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解散見送りでよかったと言わぬ朝日新聞のやせ我慢

2023年06月20日 | メディア論

  

頻繁な国政選挙は財政悪化の元凶

23年6月20日

 岸田首相が今国会での解散見送りを表明したと思ったら、メディアはまた自民党のペースに乗せられて「首相は解散カードを温存し、10月に衆院議員の任期の折り返し(2年)迎えることから、解散に踏み切りやすい」などと、解散風をもう書き始めています。

 

 日本の政治ジャーナリズムを担うはずの新聞、テレビの政治部は、もっぱら目先の政界の動きを追う「政局部」にすぎないと、批判されています。読者も踊らされる。解散総選挙の本質な問題をもっと掘り下げてほしい。

 

 報道機関にとって、特に衆院選は政界の動き、解散時期の特定、立候補者の事前調査、票読み、世論調査の実施などに周到な準備が必要です。多額の選挙広告も得られますから、「政局部」が必死になるのも当然です。そのことと、本来あるべき選挙報道の展開には質的な差があっていい。

 

 岸田政権が21年10月の衆院選、22年7月の参院選に勝った直後は「次の国政選挙はむこう3年はしないですむ『黄金の3年』がチャンスがくる。思い切った政治が行える」などと、メディアははやしました。

 

 それから1年半ちょっとで「黄金の3年」は跡形もなく消え去りました。この1、2か月は、「G7サミット(先進主要国会議)やゼレンスキー・ウクライナ大統領の広島訪問が解散の追い風」、「解散風の中、不祥事が続く(首相長男の軽率な振る舞い、マイナンバー・カードなど)。支持率が低下」などが目立ちました。

 

 こうした展開を政治ジャーナリズムはどう考えているのだろうかと思っていましたら、朝日新聞の社説がその判断材料を与えてくれました。「解散見送り、あおった首相の罪の深さ」(17日)という見出しで、岸田首相を酷評しました。

 

 「自ら解散風を煽りながら、2日後に見送り表明。指導者として持つ権限(解散権)の重さを自覚すべきだ」、「選挙には600億円の税金が使われる。そうした重みをわきまえず、国会での駆け引きに解散権を使う首相の見識を疑う」など、厳しい調子です。

 

 私は解散風をあおったのは、首相および首相周辺の言動が発端だとしても、それに加え、連日の解散関係の報道にやっきになったメディアだと思います。「国会での駆け引きに解散権を使うことの見識を疑う」と批判するなら、それに乗せられた報道の見識も問いたい。

 

 「選挙に600億円の税金が使われる」という指摘をするならば、選挙のたびに支持率を上げようとして、財政から巨額な当初予算、さらに補正予算が組まれることを批判するのが先です。「600億円」なんて小さい、小さい。財政赤字は積り積もって、1200兆円超(国債など)です。

 

 朝日社説に戻りますと、「新たな課題が生じた、基本政策を転換する場合以外は、4年の任期を全うするのが筋だと主張したい」と、正論を書いています。4年が全うされるかはともかく、前回の総選挙から2年も経たない時期の解散見送りは歓迎すべきことです。

 

 朝日は「解散見送りになったことを歓迎する。任期満了を目指してほしい」とでも書いたらいいのです。そうは書かず首相批判に終始する。権力を批判することばかりに筆鋒が向いている。こういう報道姿勢は朝日新聞の限界を示している。

 

 毎日新聞は「解散見送り、権力をもてあそぶ危うさ」(19日)が見出しで「G7サミットを受けて支持率が上昇し、今なら勝てるという打算だけで、解散しようとした。解散は大義に乏しかった」と、朝日と同様の主張です。今にも解散があるように思わせた新聞も罪深い。

 

 読売、日経では、解散問題を取り上げた社説が見当たりません。連日、選挙報道を大々的に繰り返していたのですから、「見送りを歓迎する」くらいのことを書くべきでした。解散ムードが高まってきた時に、「解散はすべきではない」と指摘する新聞社があってほしかった。

 

 この10年を振り返ってみると、国政選挙は8回もありました。2012年(衆)、13年(参)、14年(衆)、16年(参)、17年(衆)、19年(参)、21年(衆)、22年(参)です。ほぼ毎年です。

 

 参院は3年ごと(半数の改選)の任期が決まっており、この間、4回です。衆院は本来の任期が4年なのに4回です。こんなに選挙ばかり繰り返している主要国はないでしょう。

 

 憲法の条文にはなく、憲法の解釈で成り立っている総理大臣の解散権に制限をかけることが必要です。内閣不信任案が成立したら、さすがに政権の信を国民に問う選挙はしなければならない。憲法69条が「10日以内の解散か、総辞職をする」と定めているのはそのためで、解散が不可避な時はある。それでも、解散が多すぎると多くの有権者は思っているでしょう。

 

 しかも日本では、衆院も参院の役割に大差がない。大差がないのに、頻繁に国政選挙を続けている。しかもポピュリズム政治、ポピュリズム選挙の潮流が加速し、選挙目当ての政策が乱造され、財政状態が悪化する。悪化する財政を支える大規模金融緩和政策からも脱却できない。

 

 恐れるべきは、民主主義の基本的な装置である選挙が金融財政状態の悪化を加速し、民主主義の社会、経済的基盤を脆弱にしてしまっていることです。60年償還が慣行になってしまっている国債を返していくのは将来世代です。多すぎる選挙が社会的、経済的な活力を奪っていく。

 

 新聞の将来を考えると、「政局部」と化している政治部の体質転換が望ましい。経済的な視点からも政治を考える経済部、さらに日本の政治を国際比較して日本の政治の問題点をあぶりだす報道ができるように国際部を含めて再編成することが必要でしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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