実家母Yこさんの事、今までの入院闘病については、ずっと、私が付き添い、いろいろ手続きもやってきた。
けれども、やはり、それはよくない。
弟夫婦は、母親の事をわからないまま、病院のいろんな事もわからないまま、単に不満不平が募るだけ。
入院の時の煩雑さとか、通院だって、大変なのをやはり、身を持って知るべきと、今回の入院時には、弟にやってもらう事にし、私は、仕事と、自分の家の事に選任。
一応、手術日には付き添うつもりだけれど、頼まれたこと以上はしないし、第一、交通事故の当日の義妹の態度は、腹立たしいというか、人としてどうよ!と思っているので、むこうさんが何か言ってくるまで、こちらからは何も言わないつもりでいた。
両脚付けない母親を、どうやって連れて行ったかも、聞いてはないが、一応、つつがなく入院出来たようだ。
入院手続きだって、前日、出来るところはやって来てあるので、それほどでもなかったはず。
夜7時過ぎに、医師から手術の説明があるとの事だったけれど、そちらも、弟に任せた。
入院日の次の日も、これから、何があるかわからないので、パート先の仕事も出来るところは片付けて、NPOの活動(こちらも、欠員が何人か出て、ぎりぎりの人数での活動になっている)にも支障が無いように、日程も調整。
昼過ぎに遅いお昼を食べに家に戻ったけれど、このころは、GBさんにもとどにもいわゆる「むかついている」状態。
Bこさんは目の前でよたよたしていたけれど、その、よたよたすら、腹立たしいのだ。これは、理屈ではないね。申し訳ないけれど、顔を見たくなかったので、昼食をかき込むと、そのまま母親の入院先に向かった。
この時の事は→こちら に
顔も見たくないと、はっきり言えば、Bこさんから逃げてきた私。この日のBこさんの様子は→こちら
仕事も一段落(一応山は越えた)NPOの方もなんとかなった、一応母親も入院できた…
以前には殺風景だった病院も、今は喫茶コーナーや休憩コーナーが出来て、丁度、1人用のソファー椅子とテーブルが開いていたので、抹茶ラテを買ってきて、一服…(この時の事もこちらで)
しばし、撃沈してから、重いそして、苛立った気分のまま、Yこさんの部屋へ。
と、そこに主治医の先生が、通りかかり、先生の方から声を掛けてくださって、「昨日息子さんですかね、手術の事を説明しておきましたけど、(彼で)良かったですかね?あ、Yこさんのお部屋はあちらですよ。そこ、真っすぐ行って右ですから。」
以前から、無愛想な先生ではないけれど、テキパキ話す先生だけれど、ちょっと、この日は「良かったですかね?(彼に話しちゃって良かったですか?)」が珍しく婉曲な言い方で、ひっかかった。
そして、Yこさんの病室に行くと、そこには、警察官の姿があり、事情聴取中でした。
調書って手書きなんだね。警察官の人が丁寧に手書きで調書を仕上げ、それをYこさんに読み聞かせ、間違いがないか確認すると、文章の最後のところに間を開けずに、署名捺印。
それが終わると、私にも事故の説明をしてくれた。
Yこさんが青信号になったのを確認して横断歩道を6歩歩いたところに、左後ろから、車がYこさんの左足に乗り上げて止まった。横断歩道全体の3分の1の距離だそうで、目撃者、被害者加害者からの聞き取りの結果が一致していることから、警察の方はこれで事故処理は終了するとの事。
なによりも、事故の時に停車中の車の目の前でひかれ、その運転者の証言から、正確な距離がわかったことが決め手になったそうだ。目撃者も渡り始めた側、反対側に何人もいて、乗り上げた車をみんなで動かしてくれたそうだ。
その時、足は反転し、足裏が上に向いた状態にねじれた状態だったそうで、しかも、ひいたのは後輪ではなく、前輪であること。
青信号を確認して歩き始めたのも、目撃者がいたそうだ。
なによりも、横断歩道の3分の1って、しかも手前(歩き始めた側)の方は右折レーンがあって、2車線、車が向かったのはその向こうの1車線のところなのだから、相当内側を走ったことになる。
一歩(文字通り)前に出ていたら、体ごと跳ね飛ばされていたかもしれないのだ。しかも、何かに乗り上げたと思って止まったら、おばあさんをひいていたと気がついたそうで、運転者への怒りと、よく、これだけの怪我ですんだとほっとした気持ちと、少し、母親にも悪いところがあったんではないかと思っていたので、母親は悪くなかったんだと、安心したような、理不尽さに腹立つ気持ちと、なんとも複雑な気分だ。
警察の方が帰られて、まもなく、今度は、看護師さんからの聞き取り調査があったんであります。
またまた、続く~~。