新聞やネットの情報によると「天皇陛下」の心臓機能に異常があったとして東大付属病院で冠動脈の検査が行われたそうだ。
ご存知の方も多いと思うがつい4~5日前の話。
自分も最近タイミングよく(?)心臓カテーテル手術を行ったばかりなので、”同病相哀れむ”とは僭越極まりないが興味深く見守った。
そしてその検査の結果では、加齢により心臓の動脈硬化が全体的に進行して血管がやや細くなっており、取り分け1箇所にやや顕著な徴候が見られたが、当面治療方針は「薬物治療」でいくことに決まったと報じていた。
それほど案じられたご様子ではないようだが、今回の自分の経験を通じて医師からの話などを総合すると「一旦動脈硬化で細くなった血管は再度自然に広くなることはまずありえない」と聞いている。
そこで「あれっ、カテーテル治療で心臓血管にステントを入れれば勝負が早いのに」と意外に思ったものだった。
当該医師団がまさか「玉体に異物を入れる」ということを理由にためらったわけでもあるまいが。
まあ、心臓血管にステントを入れると血流を良くする薬や、血栓を防ぐ薬を一生飲み続けなければならずプラス、マイナスの両面があるのだろう。
しかし、自分の思うところ、この「薬物治療」は時間稼ぎに過ぎず、今後、厳密な健康管理が行われるだろうが、いずれはステント挿入の治療に移行するのではあるまいかという気がする。
とはいえ、あくまでも素人判断、とても出る幕ではなさそうで日本で考えうる最高レベルの医師団が決めたことだから、現時点でベストの治療方針なのは間違いなかろう。
それにしても、もし陛下のカテーテル治療を行うとすると当該医師はさぞや緊張することだろう。うまくいって当たり前、もし失敗すると医師としての生命は断たれるという悲惨な結果に。
「光栄」に思うか、「負担」に感じるか、ポジティブ思考かネガティブ思考かによって感情が揺れ動くところ。
おっと、表題とは無縁の話になってしまった。早速オーディオに移るとしよう。
現在我が家のオーディオは2系統のシステムを使い分けている。もちろん最初から意図したものではなく、不要な機器の有効利用からこうなってしまった。
一言でいうと、片方はオーディオとテレビの両方が視聴できるようになっており、もう片方は「テレビ視聴専用」。
前者のシステムを紹介すると次のとおり。
まず音の入り口から順に「CDトランスポート(ワディア270)」→「DAコンバーター(ワディア27ixVer3.0)」→「リアライザー」→「プリアンプ」→「低域用アンプのケンウッド01-A〔2台)+高域用アンプのWE300Bシングル(モノラル2台)」→「スピーカーのアキシオム80+フォステクスSLE20W3本+ヤマハのスーパー・ウーファー2台」
仮にこれを「第一システム」としよう。
次に後者のシステムは次のとおり。
同様に、「ハイビジョンレコーダー」→「アッテネーター」→「低域用アンプのケンウッド01-A〔1台)+高域用アンプのPX25真空管シングル〔1台)」→「SPのタンノイ・ウェストミンスター」
これを「第二システム」とする。
ややこしいシステムの中味を長々と書き連ねたが、何も自分の装置を自慢するのが目的ではなく、視聴するときにいかに「スイッチ」が多いかということを分かっていただくために記載してみたので念のため。
第二システムは、二つのアンプの電源をまとめて安物の「ACパワータップ」に接続しており、このタップのスイッチひとつですぐに視聴に入れるのが大きなメリット。
問題は第一システム。
視聴に入るためには何と「八つのスイッチ」をオンしなければならないという面倒くささ。それに入れるスイッチの順番もちゃんと決まっているというややこしさ。
またスーパー・ウーファー〔2台)のスイッチは、1台ごとに部屋の端から端まで動くのでこれが一番面倒くさい。
しかもワディアのCDトランスポートとDAコンバーターは常時電源を入れっ放しなのにこの有様。
全体のスイッチを入れるのにかかる時間は、ものの15秒ほどで済むのだが、同様に視聴が終わって各機器の電源を落とすときも同じ手間がかかってこれまた順番も決まっている。
もちろんスイッチをある程度まとめる方法もあるのだが、各機器の電源を共通にすると音質が劣化するのはオーディオ・マニアなら先刻ご承知のとおり。電源は音質に物凄く大きな影響を与える。
深夜に聴く音楽が昼間と違ってなぜあれほど音が澄み切っているのか、これはまったく汚されていない電源のおかげと言っても過言ではあるまい。
さて、若いときはそういう(スイッチの)手間は何てことはなかったのだが歳をとってくるとどうしても”ものぐさ”になって機器のスイッチを入れるのでさえも億劫になる傾向があるのは同年輩の方ならお分かりのとおり。
したがって第一システムを聴くときにはそれなりの「覚悟」を要するので、オーディオのときは仕方がないとして日頃テレビを観るときは自然と手間の掛からない第二システムになってしまう。
しかし、このシステムだけを聴いている分には何ら違和感なしに視聴できるのだが、第一システムと切り換えると明らかに違いが分かる。
(第二システムは)何だか音がスピーカーにベタ~ッと張り付き、いかにも篭った音がして音のヌケがたいへんよろしくない。
というわけで、「音を優先するときは第一システム」、「手間を優先するときは第二システム」という凌ぎあいの毎日が朝から晩までそのときの気分次第で延々と繰り返されている。
しかし、どうやら最近はスイッチを入れるのに楽な第二システムが優勢の傾向にあるのが現実。
結局、美的感覚に対する欲求に身体行動が伴わないというわけ。
もしかすると、これは「いい音に対する根気と情熱」が薄れてきた証拠かもしれない。
果たしていいことなのか、悪いことなのか、ちょっと判断に迷ってしまう。