ウエッジ2019年6月18日
コカイン世界最大生産地コロンビアの現場から
柴田大輔 (フォトジャーナリスト)
コカインの原料となるコカの葉は南米原産の植物でアンデス山脈に暮らす先住民族は医療や儀式に用いてきた。
コロンビアで訪ねたある民族の家庭では、自宅の敷地でコカの木を栽培し、病気の際はその葉を煎じたお茶を飲む。
医療行為の他に、身体や土地から悪いものを取り去る「お祓い」「お清め」にも用いる。家族や近隣で事故など悪いことが続くと司祭を招き、コカの葉を咀嚼し儀式を行う。

コカを噛みながら、体調を崩す少女に医療を施す先住民族の医師(筆者撮影、以下同)
コカはその民族にとって、肉体や精神、空間を「良い」状態に保つための大切な植物だ。コロンビアで違法とされるコカ栽培は「先住民族居住区」内に限り、伝統活動として一定量の栽培が認められている。
しかし、近年蔓延する貧困から、栽培が認められていない地域でも違法的な形で麻薬産業が広まった。貧困と麻薬産業に振り回される先住民族の青年の話をしたい。
届いた1通のメール
「日本で働きたい」
昨年、コロンビアに暮らす友人からメールが届く。彼はマウロという26歳の青年だ。
マウロとの出会いは2007年、山岳地帯を取材する中で彼の家族と知り合ったことがきっかけだった。以来、親しい付き合いが今も続く。彼のメールにはこう書かれていた。
「元気かい?オレ、どうしても日本で働きたいんだ。どんな仕事でもする。面倒なこと言ってごめんな。でも、こっちには仕事がないんだ」
コーヒー生産地でのコカ栽培
マウロが暮らすのはコロンビア南西部カウカ県の山岳地帯で、コーヒー産地として知られている。家族単位でコーヒー栽培を営む住民が多い。
コーヒーは住民の貴重な収入源だ。マウロの家では曽祖父の世代に始まった。「カウカ産コーヒー」は日本でも目にする一大産地だが、急峻な斜面が続くこの山の耕作地は狭く、家族単位の小規模農家は収量も限られる。年に1度の収穫で大人数の家族を養うのは難しく、家畜や他の農作物の出荷と合わせた生活をしてきた。
近年、トウモロコシや豆類の価格が安い輸入作物の影響もあって下がり、収入の柱であるコーヒーも価格変動や病害のため不安定になった。その中でコカがより安定した収入源として生活に結びついた。コーヒーの農閑期に近隣のコカ栽培地へ収穫の出稼ぎに出る人が増え、自家消費向けの作物からコカに転作する人も現れた。
将来の夢を描けずにいる若者がいる
マウロは都市の大学進学を夢見ていた。彼が暮らす山は反政府ゲリラが強く、政府軍との衝突が頻発し、日常的な銃声と暴力に恐怖を感じながら彼は育った。広まるコカが暴力と繋がることも知っていた。この集落では過去に、麻薬組織から地域の自立を目指した住民運動の中心人物が暗殺されている。コカに頼る現状に後ろめたさを感じる人は多い。
深い山に閉ざされた土地で、暴力の恐怖を感じながらコカを摘む。マウロにとって都会での生活は、閉塞感を抱える故郷から飛び出し、世界の広さを実感するための一歩だった。マウロは努力の甲斐あり国内第2の都市メデジンの大学に入学する。この時彼は「心理学を勉強するんだ」と生き生きと希望を語っていた。
大学生活はマウロの姉が学費と生活費を支援した。彼女は住民によるコーヒー生産者組合で事務職に就き、毎月の一定の収入を得ていた。地域では稀な固定収入源を持つ彼女が家族の生活を支える。自身も2人の子を育てつつ、生活費を削り弟へ仕送りを続けていた。だが無理をしていたのだろう。入学から1年後に仕送りは止まってしまう。費用を賄えずマウロは大学を休学し実家に帰る。日本にいた私はマウロからのメールで休学の話を知った。
「コカを摘むしかない。それでお金を貯めてまた大学に戻れたら」
投げやりとも感じた彼の言葉から苛立ちが伝わってきた。
その後、マウロは大学を中退したと彼の姉の知らせがあった。メールには「マウロが家族を避けている」と、彼が周囲に心を閉ざしていることも書かれていた。やっと開きかけた将来への扉が、自分の意思と無関係に閉ざされる。やり場のない思いに折り合いがつけられなかったのだと思う。
「私の村には将来の選択肢がなかった」 農村の若者を取り込む武装組織
マウロのように、経済的な理由などで進路を閉ざされた農村の若者を武装組織は取り込んだ。2017年、反政府ゲリラFARCを取材した際、戦闘員は農村出身者が多数を占め、先住民族、アフリカ系も多かった。彼らにFARC入隊の動機を聞くと、ある男性戦闘員は「私の村には将来の選択肢がなかった」と話す。
彼は幼い頃、家のジャガイモ畑を手伝うため小学校を卒業できなかった。いくら働いても生活は良くならない。何かを変えたくても勉強もできずお金もない。
彼が19歳のときFARCが村に現れた。彼らは住民に、農村の貧困はコロンビアの差別的な社会構造に原因があると説明し、不平等な社会を変えるには革命が必要だと説いた。「革命を起こし社会を変える」という物語は、くすぶる青年の心に響いた。身体の奥から湧き上がる衝動のままに彼はFARCへ入った。
また先住民族である別の青年は、幼い頃に受けた町での差別が動機となった。町では山に暮らす先住民族に対し、言語や習慣の違いを嘲笑う場面が日常的にあったという。幼い彼の心に悔しさと羞恥が焼き付いた。彼はゲリラになることで「違う自分になれる気がした」と振り返る。
