Day3 ルクソール→エドフ→コムオンボ→アスワン
エジプト到着初日から、濃いツアーが続いている。3日目は夜明け前に起床して、日の出と共に南部のエドフに小型バスで向かう。
荷物はバスの上に乗せて出発
さて、この時期治安は悪化していなかったが、南部に向かうには警察の車両と共に、コンボイ(車列)を組まないと危険であるとのこと。バスは集合場所に向かう。すでにツアーバスや一般車が列を作っている。先頭は銃座が付いた装甲車で、最後尾も警察車両がつく。当然武装している。観光客は、その間に入って走ることになる。ちなみに、軍や警察関係は写真撮影不可である。
注意が与えられた。「走り始めたら、何があっても止まるな。車列を崩すな」ということ。信号が赤であっても止まってはいけない。ルクソール市内は信号があるが交差点には警察官がいて、コンボイを最優先で走らせてくれる。一般道を80~100Kmで疾走することになった。バスや乗用車は、その車の性能やドライバーのテクニックによって、早い車とそうでない車が混じって走るので、お互い抜きつ抜かれつはいいようだ。ただし、最後尾から脱落してはいけない。止まるということは、重大なアクシデントを意味する。最初は一団となって走っていたが、だんだん車列が伸びはじめた。また、南部に行くに従って、道ばたで警護をしていると思われる制服警官の姿が民兵のように変わっていくのは、少なからず不安を感じた。砂漠の民のような格好で、銃を肩からかけている。ほんとに警護(こっちの味方かぁ)なのかと思ったりするのである。
一台の脱落車も、銃撃も受けずエドフに無事到着した。ふー、ここは紛争地帯か。・・・と
2時間弱走って、ホルス神殿へ 40ポンド=約800円
巨大な石造りの城壁に圧倒される。
これは、ナイロメーター。水路によりナイル川と繋がっており、階段の部分で水位を測っている。古代エジプトでは、ナイル川がたびたび氾濫し、上流の肥沃な土が下流に運ばれ、ナイル川流域は豊富な作物を作ることができた。ナイル川の水位によって、作物の収穫に大きな差が出来るので、納税の基準として使われたとのこと。
次は「コムオンボ神殿」25ポンド=約500円。ここは、こじんまりとした感じ。人もあまりおらず、ワニのミイラが飾られていた。何でもミイラにしちゃうのね。
これが、ナイル川だ。深く暗い色で、手を突っ込んだら意外と水は冷たい。流れはゆったりしていた。
ファルーカというエジプトの帆掛け船で、ナイル川クルーズを行った。
浮きフロートに乗った子供が何人かいる。観光客が乗ったファルーカを見つけると、寄ってきて船の側壁にとりつき、歌を歌い出す。つまり、チップ頂戴ということ。一人がとりつくと、他の人は寄ってこない。一船一人と、取り決めがあるのだろう。1米ドル渡した。
さて、クルーズも終わり頃、船頭さんがお店を拡げはじめた。お土産を甲板にずらっと並べて、良かったら買ってくれ・・と。ペーパーナイフをお買い上げ。ここまで南部に来ると、明らかに北部と人種が異なると分かるほど、肌の色が黒くなる。エジプトの南はスーダンなので、アフリカ系の血が濃くなるのだろう。
ツアーお約束の、香水瓶のお店へ。ガラス細工の実演を見せていただいた。
ここが有名な、アスワンハイダムの堤防。軍の関係者と思われる数人が警護していたが、木陰でうだ~っとしていた。そりゃ、暑いですからね。気温は、40℃を簡単に超えている。
オベリスクの石切場。これは、切りかけで放置されたもの。切り出し中に岩が割れて、失敗したものと思われる。気温は50℃近くになっていた。もう、暑いというよりは、熱風であぶられているような感覚だ。さすがの地元民も、日なたには出てこない。みんな日陰で涼んでいる。こんな中、歩き回っているのは観光客だけだな。日焼け止めは必須です。やけどします。
ホテルにチェックイン後、そこで夕食になった。なんと、誕生ケーキが出てきた。あれ、ツアーの中に誕生日の人がいたのか?と思ったら、自分の誕生日だった。そういえば、自分の誕生日なんて、長らく祝ってなかったから忘れていたよ。ツアーの参加者みんなに祝われて、何か得した感じがした。しかし、阪急交通社も粋なことをする。それとも添乗員さんの機転かな?
