報道の自由が泣くか笑うぞ
2014年11月28日
韓国の朴大統領の名誉を傷つけた罪で起訴された産経新聞の前ソウル支局長の公判が始まりました。日韓関係がこじれているさ中、それも女性大統領のスキャンダルめいたうわさ、さらに報道の自由、表現の自由という問題が重なって話題性が高まり、メディアは初公判の日、大きなスペース、時間を割いて報道しました。ひとことでいえば、むきになった大統領側も過剰な反応だったし、報道の自由を主張する産経新聞の姿勢も実際はレベルが低く、こんな場で、報道の自由という本来は次元の高い問題なんか持ち出さないでくれよ、ということですね。
この事件では、産経新聞が8月に電子版で掲載したコラムで、「旅客船セウオル号が沈没した事故当日、朴大統領が元側近男性と密会していた」というわさを書き、大統領側の怒りを買い、検察が動きだしたのです。書いた前ソウル支局長は身柄を拘束、出国禁止の処分を受け、在宅起訴され、裁判に至っています。この問題はすでにブログで取り上げました。
報道の公益性という以前の記事
裁判の争点はいくつかあり、まず検察は「大統領を誹謗する目的で虚偽事実を報じた」とし、産経側は「誹謗中傷の意図はない」と反論しました。わたしも「中傷誹謗の意図」はなかったと思います。わたしが言う意味は産経のいう意味と異なり、「誹謗するとかしないとかではなく、女性大統領の男性に関するスキャンダルは読者の関心を引くだろう」という軽い気持ちで、コラムを書いたのではないかということです。争点である「報道の公益性」なんかも、たいして意識していなかったのでないですかね。
「記事の真実性」では、検察は「産経がいうような面会(密会?)はなく、男女関係もない」とし、産経側は「虚偽の事実は書いていない」と、反論しました。産経側も苦しいですね。朝鮮日報が報じたうわさを紹介する形で、コラムを書いたのですから、「虚偽の事実」か否かを論じる以前の話です。コラムでは、うわさとはいえ、相手男性の実名まで載せており、「朴政権のレームダック化は着実に進んでいるようだ」と踏み込んでいます。軽率といわれても仕方がありません。
「事実関係の確認」という争点では、検察は「当事者、政府関係者に確認せずに報じた」とし、産経は「取材を拒否された。事実関係の確認には限界がある」と反論しました。うわさですから、確認しようとしても限界があるのは当然です。産経側は恐らく、「事実かどうか分らないけれども、うわさがあるのは事実だから書いても差し支えないだろう」という記者心理だったのでしょうか。週刊誌がよく使う手です。「記事で書いたうわさは事実ではない」と当事者から指摘されると、「うわさがあるのは事実だ」と居直ることがあります。同じ「事実だ」という言葉を使っていても、意味はまったく違いますね。
日韓関係にまで発展させた愚
この事件では、「報道の自由、表現の自由を犯すな」という次元の高い論点が登場します。菅官房長官は27日の記者会見で「さらに日韓関係の観点からも極めて遺憾だ」と、韓国側の対応を批判しました。問題がこじれ、報道の自由、日韓関係という外交問題になってしまうと、本音ではなく、建て前でしか語れなくなります。本音は「ウソかまことかわからないような話を記事にしてしまい、われわれまで引きずりこまないでくれよ」でしょう。
書いた支局長の気持ちを憶測すると、恐らく「あんなうわさ話は放っておけばよかった。報道の自由とか日韓関係だとか、大げさな話に発展してしまい、まずかったなあ」でしょう。多少は反省していることでしょう。大統領側は、うわさとはいえ、男女関係にまで踏み込まれたので、本気で怒ったのかもしれません。それにしても大統領側の過剰反応は幼いことは幼いですね。大統領としてとりくむべき、もっと重大な問題が他にたくさんあるだろう、ですね。
たとえば、米国大統領との間で同じような問題が起きても、日米関係がこじれることはまずないでしょう。韓国との間柄だから、複雑骨折したような事件発展してしまうのでしょう。それだけに報道には節度が求められるのです。報道には「自由と同時に節度」が求められるのです。
不満なのは、日本のメディが一様に、言論の自由、報道の自由という建て前に乗っかって報道している姿勢です。一紙くらいは、大統領側と同時に、産経の編集方針も厳しく批判してくれることを、期待しています。
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