「カレンとシャロン」
カレンは40代半(なか)ばだろうか。いつも地味な柄の、ふわっと広がった長いワンピースに白いズック靴、化粧っけなしの素顔、そして腰まである長い赤毛をうしろで束(たば)ね三つ編みにしている。いつ会っても、それ以外の格好を見たことがない。
ダライラマ14世の代理人も務(つと)める彼女、時々、スイスからスコットランドの我々を訪ねて来る。
カレンは、アフリカの子供たちを飢餓(きが)やマラリアから救う活動を、長年、地道(じみち)に続けている人でもある。つまり、この世から消えさる寸前にあった幾多(いくた)の幼い生命が、彼女の献身(けんしん)的活動により、生きながらえて母の姿を自分の目で見ることが出来たわけですね。
ある時エディンバラで、彼女とも親しく、我々とも時々一緒に活動をしているイヴェントプロデューサーのドイツ人ヴィクターに、カレンの生(お)い立(た)ちを聞いた時は、まあ驚いた。
スイスの世界的食品会社(そう、誰でも知ってる、コーヒーで有名なあの会社)の創始者の家系、つまり億万長者の家に生まれた彼女は、小さい時、運転手付きのロールズロイスで幼稚園や小学校に通っていたという。もちろん欲しいものは何でも手に入る何不自由ない子供時代を過ごした。そういう生活が当たり前だと思っていた彼女に、一生を左右させるほどの衝撃(しょうげき)を与えたのが、高校を修(お)えた年に訪れたアフリカだった。
ヨーロッパの他の国の青年たちと参加したキャラバン旅行の途中で見た光景…
栄養失調の幼い子供たちが目の前で死んでいくそのショッキングな光景は、今まで見たことも聞いたこともない、彼女にとっては、まったく想像すらしなかった未知の世界だった。あまりの衝撃に目の前がクラクラし、その場に立ちすくんでしまったという。そして、その衝撃的体験(しょうげきてきたいけん)が、彼女の生きる方向を決めた。
その後、親の強い反対を押し切ってアフリカへボランティア活動に出向き、アフリカ各地で、無我夢中(むがむちゅう)の7年間を過ごしたと云う。そして国へ帰ってきた彼女は、根本的に別の人間になっていた。あらゆる贅沢(ぜいたく)にはもういっさい目が向かず、寝ても醒(さ)めても自分に何が出来るのかを模索(もさく)し続けたと云う。
<人の為に何が出来るか>…これが、彼女にとっての永遠の命題となった。
そして遂(つい)には、アフリカの子供たちを飢餓(きが)から救うファンドを立ち上げ、ユニセフなどとも連携(れんけい)しながらのNGO活動に全身全霊(ぜんしんぜんれい)を捧(ささ)げることになる。大邸宅から、事務所も兼ねた質素なアパートに移った彼女の意思の強さ固さに、とうとう両親も理解を示し、以後、協力を惜(お)しまなくなったと云う。 さらに、愛してやまない一人娘の確信に満ちた行動に、誇りすら示すようになったとも云う。
カレンの驚嘆すべきストーリーを聞いて目を丸くしている僕に、ヴィクターが一息ついて付け加えた…
「カレンの献身的(けんしんてき)な歩みを知ったことが、それまで儲(もう)けることばかり考えていた私を大きく変えたんだよ」 だからヴィクターは、僕たちアラントンのイヴェントやプロジェクトに無報酬で積極的に協力してくれるんだね。
ところで、ラグビーやオートバイなど、僕と共通の趣味をもつジェイクは、まったく気の置けない、隣り村に住む親しい友人です。その彼が、「バカンスで10日ほどスペインへ行くから、オートバイ貸したろか?」(オートバイ、正しくはモーターサイクル或いはモーターバイク、そして、バイクは自転車のことです)
女房のキャロラインは所用でスイスのカレンに会いに行って不在やし、これは嬉しい申し出やないか。で、彼の、BMW1100cc水冷4気筒の大型オートバイを借りてロンドンへ行くことにした。
ロンドンでは、ミュージシャンをしている長女くれあのライブを聴いた。ライブ終了後、大英博物館近くの赤ちょうちん「酔処(よいしょ)」で、人肌燗酒(かんざけ)と塩辛や板わさなど、スコットランドではお目にかかれない貴重な珍味をいただいて、もうニコニコ顔の僕の脇で、うどん、ギョー
ザ、さらに梅干茶漬を嬉しそうに食べているくれあ…
あゝ幸せやと、久しぶりにロンドンの夜を堪能(たんのう)した。
翌日、スコットランドへ帰ろうと準備しているところへ、スイスにいるキャロラインから連絡が入った。僕に、ジュネーブへ来て、ユニセフやカレンとの共同プロジェクト「アフリカ・ピース・デー」の仕事を手伝って欲しいという。どうやら手が足りないらしい。
で、ロンドンからジュネーブへのエアチケットの手配をしている時、…そうや、このままオートバイでスイスまで行ったろかいな…と、相変(あいかわ)らず成り行き任(まか)せのエエ加減さが頭をもたげてきよった、いやはやですね…
で、ユーロトンネル(通行料高い!)でフランスへ、さらにフランスの、平坦であまり変化のない田舎道(いなかみち)をひたすら走った。美味(おい)しい店が多いグルメの街リヨンで何か食べたかったけど、我慢して走り、そして、やっとこさジュネーブのキャロラインが泊(と)まっているホテルへ着いた。
しんどかった。歳(とし)をとるとオートバイはきついわ。でも、久し振りのオートバイ、やっぱりエエなあ、とても楽しかった。
