つい先日のブログ「音と音の間の沈黙を聴く」は近年にない大ヒット(アクセス)でした。匿名の方からも次のようなメールをいただきました。(抜粋)
「昨日まで家内と 東北方面(秋田、岩手)へ旅行でした。新潟岐阜地域は大雪でしたが 行ったところはそれほどの降雪は無く旅もスムーズに終わりました。
角館武家屋敷の大雪に囲まれた異次元の世界を楽しみにしていましたが 降雪の中、樹齢3-400年の樹々は雪化粧少なくすこし残念でしたが 途中の山々でみた全ての物を内に隠しての単調な樹々たちの モノクロの素朴な世界。
帰ってから読んだブロブ主のサティの世界と相通じるものを感じました。
曲では やはり ジムノペディア1番の世界が 私は好きです。夜 寝る前によく聞きます。」
メールありがとうございます。ほんとうのクラシック通によく見られる「音と音の間の沈黙を聴く」仲間がいらっしゃるのは心強いですね。
で、ブログの中で取り上げていたモーツァルトの「ピアノソナタ全集」。
ピリスの演奏にゾッコンでしたが、同じくらい素敵だと思ったのが「内田光子」さん(上段の右端)でした。
今や、日本が生んだ世界的なピアニストですね。
クラシックの場合、ピアノとヴァイオリンが楽器の双璧となりますが、前者の場合表現力が多彩なのでたった1台でオーケストラの代役だって務まるのが凄いところです。
ちなみに、表現できる周波数の範囲はピアノがおよそ「40ヘルツ~6000ヘルツ」、ヴァイオリンがおよそ「170ヘルツ~1万ヘルツ以上」となっています。40ヘルツまで出るなんて、ちょっと驚きますがあの図体からすると さもありなんです(笑)。
さて、ハイライトは内田光子さんです。彼女の世界にちょっと分け入ってみましょう。
聞くところによると彼女が弾いている愛器「スタンウェイ」(一説によると4千万円で購入?)は特別につくりがよくて抜群の響きだそうだし、しかもフェリップス・レーベルでCDを輩出しているので録音もいいとなると、まさに芸術家としての資質と周辺のテクノロジーが両立した近年稀にみる演奏家だといえそうです。
何といっても彼女のCD盤はまずハズレが無い。あのとびっきり難しいベートーヴェンのピアノ・ソナタ32番だってバックハウスに迫る勢いだし、録音がいいだけにむしろ総合力では上かもしれませんね。
さらには、演奏家としての活動のほかにいろんな人たち、たとえば音楽評論家などとの対談が非常に多く、これらを通じて音楽への造詣がことのほか深いのに驚かされました。
それでは、まずネット情報から。
1948年静岡県生まれとあります。ということは当年とって77歳前後。ずっとロンドン住まいで2001年、英国エリザベス女王より「サー」に続くCBE勲章(大英帝国勲章)を授与されています。
また、音楽評論家濱田滋郎氏との対談「内田光子の指揮者論」によるといろんな音楽を相当深く聴きこんでおり特に指揮者フルトヴェングラーへの傾倒が目を引いた。これだけでも音楽への接し方におよそ見当がつこうというものです。
次に、文献として次の本から。
「ピアノとピアノ音楽」(2008年7月10日、音楽之友社刊) →
著者の藤田晴子さんは1918年生まれ、昭和13年に日本音楽コンクールピアノ部門の第一位。昭和21年に東京大学法学部の女子第一期生として入学した才媛。
本書の268頁~275頁にかけて、内田光子さんに関する詳しい記述があったので箇条書き風に引用させてもらいました。
☆ ドイツやオーストリアの大使を務めた外交官「内田藤雄」氏のご息女であり、12歳で渡欧、ウィーン音大を最優秀で卒業し、1970年ショパン国際コンクールの第二位という今でも日本人としては最高位の入賞を果たした。
☆ 佐々木喜久氏によると内田光子さんが一気に「世界的」となった契機は1982年6月のロンドンのウィグモア・ホールにおけるモーツァルト・ピアノ・ソナタ全曲演奏だった。このときはリサイタルを5回に分けて火曜日ごとに開き「ウチダの火曜日」(ファイナンシャル・タイムズ)という今や伝説的にさえなった名コピーが生まれたほどの鮮烈なデヴューを果たした。
このときの演奏がもとで、メジャー・レーベル、フィリップスによりモーツァルのソナタと協奏曲の全曲録音という大事業に結びついた。
内田さんも後日、対談で「いろんな試行錯誤を繰り返して、完全に抜け切れたのは、やはり、モーツァルトのソナタを全曲演奏で弾いたとき(’82年)。突然、自分の音楽の形がスパッと見えちゃったんです。」
☆ 次にアメリカでの好評。同じく佐々木氏によるとモーツァルト没後200年に湧くアメリカでの「内田のニューヨーク初のモーツァルト・ソナタ・シリーズは注目の演奏会だった。高名な音楽評論家が、内田さんの初日演奏のあと「モーツァルトを愛する人は、是非ウチダの演奏を聴きに行くべきだ」と批評の中に思わず書かずにいられなかった。」という。
☆ 「この40年はロンドンでひとり住まい」に対して「私がつくっている西洋音楽の世界というものは、私程度の才能では日本に住んだら死んでしまいます。私が勉強したウィーンには伝統の良さと悪さの両方があってモーツァルトはこういうものというような押しつけがましい規則にあふれていました。英国の方が自由な空気があるはずだと本能的に思ったんです。実際にそうでした。ロンドンが私の家。ああ、帰ったなとほっとします。」これで彼女のロンドン好きの謎が解ける。
☆ 先年の来日記念会見で内田さんは「1000回生まれ変わったら998回はピアニストに」と言っておられる。あと2回はヴァイオリニストにというのも面白い。
☆ 今後「20世紀のものをどんどん取り上げたいですね。シェーンベルクとヴェーベルンを中心に、これを広げて「ウィーン派と新ウィーン派とその友人たち」とするとモーツァルトもシューベルトも入ればベートーヴェンもブラームスもバッハも入る。面白いプログラムをつくってみたいな、と。
それと乗りかかった船でベートーヴェンの協奏曲集。シューベルトとシューマンとかドイツ語の世界にも気を引かれます。だから、もう人生短くて、短くて、アホなことやってられない」
※この「アホ」なことに因んで次のような言葉がある。「私は口紅1本持っていません。そんな時間が勿体ないから」 アハハ・・、(笑)。
最後になりますが、「少なくとも80歳まではピアノを弾き続ける」といわれる内田さん、今年も日本公演が行われるようですね。
日本と西洋の「文化と価値観」が合体しているといわれる独自の「内田節」が今後さらに完成度を高めて、歴史に名を刻むピアニストとして人々の記憶にきっと長く刻み込まれることでしょう。
冒頭の話に登場した角館の武家屋敷「つらら」の写真です(ご提供)。
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