24日(金)は久しぶりに晴れ間が顔を出す中、3か所の図書館を巡った。
全ての貸出限度を合わせると「25冊」になるのだが、さすがに2週間の期限内には読めないので今回ばかりは「ぜひ読みたい」という本に絞って借りてきた。
その中に「チャイコフスキーがなぜか好き」(PHP新書)という本がある。著者は名古屋外国語大学学長(2023・3・26現在)の亀山郁夫氏。近年、「カラマーゾフの兄弟」をはじめロシアの文豪「ドストエフスキー」の一連の著作の新訳で著名な方。
文学のみならずクラシックにも興味がおありとは、連帯感を彷彿とさせてくれるが、「チャイコフスキー」がお好みとはちょっと意外。
いわゆるクラシック通の間で「チャイコフスキーが好き」なんて広言することは、何だか”はばかられる”感じを持つのは自分だけだろうか。
なにしろ(チャイコフスキーは)覚えやすいメロディが多いので、ちょっと聞きにはとても親しみやすいのだが、何回も繰り返しての鑑賞に耐えるには少し物足りない音楽という気がする。したがって、どうしても初心者向けの軽いイメージが先立ってしまうが、作曲家自体もそう見られがち。
本書の題名の中にわざわざ「なぜか」という言葉が挿入されているのも、著者のその辺の思いがシグナルとして示されているように思う。
つい、いつぞやのブログの中で「ショパンなんて所詮は二流の音楽」と勝手に決めつけたことを恥ずかしながら思い出してしまった。
ありていに言うと、ショパンの音楽だって「親しみやすさ」という点ではチャイコフスキーと似たようなものだが、いくら筆の勢いとはいえ歴史に名を刻む大作曲家を二流とかいって一刀のもとに切り捨てる資格が果たして自分にあるのだろうかと内心、わだかまりがずっと残っていたので、亀山さんの率直な物言いが妙に心に響いてきたという次第。
結局、作曲家の位置づけなんていろんな(作曲家たちとの)距離感のもと、個々の心情の中で相対的に決まるものであって、そ~っと心の中に秘めておけばいいものを、何も他人に向けて情報発信までしなくてもよかったのに、というのが現在の心情である。あ~あ、「雉も鳴かずば撃たれまいに」(笑)。
ところで作曲家に一流とか二流とかのレッテルは不遜にしても、世間一般のランク付けというのは果たしてあるのだろうか。
実は本書の30頁に興味深い記事があった。ロシアの作曲家たちがクラシック音楽の世界でどのような位置づけにあるのかという視点からロシア通の著者がウェブで調べた結果が次のとおり。
「今日、世界のコンサート会場で演奏される曲目の国別統計を取るとしたら、どの国の作曲家が最高位にランクされるのだろうか。そんな非音楽的な好奇心にかられてウェブ上に情報を求める。統計は見つからなかった。そのかわりに、「百人の音楽家たち」と題するランキング表が出てきた。(「100 Greatest Classical Composers」)。設けられた基準は次のようなものである。”彼らのイノベーションや影響力だけでなく、その美学的な重要性と歴史的な意味の重さ”」
さっそく、「100 Greatest Classical Composers」と打ち込んでググってみた。ちなみに、最初は「百人の音楽家たち」としてみたが、これでは見当はずれで出てこない。あくまでも「英語」で打ち込まなくてはならない。
そして出てきたのが、次のランキング。全文英語なので、これが日本のみならず世界的にグローバルな”ものさし”だといえよう。
1 ベートーヴェン 2 モーツァルト 3 バッハ 4 ワーグナー 5 ハイドン 6 ブラームス 7 シューベルト
8 チャイコフスキー 9 ヘンデル 10 ストラヴィンスキー 11 シューマン 12 ショパン 13 メンデルスゾーン
14 ドビュッシー 15 リスト 16 ドボルザーク 17 ヴェルディ 18 マーラー 19 ベルリオーズ 20 ヴィヴァルディ
これまで、自分の好み次第で作曲家の位置付けを勝手に決めつけていたが、このランキングでいろいろと考えさせられた。
まず上位4名の顔ぶれにまったく異論なし。もはや時代遅れと思っていたベートーヴェンが1位とはさすが~。
しかし、ハイドン、メンデルスゾーン、リストが20位以内に入るのは意外だし、近年コンサート会場を席巻しているマーラーが18位とはちと後ろ”過ぎる”かなあ~。そして「ブルックナー」が入っていない!
今回、話題に取り上げたチャイコフスキーが8位、ショパンが12位というのもちょっと上位”過ぎる感があるが、音楽とは各人の環境や個人的な体験、性情によって大きく左右されるから、自分のものさしが合わないだけの話。
ただし、最後に、チャイコフスキーの音楽について、著者の友人(音楽批評家)のコメントが印象に残った。(141頁)
「私はチャイコフスキーの音楽(メロディ)に”いじわる”なものを感じます。とてつもない自己愛から来るもの。だからチャイコフスキーの奇跡のように素晴らしい音楽にはものすごく興奮し、感動もするけれど、慈愛を感じない。
作曲家はみんな自己中心的でナルシストだけれど、創作しているうちに、音楽への愛が自己愛を上回る瞬間というのが必ず来ると思う。チャイコフスキーの場合はたぶん、音楽より自分の方が大好きだったのではないか、と思えるんですね。そう、あの人の音楽、聴いても何か癒されない・・・・・・」
文中の「チャイコフスキー」を「ショパン」に置き換えても同じことが言えそうな気がするのだが、皆様はいかがでしょうか?
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