謝罪文化は見直しが必要
2015年10月22日
社長受難の時代ですね。連日、次々に謝罪の場に引きずり出され、深々と頭を下げる。世の中には社長になれた人より、社長になれなかった人のほうがはるかに多いので、こうした光景はメディアの格好の標的です。多くの人は溜飲を下げます。社長の首、謝罪で幕引きすれば、問題が解決したように思って満足するというのは、いかがものでしょうか。
独VW(フォルクスワーゲン)の排ガス浄化装置の不正工作に世界が驚きました。そうしたら今度は日本の番です。傾斜マンションを生んだ杭打ち工事の不正、データの改ざんをした旭化成グループのトップが記者会見で謝罪しました。不正が重なるときは重なるもので、小渕・元経産相が政治資金規正法違反で謝罪しました。さらに読売巨人軍選手による野球賭博行為が発覚し、社長が陳謝しました。
一過性にすぎない効果
新聞、テレビは企業の不祥事の報道、社長のクビの行く方をめぐって大展開です。社長の首は事件のたびに差し出すためにある、社長は謝罪するためにいる、そんな思いさえしてきます。社長が辞任すれば、社内では喜ぶ人のほうが多いでしょう。後釜に座れる人はハッピーだし、社長の派閥が一掃され、新しいグループに交代する幸運がめぐってくるのかもしれません。メディアが騒ぐほど、社長の首、謝罪は効果ありません。あったとしても一過性です。
社長の首が不祥事、不正への抑止力なっていることは否定しません。自分の首が飛ばされないように、他社の例を見ながら社内の引き締めを図るからです。でもどうでしょうか。そういう効果を疑ってかかる時代なってきたよう思います。問題企業の社長の首を飛ばすより、事件の性質に応じて、巨額の賠償金、罰金を課すほうが、不祥事、不正の抑止力になるのではないでしょうか。
米国の罰金は桁はずれ
そんなことを感じるのは、米国が企業に課す賠償金、罰金が桁外れになっているからです。独VW(フォルクスワーゲン)の排ガス問題の不正では、規制当局に直接、払う賠償金は2兆円を超えるそうです。これとは別に株主代表訴訟、欠陥車の改造(リコール費用)、不良車両の値下がりへの補償などを含めると、何兆円にも達するでしょう。前代未聞の金額です。
金融機関に対しても、以前では想像できなかった罰金を支払わせています。外国為替相場を不正に誘導したとして、金融会社6社が1兆2千億円(14年秋と15年春合計)を払いました。自動車産業も金融会社もグローバル化し、規模が桁違いに大きくなっていることも、罰金が跳ね上がる原因なっているのでしょう。
罰金システムの見直しを
下手をすると企業が経営危機に追い込まれ、他社との合併、部門の売却、従業員の削減に迫られるようにしておいたほうが、企業は真剣になるのでないでしょうか。巨大な市場形成、市場の寡占化、巨大企業の誕生で、消費者や国民が被る被害も格段に大きくなっていますから、ペナルティも大きくしておかなければなりません。
日本の代表的企業である東芝で、歴代社長3人が粉飾決算を社内に指示し、謝罪の上、役職から退きました。利益の水増しは2200億円です。まもなく決まる証券取引監視委員会の課徴金は10数億円といわれます。東芝にとっては、どうという金額ではないでしょう。米国の罰金と比べてみてください。罰金、課徴金のありかたを見直す時期にきている思います。
社会的制裁では不十分
日本では、社会的な制裁のほうを重視する傾向があります。「消費者に謝罪した」、「消費者への補償はする」、「社長が退任し、けじめをつけた」などと、取り締まり官庁や社会はけじめ中心です。傾斜マンション事件でも、建築基準法など直接、関係する法律違反では、大した罰金にならず、抑止効果は弱いでしょう。
ついでにいうと、小渕議員の政治資金規正法違反では、「収支報告書は表紙を見るだけで、ご苦労様と会計責任者に返事をした」とされます。事件が起きた時にいい訳できるように、内容は見ない、読まない、立ち入らないという慣行、仕切りにしていたに違いありません。記者会見で「監督責任は生じる」と、謝罪はしました。これで一件落着です。日本の謝罪文化を考えなおすべきでしょう。
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