以前から興味を持っていた「ガラスCD」の試聴記事がようやく見つかった。
「フェルメールの楽器」~音楽の新しい聴き方~(2009.7)
著者は「梅津 時比古」さんで、沢山の音楽コラムを集めた本だがそのうち「クザーヌスのガラス」という項目に該当記事があった。(52頁)
まずご存知の方も多いと思うが念のため「ガラスCD」についての概要を。
現在プラスティックで出来ているCDの円盤の部分をレンズのような強化ガラスにしたもので2006年に日本で開発され、ガラスの優れた物理特性により、CDに刻印された音楽情報が濁りのない音になるとされている。もっと知りたい方はクリック、→ 「ガラスCD」。
1枚税込み20万円なり!
噂には聞いていたが自分のような貧乏人にとってそうそう買えるはずもなく、オーディオ店などで聴かせてもらう機会があればという感じだったが、とりあえず著者の試聴結果を引用させてもらおう。
曲目はカラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニーのベートーヴェン「交響曲第九番<合唱>」。音楽史上最高峰の一つとされる作品で鑑賞の対象としてまったく不足なし。
『聴き比べると、まさに白濁したプラスティックが透きとおったガラスになったような変わり方だ。オーケストラのさまざまな楽器、各声部がはっきり聴こえ、それでいて全体は豊かに統一される。一瞬、一瞬の繊細な音色と、目の前で聴いているような臨場感!
いちばん驚いたのは、かって、勢いだけで味わいに欠けると思っていたカラヤン指揮ベルリン・フィルの「第九」が、こんなにも繊細な表情に満ち、そのうえ毅然としている、ということだった。
この演奏は1962年の録音で、カラヤン全盛時の華やかな多彩な音色はまだなく、そのかわりに真摯に新しいベートーヴェン像を追求する緊張感にあふれる。
面白いのは、この62年盤がテープによるアナログ録音であることだ。最新のデジタル録音に比べてアナログ録音の方が、録音の精度は低いとされる。しかも40年以上を経て年数による劣化も大きい。ところがアナログで録音した音は、その後にカラヤンがデジタル録音した「第九」よりも、ガラスCDによって生き生きとよみがえっている。』 ~以下略~
以上のとおりで、人によって受け止め方が”さまざま”だろうが、「音楽コラム」を書いて20年の経歴を持つ著者の耳と良心を信用することにして、自分は次のように思う。
まず、何とか少しでも音質をよくして「いい音で好きな音楽を聴いて感動に浸りたい」と日夜を問わず頭を悩ましているオーディオ愛好家にとって、ハード面〔装置)よりも、むしろ「ガラスCD」といったソフト面からのアプローチによる改良の方が効果的というのが第一の盲点。
以前、CD盤のレーベル面にカッターナイフで薄く線を刻む「江川カット」を紹介したことがあって、これはたしかに効果があったがこの「ガラスCD」の場合は素材そのものを見直しているのでその効果はさらに計り知れない。
今のところ、1枚20万円という非現実的な価格は到底受け入れがたいが、日進月歩の技術により、いずれガラスに近い透明度を持つ安価な素材と、それに応じた音楽情報の刻印方法が開発されるかもという期待感に思わず気持ちが弾むところ。
さらに、そのこと以上に昔のアナログ録音がデジタル以上の音質でもって生き生きとよみがえるというのが何よりも楽しくなる。
今どき、昔の演奏家の録音が「いい音」で聴けるかもしれないなんて感動ものである。
懐古趣味と言われればそれまでだが、1940年~1950年代に活躍した指揮者や演奏家たちの演奏がずっと記憶に残っていて耳から離れない。
フルトヴェングラー、トスカニーニ、ジネット・ヌヴー、オイストラフ、リパッティ、ハスキル・・・。
彼らが活躍した時代は第二次世界大戦前後の人間の生命がいとも簡単に失われる荒廃した時代とその復興期。いわゆる音楽芸術に「魂の救済」が求められた時代。
あえて比較させてもらうと現代の演奏家たちとはそもそも「芸格」が違うように思う。
この辺はジネット・ヌヴーが弾く「ブラームスのヴァイオリン協奏曲」(イッセルシュテット指揮)を聴いてもらえれば「一聴瞭然」。
こういうクラシック黄金期の演奏がオーディオ装置改良の限界を超えて、次々といい音質で蘇る時代がやってくるのであれば、これはもうたまらないが時間との競争になるのは明白。
さてさて、長生きはしたいものの天命はいつのことになるのやら!