エジプト到着初日から、濃いツアーが続いている。3日目は夜明け前に起床して、日の出と共に南部のエドフに小型バスで向かう。
荷物はバスの上に乗せて出発
さて、この時期治安は悪化していなかったが、南部に向かうには警察の車両と共に、コンボイ(車列)を組まないと危険であるとのこと。バスは集合場所に向かう。すでにツアーバスや一般車が列を作っている。先頭は銃座が付いた装甲車で、最後尾も警察車両がつく。当然武装している。観光客は、その間に入って走ることになる。ちなみに、軍や警察関係は写真撮影不可である。
注意が与えられた。「走り始めたら、何があっても止まるな。車列を崩すな」ということ。信号が赤であっても止まってはいけない。ルクソール市内は信号があるが交差点には警察官がいて、コンボイを最優先で走らせてくれる。一般道を80~100Kmで疾走することになった。バスや乗用車は、その車の性能やドライバーのテクニックによって、早い車とそうでない車が混じって走るので、お互い抜きつ抜かれつはいいようだ。ただし、最後尾から脱落してはいけない。止まるということは、重大なアクシデントを意味する。最初は一団となって走っていたが、だんだん車列が伸びはじめた。また、南部に行くに従って、道ばたで警護をしていると思われる制服警官の姿が民兵のように変わっていくのは、少なからず不安を感じた。砂漠の民のような格好で、銃を肩からかけている。ほんとに警護(こっちの味方かぁ)なのかと思ったりするのである。
一台の脱落車も、銃撃も受けずエドフに無事到着した。ふー、ここは紛争地帯か。・・・と
2時間弱走って、ホルス神殿へ 40ポンド=約800円
巨大な石造りの城壁に圧倒される。
これは、ナイロメーター。水路によりナイル川と繋がっており、階段の部分で水位を測っている。古代エジプトでは、ナイル川がたびたび氾濫し、上流の肥沃な土が下流に運ばれ、ナイル川流域は豊富な作物を作ることができた。ナイル川の水位によって、作物の収穫に大きな差が出来るので、納税の基準として使われたとのこと。
次は「コムオンボ神殿」25ポンド=約500円。ここは、こじんまりとした感じ。人もあまりおらず、ワニのミイラが飾られていた。何でもミイラにしちゃうのね。
これが、ナイル川だ。深く暗い色で、手を突っ込んだら意外と水は冷たい。流れはゆったりしていた。
ファルーカというエジプトの帆掛け船で、ナイル川クルーズを行った。
浮きフロートに乗った子供が何人かいる。観光客が乗ったファルーカを見つけると、寄ってきて船の側壁にとりつき、歌を歌い出す。つまり、チップ頂戴ということ。一人がとりつくと、他の人は寄ってこない。一船一人と、取り決めがあるのだろう。1米ドル渡した。
さて、クルーズも終わり頃、船頭さんがお店を拡げはじめた。お土産を甲板にずらっと並べて、良かったら買ってくれ・・と。ペーパーナイフをお買い上げ。ここまで南部に来ると、明らかに北部と人種が異なると分かるほど、肌の色が黒くなる。エジプトの南はスーダンなので、アフリカ系の血が濃くなるのだろう。
ツアーお約束の、香水瓶のお店へ。ガラス細工の実演を見せていただいた。
ここが有名な、アスワンハイダムの堤防。軍の関係者と思われる数人が警護していたが、木陰でうだ~っとしていた。そりゃ、暑いですからね。気温は、40℃を簡単に超えている。
オベリスクの石切場。これは、切りかけで放置されたもの。切り出し中に岩が割れて、失敗したものと思われる。気温は50℃近くになっていた。もう、暑いというよりは、熱風であぶられているような感覚だ。さすがの地元民も、日なたには出てこない。みんな日陰で涼んでいる。こんな中、歩き回っているのは観光客だけだな。日焼け止めは必須です。やけどします。
ホテルにチェックイン後、そこで夕食になった。なんと、誕生ケーキが出てきた。あれ、ツアーの中に誕生日の人がいたのか?と思ったら、自分の誕生日だった。そういえば、自分の誕生日なんて、長らく祝ってなかったから忘れていたよ。ツアーの参加者みんなに祝われて、何か得した感じがした。しかし、阪急交通社も粋なことをする。それとも添乗員さんの機転かな?