オーディオに関連する記事を頻繁にブログに登載していると、よそ様の目から見て自分はどう写っているんだろうかと気になることがときどきある。
「熱心で微笑ましい」との印象を与えていればいいのだが、熱心を通り越して「この人、ちょっと病的じゃないか」というイメージを持っている人のほうが多いかもしれない、なんて考えるわけ(笑)。
「音楽とオーディオ」の関係はいわば「目的と手段」とに置き換えられるが、古来、目的と手段の混同による弊害は幾多の例があってけっして好ましいことではないが、オーディオに限っては簡単に実験結果が出るし、その泥沼の過程に奇妙な快感が伴うのでなかなか止められない。
そこで、本人さえ満足していれば”それでいいじゃないか”と開き直る手もあるが、根があまり逞しくないので(笑)、心理的な居心地の悪さというのはどうしても拭えない。
まあ、それはそれとして日頃から不思議に思うことが一つ。
楽器を演奏する人をはじめ音楽評論家、さらには音楽学校に学んで専門的に勉強した方などのほとんどに、オーディオに熱心な方をまず見受けない。こういう方々こそ日頃から生の音に接しているのでひときわ「いい音」には敏感なはずなのに。
いったい、なぜだろう?
素人考えでいくつか挙げてみよう。
1 常日頃、半分仕事みたいな意識で生演奏に携わっているので自宅に帰ってまで音楽を聴こうとは思わない、つまり日常生活の中に仕事を持ち込みたくない。
2 ほとんど毎日、歪みのない生の音を聞いているので電気回路を通した人工的な音を聴く気がしない。
3 他人の演奏をなるべく聴きたくない。芸術的な見地から影響を受けるのがイヤだから。
4 他人の演奏のアラが分かるから聴きたくない。むしろ音楽を聴くよりも演奏者のテクニックの上手下手に関心がいってしまう。
5 ちょっと「ましな音」で聴こうと思っても、オーディオ装置はどうも高価すぎる。それくらいのお金があれば「いい楽器」のほうを優先する。
以上のとおり、アトランダムに挙げてみたが実は「決定的とも思える理由」をメル友さん(東京)から教えていただいた。ことはオーディオに対する姿勢にも及ぶとてもユニークな内容だった。