曲がり角で 迷いながら

自分も家族も人生の曲がり角に。戸惑いの中の日々を迷いうろついています。

手術当日

2013年10月31日 | 高齢者

さて、手術当日になりました。

前日は表面上は和やかに別れた私と弟夫婦。

事故後約1週間、もやもやどころか、めらめらぐらいのものが、くすぶるいや、燃え上っておりましたが、一応、前日の話しでこちらはすっきり(ある程度)。むこうさんはいかがなものかはわかりませんが。

朝、手術に付き添うために病院に向かう途中で、めずらしく弟嫁よりメールあり。

一応、付き添えなくて申し訳ない。よろしくという内容。

まあ、一歩2歩前進でしょうか?

常勤で朝も早い弟嫁(しかも、片付けや掃除などは実家母が担当していたから、朝は大変だったでしょうけれど)が、そういうメールをよこしただけでも、かなりの前進ではあります。

しかし、この日は台風が近づき文字通り暗雲立ちこめる空模様。

とにかく、今日は実家の母が、前回の手術の時のように依頼心が強くなって、ベットに寝たきりにならないように、いやその前に、手術がうまく行きますように。それだけを願って、手術前も努めて明るく送り出し(実際、長時間の手術を受けているので、本人も私も、ある意味余裕ではあります。)予定よりも長くなる事も想定して、待機室で、なるべく、体を休めるように→時々まどろみながら→エコノミー症候群にならないように、時々その辺を歩いたりしながら、待っていると、まだ、手術室からの連絡のないうちに、「医療ソーシャルワーカー」なる人が、やってきました。

「今、整形外科に手術が無事終わり、迎えに来るようにと連絡がありました。手術後の処置の間に転院についての説明をしたいのですが。間もなく部屋に戻りますので、そちらに付き添っていただいて、部屋に戻られたら、ナーススティーション内の相談室においで下さい。」と言われました。

それから間もなく、Dr.から手術の様子の説明。

   写真はクリックで拡大します。レントゲンは事故直後のものです。

骨折は2ヶ所。特に細い骨の方の関節部分のところに、プレートを入れて、それをボルトで固定する予定が、うまくいかず、とりあえず、ボルトと、針がねの様なものをぐるぐる巻きつける固定をしたが、やはり骨がもろく、ボルトを打ち込むのも大変だったとの事でした。骨がもろいというのもですが、レントゲンで見るよりも、折れた部分がかい離してしまっていて、破片の方は薄いガラスのようになっている部分が多く、留めるに留められない状態だそうです。太い方の骨はもともと固定が出来ないので、そのまま。

関節部分なので、そのまま固まってしまうと、動きが制限されてしまうのは仕方が無いだろうと言う事でした。

固定したまま、3か月だそうですから、関節が固まって、それを動かせるようにするには、年齢的な事もあり、かなりの困難が予想されます。その間は他の筋肉を鍛えて、右足のかかと部分で立った状態で体を支えられるようにリハビリする事になります。

さて、手術室から無事帰ってきた実家母はベットごと部屋へ戻り、その後の処置。

一応ちらり顔を見て、一言二言話をしただけで、廊下に出て処置が終わるのをしばし待ち、「さっき、こうこう言われたので、呼ばれたら、行ってくるね。」と言っているうちに、「では」とよばれ、急いで相談室に行きました。

続く~~。

 このころには、すでに風雨が強くなってきていたのでした~~。

つうか、この後の話はすでに記事にしてあったのでした~~→  こちら

 法多山にお参りに行った時に見かけたお地蔵さん

お地蔵さんの前に置かれた、小さなお地蔵さんも、

お前掛けと紅いお帽子をかぶっていました。

ココログに写真をアップしました→こちら

参道を下りる人たちを陰ながら見守ってくれていますよ。