駐車場にオートバイを停めていると、ホテルのテラスで、キャロラインがカレンや友人たちとお茶を飲んでる姿が目に入った。ヘルメットを脱ぎ、オーイ!と叫ぶ。キャロラインが驚いて立ち上がった。カレンも立ち上がり、二人とも僕を見て目を丸くしてる。
「ウマ! オートバイで来たの!? ナニ考えてんの、呆(あき)れたー!」
自分でも呆(あき)れるわ。
「いやあ、カレン、久しぶりやね!元気?」
挨拶(あいさつ)しホッとひと息つく。ロングドライブのあとの冷えたビールが実に美味(うま)い! ひとしきり、スコットランドからロンドン、そしてジュネーヴまでのオートバイでの道中の話しをしたあと、アフリカから帰ったばかりのカレンの話を聞いた。
アフリカでは民主化が進展する国もある反面、部族間対立が引き起こす政情不安が今でもおびただしい数の難民を生み、子供たちが真っ先にその犠牲(ぎせい)になっている図式は、昔も今もほとんど変っていない。治安(ちあん)はもちろん、衛生状態の劣悪(れつあく)さが子供たちを直撃している地域が山ほどあると、彼女は顔を曇(くも)らせる。
国連や各国政府の医療援助などは非常にありがたいけど、部族間同士の報復の連鎖や、住民のことなど眼中にない独裁政権に対する、もっと根本的な解決策に、国際規模での知恵を働かせてほしいと言う。それに日本からのODAなど、援助の資金を自分のポケットに入れる政府高官が少なくなく、正しく使われていない現実に何度も出くわしたとも云う。
カレンがアフリカの子供たちに寄せるシンパシーは普通じゃない。今のNGO活動が自分の天命だと思っているのは話を聞いていてよくわかる。化粧もしない質素で地味な雰囲気からは、子供の時、ロールズロイスで学校に通ってたなんて、とても信じられない。しかし、化粧して美しくなる以上に、生き方や信念そのものが、その表情を生き生きと美しくしているし、その凛(りん)とした瞳の輝きも普通じゃない。
誰が見ても彼女は美人だと思う。でも、こういう人には、異性としての魅力などとは次元の異なるオーラのようなものを感じて、僕は、すごく爽(さわ)やかな気分になるんだよなあ。男でも女でも尊敬できる人は尊敬出来るんですよ。また、そうでなくちゃいかんと思うよ。
オートバイでの長距離ツーリングは自動車の何倍も疲れる。ま、充実感のある心地よい疲労だけど。でね、焼き立ての香ばしいクロワッサンに地チーズ、それにスイスの地ワイン(コレがめちゃいける)など、皆とワイワイやりながらすっかりくつろいだ頃、カレンのケータイが鳴った…
「…もしもし、ああシャロン、久し振りね、その後元気? いまね、スコットランドのキャロラインが来ていて、ユニセフと共同で催すアフリカピースデーの打合せをしているところなの。ご主人のウマもついさっきオートバイで着いて、皆で呆(あき)れてたところ…」
「シャロンは私の最大の理解者の一人よ。ちょっと挨拶してみない?」と嬉しそうにケータイをキャロラインに渡すカレン…
「初めましてシャロン。あなたのことはカレンから聞いてますよ。いつか会いましょうね」とキャロライン、しばらく親しげに話したあと僕にケータイを渡す。急にこっちに渡されても困りますがな。めちゃ美味(おい)しいスイスワインでエエ気分になってるのに…
「ハ、ハイ、シャロンさん、ウマです。そう、キャロイランのハズバンドです。スコットランドへ来る機会があればぜひウチへ寄ってくださいね」
「わたし、エディンバラの映画祭には参加したことがありますよ。スコットランドは好きですねえ。一度ゆっくり訪ねたいと思っています…」
このシャロンさん、落ち着いた低めの声がすごくハスキー…。とても魅力的なアルトでしたね。そのあと、カレンが、シャロンとの幸福な出逢(であ)いを語ってくれた。
アフリカの難民救済救援活動をするいくつかのNGOが合同で主催したアムステルダムでの集会で、アフリカの子供たちの深刻な現状をリポートしたカレンに、集会のあと面会を求めてきたのがアメリカから来ていたシャロンとの出逢いだったと云う。そしてその場でいきなり2万ドルの寄附(きふ)をしたいと申し出て、カレンの目を丸くさせたそうです。その時以来、シャロンはカレンの活動を積極的に後押(あとお)しするようになった。
類は類を呼ぶんだなあ。彼女たちのミッションの実現には、気の遠くなる時間と不屈(ふくつ)の忍耐(にんたい)と努力が必要だろう。一円にもならない仕事に自身の生きる価値を見いだし情熱を捧(ささ)げるカレンやシャロン…
こういう人たちを尊敬しなくていったい誰を尊敬する?
ところで、キャロラインという人、人を見下(みくだ)したり、逆に卑屈(ひくつ)になることもない、如何(いか)なる人に対しても態度が変ることのない稀有(けう)な人だと云えます。
ダライラマ14世やスコットランド政府の大臣たちとの会見、さらに、エリザベス女王への謁見(えっけん)など、そういう有名人著名人との接触に特に興奮もしない。僕みたいなミーハーが、得意げにそういう話を人にするのも好ましく思っていない。
例のシャロン…彼女が如何(いか)なる人物か、キャロラインは知っていたのに僕には云わなかった…
ある時、テレビでハリウッド映画を観てたとき、キャロラインが画面の女優を指差(ゆびさ)しボソッと呟(つぶや)いた。「カレンをサポートしているシャロンよ」…
カレンをサポートしているシャロン?…
彼女がハリウッド女優シャロン・ストーンだと知ったのは、電話で挨拶してから二年以上も経(た)ったあとの事でしたね。