最近、新しい出力分配器の購入によって、見違えるほど音の鮮度が上がった我が家のシステム。
ついつい、うれしいときは誰かに聴いてもらいたくなるのが自分の悪い(?)クセ。もちろん誰かといっても、来ていただく人は決まっている。
湯布院のA永さん。
もう10年以上もこういった交流が続いている。もちろん、A永さん宅の装置が変わったときは自分もすぐに駆け付けるが割合から言うと「1:5」くらいで我が家に来ていただくことのほうが圧倒的に多い。
オーディオ愛好家とは、ただ機器とにらめっこしている「音キチ」というイメージが強いが、実は人との交流がたいへん大きな意味を持っていて、自分の装置に対する率直な批評を聞かせてもらったり、あるいは他人の装置を聴くことによって初めて進歩が生まれると考えている。
さて、その良きアドバイザーが24日(月)の午後お見えになったが、聴いていただいたときの第一声が「透明度が上がりましたねえ~」。
そう、そう、鮮度よりも「透明度」という言葉のほうがずっと的確な表現。自分の場合、音質へのこだわりにあたって重視しているのはまず、楽器の音色がそれらしく鳴るということと、「奥行き感」の二つ。
前者の場合、ヴァイオリンはヴァイオリンらしい音色、ピアノはピアノらしい音色、というわけでこれは「原音再生」にも大きくかかわってくる。
これはすべてのオーディオ愛好家にとって共通かつ永遠のテーマともいえるが、自分は「生の音楽会なんてどうせ拙い演奏に決まっているので聴きに行かない」という偏屈人間なので、原音そのものに疎い可能性もあり、あまり大きなことは言えない。
そして、「奥行き感」こそは絶対譲れない線。
これは自分なりに表現させてもらうと各楽器相互の演奏されている位置が立体的に再現されるという意味。
たとえばヴァイオリンの後ろに管楽器が控え、さらにその後ろにティンパニーといった前後の位置関係がきっちり出てくることがポイント。
この「奥行き感」は音の「透明度」が上がれば上がるほどより的確に表現されてくるが、もちろん位相の合致とかいろんな要素を含んでいるのでこれも一筋縄ではいかない。
とにかく増幅装置でもないこの程度の分配器、しかも小額の投資でこんなに透明度が上がるのだから貧乏性の自分にはこういうのが一番うれしい。A永さんも早速注文するとのことだった。
さて、今回の試聴に使った曲目はマリア・カラスの超絶技巧を駆使した「歌に生き、恋に生き~歌劇”トスカ”より~」。
いやあ、たまにマリア・カラス(ソプラノ)を聴くと感情移入が素晴らしくて圧倒されるばかり。この歌唱を聴いて感動しない人はクラシックを語る資格なし!
カラスの前にも後にもカラスなし、これはもう永遠の歌手といっていい。A永さんに言わせるとソプラノではカラスがダントツで次がテバルディ、後は十把ひとからげだそうだ。
テノールではあの「デル・モナコ」で決まりとのことで、元首相でオペラ好きの小泉さんも百年に一度出るか出ないかの歌手だと本に書いてた。
自分も同じような意見だが、ミレルラ・フレーニ(ソプラノ)の柔らかい声も好き。「私の名はミミ~歌劇”ボエーム”より~」なんか聴いてるとウットリ陶然としてくる。
ともあれ、ヴァイオリンやピアノもいいが、プロの鍛えられた美声を聴くと、これはもう最高の楽器かもしれないなんて思う。オーディオ装置でいえばスピーカー。
丁度、声帯がSPユニットにあたり、ボックスが肺を含めた身体全体に当たると思えばピタリと符号する。