最悪の危機ほど活気づく
2020年9月8日
「コロナ後の世界」(文春新書)の執筆者の1人であるピンカー・ハーバード大教授(進化心理学)は「ジャーナリズムはどんな日でも、地球で起きている最悪のことを選んで報道する。いいニュースはなかなか報道されない」と、指摘しています。
コロナ報道では特にそうでした。NHKのニュースはこの夏、連日「東京都の新たなコロナ感染者数は400人を越え、最多となりました」という調子でした。感染者(陽性者)は7月末ピークで、8月に入り、減り始めても、「引き続き警戒が必要です」を繰り返しました。
「新たな感染者数は減りました」と、なかなか言わない。国民にとっては、「減りました」は朗報なのに、NHKはニュースの冒頭で「新たな感染者数は○○人」と、「新たな」から言い始める。「新たな」というから、視聴者は「感染拡大がまだ続いているのか」と、ぎくっとする。
「7日移動平均で減りました」などというのは、やっと最近になってのことです。メディアは国民にとっての朗報より、悲劇が好きなようだ。
民放ワイドショーも連日、これでもかこれでもかと、「悲劇の到来」を告げる番組編成でした。新聞も似たようなものです。特に朝日新聞などは「悲劇の到来」が安倍政権の打撃になるとみて、まるで悲劇を歓迎しているかのような紙面展開でした。
経済ニュースでも、メディアは「30年代の大恐慌以来の不況」を強調してきました。日本の4-6月のGDP(国民総生産)は「マイナス年率27・8%で戦後最大の落ち込み」が各紙とも1面トップで扱いました。
「大恐慌以来」とか「戦後最大」とか言われると、それだけで心理的に委縮し、景気を悪化させる。年率に換算する前の数字は「前期比7・8%」です。夏も秋も冬も、毎四半期、「マイナス7・8%」を繰り返さないと、「年間でマイナス27・8%」(政府は8日、28%に修正)にはならない。
世界銀行の見通しでは、日本の実質成長率は今年、マイナス6・1%(世界全体では5・2%)です。年間で「マイナス27%」になんか、絶対になりません。年率より前期比の数字を大きく扱うべきなのに、そうはしない。
「悲劇的」な数字のほうを大扱いして、自虐的になる。そのほうが読者や視聴者にショックを与え、関心を引き付けられると、思い込んでいる。そんなことを続けていれば、景気が悪くなり、CM収入、広告収入も減って、自分たちに天罰が下ってくるのに、そこまでは考えない。
もっとも、都知事らを含め、多くの政治家も、危機を「悲劇の到来」に仕立て、それと闘う姿勢を有権者に見せると、支持率が上がると考えている。ですからメディアばかりを責めてはいけません。
いわゆる「第2波」の収束について、先週あたりから「死者増加は沈静化。重症者もピークの8割」(9/5、日経)という記事が登場しています。いい傾向なのに、第2社会面で小ぶりの扱いです。1面トップになぜしないのか。
「いいニュース」はなかなか報道されないのです。「悪いニュース」は大扱いする。震災、台風、豪雨報道も同じです。
ジャーナリズムの自虐性は深刻な問題を引き起こす。冒頭に紹介したピンカー教授は「悪いニュースにばかりに接していると、われわれは無力感や宿命論、諦めに襲われる。諦めに入った人は、過激派や『私が全て解決する』というカリスマ性あるリーダーに誘惑される」と、指摘しています。
「2010年代以降、ポピュリズムやナショナリズム、軍国主義が台頭している。現状を打破できるのは、強いリーダーしかいないという厭世観に満ちた時代になっている」とも。悲劇好みのジャーナリズムの報道ぶりが一因だとすると、重大な問題をはらんでいることになります。
イスラエルの歴史学者、ハラリ氏は世界的なベストセラーになった著書「サピエンス全史」で「長大な歴史的展開を理解するためには、大規模な統計値を検討する必要がある」と主張しています。
「2002年には、戦争による死亡者は17万人、暴力犯罪による死亡者は56万人に対し、自殺者は87万人。自動車事故で2000年には、126万人が死亡した。02年はテロや戦争が盛んに取り上げられたが、自殺者のほうが多かった」と。テロ、戦争は好んで扱うジャーナリズムへの批判でもあります。
実際は「平和な時代に生きている」のに、「多くの人は実感していない。戦争が稀になるにつれ、個々の戦争への注目度は増すため、多くの人の頭に浮かぶのは、平和な日常のことより、アフガンやイラクでの激しい戦闘のことばかりだ」と。これも報道のあり方に対する批判です。
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