ご存知の方も多いと思うが「パレートの法則」というのがある。
ある事象の2割が、全体の8割を生み出しているという状態を示す経験則である。別名「20:80の法則」ともいわれている。
以前のブログ「女流ミステリー作家」(2016.1.22)で柚月裕子さんの著作「パレートの誤算」でも話題にしたことをもしかしたら覚えている方がいらっしゃるかもしれない。
分かりやすいように、主な例を挙げると(ネットからの引用)、
☆ webサイトは2割のページにサイト全体の8割のアクセスが集中する
☆ 売り上げの8割は全体の2割の顧客で占められている
☆ あるソフトウェアの利用者の8割は全体の2割の機能しか使っていない
☆ 勤務時間の2割でその日のアウトプットの8割を実現している
そして、ここでふと思いついたのが「世界中の富の8割が2割の大富豪に集中している。」
結構思い当たる節がある方も多いのではないだろうか(笑)。
振り返ってみると現役時代に職員研修の業務に当たっていたことがある。
たとえば講師を読んで対象人員が100名の研修をやったとすると効果測定のために研修後の感想文を収集してみると研修の意義や内容をきとんと理解していた人数は20名程度でここでも「パレートの法則」が当てはまっていた。
残りの80人はいわゆる「箸にも棒にもかからない」連中ということになる(笑)。
ちなみにご存知の方も多いと思うが「啐啄同時」(そったくどうじ)という禅語があって、「広辞苑」の解釈ではあまりにも素っ気なさ過ぎるのでネットから引用してみた。
鶏の雛が卵から産まれ出ようとするとき、殻の中から卵の殻をつついて音をたてます。これを「啐」(そつ)と言います。そのとき、すかさず親鳥が外から殻をついばんで破る、これを「啄」(たく)と言います。
そしてこの「啐」と「啄」が同時であってはじめて、殻が破れて雛が産まれます。これを「啐啄同時」と言います。これは鶏に限らず、師匠と弟子、親と子の関係にも学ぶべき大切な言葉です。
要するに両者の呼吸が合わねばことはうまく運ばないという意味だが、万事そういうことなんでしょう。ただし、長期的な視点では机の引き出しに部分的にも収納しておくと何時かは役に立つかもしれないので、いちがいに残りの8割を排斥するわけにもいかない(笑)。
そして現在の我が身近な事例で当てはまるのがブログのアクセス数である。
現在、1日あたりの当ブログのアクセス数は「850 IP」前後である。そして加入している「ランキング」にポチッと押してくれる数はせいぜい170前後である。見事に2割程度に落ち着いている。
つまり、残りの8割は「知らんふり」なのである。「暇つぶしに読んでやっている」という姿勢が見え見えだ(笑)。
しかし、もし自分が読者側だったら、そしてスマホで見ているとしたら多分押さないだろうなあ。だいいち面倒くさいし、運営元の不備を突いたウィルス感染の心配も100%ないとは限らないからね~。
したがって、ポチッと押すのはリスクを顧みないほどの「共感的かつ犠牲的精神の持ち主」であって、現状の2割というのが精一杯というところだろう。
一事が万事で、お互いの顔が見えないネット社会では「5人に1人」の確率が通用していると思っていれば無用の”いら立ち”もしなくて済みそうだ(笑)。
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