期間満了後の出口に触れず
2014年10月23日
国の機密情報の漏洩を防ぐため、特定秘密保護法が12月に施行されます。10月15日に秘密の指定・解除のルール、手続きを定める運用基準も決まりました。さすがに「戦前の治安維持法の復活だ」いう扇情的な批判は影を潜め、この厳しく、混沌とした国際情勢を乗り切るには、なんらかの機密保持は必要だという常識はかなりの国民に共有され始めているでしょう。重大な問題は秘密指定の期間がきれたものは公開すべきなのに、その「出口」をあいまいにしていることです。
今でも相当数の国民が、政府はどんどん機密を拡大解釈して指定し、国民の目から国家の行動を覆い隠そうとしているとの批判をします。国民の「知る権利」、言論・取材活動の自由を機密保護のもとに制限するのではないかとの疑念も消えていません。そうした批判、疑念をなくしていくには、機密指定の期間がすぎた情報は公開し、「国がどんな活動、行動をとってきたのか」、「それらは機密にしておく必要が果たしてあったのか」を国民に知ってもらうことだと、わたしは思ってきました。13年12月のブログ「機密保護法の活用法」でもそれは書きました。
防衛(自衛隊の情報活動、潜水艦・航空機の性能、仕様)、外交(領域保全などの交渉)、スパイ活動防止、テロ防止(施設、要人の警戒)などは、国の安全保障の根幹にかかわる情報ですから、機密扱いするものがあって当然です。そうであるがために、機密扱いする期限を終えた情報は公開することによって、国民は国家活動の内部の本当の姿を知りうるのです。そうであるがために、メディアを含めた国民の審判、判断にさらすことをしなければならないのです。
指定期間については、「適切であると考えられる最も短い期間」、「その設定が難しい場合は5年」、「内容によっては更新でき、30年を超える時は内閣の承認が必要」などとなっています。安全保障上の機密情報である防衛、外交、スパイ活動防止、テロ防止にかかわるものには、相手国もあり、簡単に指定解除できないこともあるでしょう。
そうだとしても、期間が満了したらどうするのでしょうか。10月15日に決めた運用基準を読みますと、「歴史公文書は国立公文書館等に移管、歴史公文書に該当しないものは廃棄」などとなっております。これだけで、解除後の公開に関する規定が明らかになっておりません。恐らくそんなことを承知のうえで、政府はこんな基準にとどめたのでしょう。あれこれ突かれるので、情報公開を政府はとにかく嫌がりますからね。
ともかく政府、官庁が勝手に機密文書を廃棄して、自分たちがやってきたことをうやむやにしてしまう行為には歯止めがかかることになります。この面では政府の信頼を取り戻せるというのに、そして、さらにもう一歩踏込めば、機密保護法はいい面があるのだと、国民に思ってもらえるのです。これでは、せっかくのチャンスを逃しますね。
廃棄されてしまったら、機密情報は国民の目に触れることなく、永久に機密扱いのままにされ、消えたのと同じことになります。これでは機密にする期間の設定などわざわざする必要はありません。歴史公文書の定義もあいまいです。歴史公文書でないと、拡大解釈されると、勝手に廃棄されてしまうのです。公文書館に移管された歴史公文書はどうなるのでしょうか。情報公開法で請求すると、開示するのでしょうか。何が移管されたか分らないのですから、何に開示要求をだしたらよいのかも分りませんね。困りますね。
実に不思議な運用基準です。機密扱いする必要がなくなったら、一律に公開、開示すればいいのに、なぜそうしないのでしょうか。運用基準を伝える新聞を読むと、日経新聞は「公開するか、(その価値もないので)廃棄するかは、第三者機関が審査する」よう社説で提言しています。なにも大量の紙に保存せず、デジタル処理でデータ保存しておけば、スペースもとりません。何も廃棄する必要がないのではないですか。これも不可解な話です。読売新聞は、秘密指定、運用の厳格化など「入り口」論にもっぱら触れ、どういうわけか「出口」論という、もうひとつの重大問題には目を向けておりません。
日弁連は「最終的に公開するための確実な法制度がなく、多くの特定秘密が市民の目に触れることなく廃棄される可能性がある」と指摘しています。そうだと思いますよ。その一方で「同法を廃棄した上で再検討を」と、国際情勢など日本をめぐる大局的な環境には無関心のようで、トリの目でなくムシの目でしか考えないといういつもの習性には落胆させられます。とにかく機密情報の「出口」に、厳しい要求を突きつけていく必要があります。
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