農村出身者の就職先として政府軍がある。お金を稼ぎたい、未来を切り開きたいという若者が持つエネルギーの受け皿として武装組織が役割を果たした面がある。
この両組織に関する2つの統計がある。
1つは2017年にFARC構成員約1万人の出身地域をコロンビア国立大学の調査したもの。構成員の66%が農村出身者だ。人種別では先住民族が19%、アフリカ系住民が12%。コロンビア全人口では先住民族は約3%、アフリカ系の人々は10%ほどであることと比較すると、農村出身者、社会的マイノリティーの人々の比率の高さがわかる。
もう1つは政府軍兵士の出身階層だ。コロンビアの情報サイト「Los 2 Orillas」によれば、政府軍兵士の80%が貧困層出身であり、中流階層19.5%、上流階層0.5%となる。貧困層の割合が圧倒的に高い。
コロンビアの貧困は年々改善されているが、今も農村の3割以上が、ひと家族が生きるために必要とする最低限の食料、教育、医療などを賄える収入以下で生活する「金銭的貧困(Pobreza Monetaria)」状態にあるという。特に開発から取り残される傾向が強い先住民族やアフリカ系住民が暮らす地域でその数字が高い。マウロが暮らすカウカ県はこの両者が人口の約半数を占め、県の同貧困率は48.7%に上る(国家統計局2017年)。カウカは全国で3番目に多いコカ栽培地(UNODC 2017年)であることも、こうした後進的な社会環境に所以する。
貧しい農村の若者が、選択肢のない中で新しい未来を切り開こうと麻薬産業に加担する。そこで銃口を向け殺し合うのも同じく周縁化された社会に属する若者だ。麻薬・紛争という社会が抱え続ける問題を彼らが一身に引き受けている。
再び閉ざされる未来、青年のその後
マウロが実家に戻り1年後に再び彼を訪ねると実家のコーヒー畑を手伝っていた。そこで私は嬉しい知らせを聞く。ある農業学校の奨学生に彼が合格したのだ。そこでは最新の農畜産技術が学べるという。学校のパンフレットを開き誇らしげにマウロが説明してくれた。遠方のため寮生活を送るが、学費、生活費は全額支給される。新しい生活への期待が彼を明るくしていた。
翌年、マウロは学校での経験をかわれコーヒー生産者組合から生産者の調査・指導を委託されていた。山に点在する家々を買ったばかりのバイクで訪ね歩く。私が「ついていっていい?」と聞くと、「もちろんだよ!」と嬉しそうにバイクの後ろに乗せてくれた。自分の勇姿を見せたかったのだろう。仕事のことを聞くと、誇らしげにいつまでも話をやめなかった。
「この仕事を続けて稼いだお金で60頭の牛を買い、学校で学んだ飼育方法を試したい」
夢を語る彼の姿は自信に満ちていた。
だが、その夢も閉ざされようとしていた。2018年1月にコロンビアで彼を訪ねると、やっと得た仕事が期間を延長されずに終了したという。次の仕事はその土地にはもうなかった。「またコカを摘むしかない」。ようやく差しかけた光を見失いかけていた。
「日本で仕事を探したい」という彼のメールが届いたのは、2018年2月に私が帰国して間もなくだった。日本語ができない外国人が仕事を得るのは容易ではなく、昨今の外国人労働者が置かれている不安定な状況から、私は「日本語を勉強するのがまず大切だし、仕事を得るには複雑な手続きが必要だ」と、消極的な返事を彼に送った。それに対しマウロは「900万ペソ(約30万円)あれば日本にいけるだろ?」と、以前、彼に聞かれて私が答えたおおよその渡航費をあげた。そして「なんでもしてお金を作る」と言った。
彼とのやり取りは今も続く。故郷を離れて出稼ぎにでているようだ。どんな仕事をしているかは聞いていない。あれから1年がたつ。「日本に行く」という話題は出ていない。
コロンビアから日本へ
日本で売られる輸入カーネーションの7割以上をコロンビア産が占める。自販機でも気付かずにコロンビア産コーヒーを買っていることがある。「コロンビア」という遠い国で生まれたものが、意外なほど自然に日本人の日常に入り込んでいる。
日本での1グラムあたりの末端価格が2万円以上とされるコカインは、その高額さから「セレブのドラッグ」と呼ばれているという。一方で、山岳部のわずかな土地を切り開きコカ栽培をする零細農家のひと月分の収入は、コロンビアの最低賃金と同程度の3万円前後。末端の生産者が必死に働きようやく手にすることができるのが、1グラムのコカインをわずかに上回る金額なのだ。
日本の薬物問題はコロンビアと直接関係はない。これからコカインを吸う人が、目前の白い粉に生産地を思うことはないだろう。コロンビアを知らない人がコーヒーやカーネーションを見てコロンビアを思うことなどないように。だが、両者は生産者と消費者という密接な関係で繋がっている。
テレビやインターネットでは、次々と話題にあがる薬物使用のニュースが日々消費されていく。だが、そんなこととは関係なく、コロンビアのある地域では今日も、明日の糧を得るためにコカの葉を摘む人々が汗を流している。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/16534