは、逆へ逆へ行くからね。出来ないのを出来ると言い張り、お風呂もひとりで入れるだの、どこへだってひとりで行けると言い張ってますわ。あのさ~~、鍵も掛けられないのに何言ってんのさ。

よろしいおす、ひとりで頑張っておくんなさいまし~~。

片付けもいいよ、わたしんやるよつうてます(結果は朝のまんまですがね~~)

いいよわたしんやるから、よしこさん、出かけて。

ええ、言われなくても時間に出かけます。

で?(よしこの)お母さんの入院について行くでしょ?○子さん(義妹)も行ってくれるでしょ?

「い~~え!私は仕事です!」

行ってきま~~すと次の日出掛けたのでありました。

入院前の晩、どのように、弟夫婦と実家母Yこさんが過ごしたかは、もう考えないようにしました。とにかく、入院の日はすべて弟に託し、手術日は私が付き添うと決めて。

その後もごたごたは続くのでありました~~

ココログに ぼろぼろの… の記事をアップしました。

よく似たお花 芙蓉とムクゲの花とセセリ蝶を載せました。