日経新聞は「経済記事」の充実もさることながら、「文化面」も負けず劣らず充実しているように思う。
現在、文化面の看板記事「私の履歴書」には元新日本製鐵の社長だった「三村明夫」氏が投稿(1か月)されている。
その中に「上から3年、下から3日」という言葉があった。
どういう意味かといえば、
「人を判断するのに上から見れば3年かかるが、部下として仕えれば上司の長所も短所も3日で分かる」という格言だそうで、この言葉は今に至るまで私自身への戒めである・・、とのこと。
ブログ主にも組織で働いた経験がありますぞ・・、往時を振り返ると、今でもどっと「冷や汗」が出てきます~(笑)。
文化面は「私の履歴書」以外にも見るべきものがあり、一例として以前に「流れるシリーズ」というのがあった。
この「シリーズ」の掲載の趣旨はといえばこうである。
「音楽や映画は「時間芸術」と呼ばれる。作品の時間を支配するのは作り手だ。
絵や小説はと言うと、時間は鑑賞する側が握っている。静止する絵画の中に「流れる」ものを見つけ、自分だけの時間を味わうのも楽しいかも!と選んでみた。(脚本家 東多江子)
「時間芸術」という言葉は馴染みが薄いが、音楽や映画などは鑑賞側の受け入れ態勢にお構いなくひたすら終幕まで突っ走っていく。
主導権は終始「作り手」側にある。
これに因んでジャズ史上では最も有名な言葉がある。
「音楽を聴き終わったらそれは空中に消えてしまい、二度と捕まえることはできない」(エリック・ドルフィー)
その一方、絵画や彫刻は静止したままの状態でどれだけ時間をかけようとゆっくり鑑賞者を待ってくれる。逃げも隠れもしない「やさしい芸術」である。
で、この「流れるシリーズ」の一環として「紳士とワインを飲む女」(フェルメール)掲載されていた。
解説は次のとおり。
「この女性、いけるクチと見える。ワイングラスには一滴も残っていない。
傍らの男性は、ボトルに手をかけ、「どう、もう一杯」と言い出しそうだ。女性へ注がれる視線が、そのタイミングを伺っている。
かつて絵画には「寓意(ぐうい)」があったそうだ。この絵なら、椅子の上のリュートは「愛」を、テーブルの上の楽譜は「調和」を象徴し、さらにステンドグラスに描かれている手編みを持つ女性は「節制」を意味するのだという。
つまり目の前できゅんきゅんするメロディなんかつま弾かれて、にわかに気持ちが近づいていくのはわかるけど、軽々しく貞操を破っちゃいけませんよ、といった大人の警告が仕込んである? しかし、戒めがきついほど、若い子の好奇心は膨らんでいくものだし!
絵を凝視すれば描かれた男性の視線は、この絵の中で唯一「流れる」エネルギーだとわかる。その視線を、女性は無視しようとしているが、グラスを置いたとたん、きっと言うにちがいない。
「もう一杯、いただくわ」
(1659~60年、油彩、カンバス、66.3×76.5センチ、ベルリン絵画館蔵)
文中にある「寓意」(ぐうい)とは・・。
聴き慣れない言葉だがその意味は「他の物事にかこつけて、それとなくある意味をほのめかすこと。」(広辞苑)
意図する側もされる側も「知恵」が要りそうでたいへんですね・・、ボケ防止にはよさそうだが(笑)。
現代はとかく忙しくなってストレートな物言いが当たり前で間接的な言い回しは敬遠されるばかりなので「寓意」はますます縁遠くなっている。
たとえば、「そんな もったいぶった言い回し じゃなくてハッキリ物を言え・・」といった調子(笑)。
この絵画で面白いのは「楽器」が「愛」を表し、「楽譜」が「調和」を表し、「手編み」が「節制」を表していること。
「楽譜=音楽」⇔「調和=ハーモニー」というわけで、当時の音楽のイメージはハーモニーというわけですかね・・。
最後に我がオーディオ機器の寓意を記してみよう。
前段機器の「CDトラポやDAコンバーター」は(どんな色にも染まらない)「沈着、冷静、精巧」を表す
増幅段であるアンプは(愛情を注ぎこんでくれる)「情熱」を、そして変換系であるスピーカーは「楽器」みたいなものだから当然(包み込んでくれる)「愛」ですかね(笑)。
「沈着冷静」「情熱」「愛」と「3拍子」が揃うとなると、オーディオも人間並みだねえ・・(笑)。
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