社説は不要か、羅針盤機能を失う
2022年10月13日
秋の新聞週間を迎え、各紙は自画自賛の大きな編集特集を組んでいます。「新聞報道は正確、信頼できる」(読売)、「揺れる時代の羅針盤、確かな情報に重大な責務」(日経)と、新聞の評価、役割を強調しています。
新聞には他のメディアに比べると、そうした特徴を備え、重要な社会存在であるといえます。それにもかかわらず販売部数の減少に歯止めがかかっていません。「社会にとって不可欠な存在」であっても、「読者にとって不可欠な存在」なくなりつつあるのでしょうか。
一日当たりの接触時間の多いメディアの首位が初めて「テレビ」から「携帯電話・スマートフォン」に交代し、新聞・ラジオなどの伝統的メディアとの接触時間も減少しました(博報堂調査)。
それに対し、各紙の世論調査の紹介記事を読むと、新聞の位置づけが有利になるような誘導型の解釈をしている傾向が強いと思います。
メディアとの接触時間のトップがスマホ系になったにもかかわらず、「ニュースを知るために利用するメディア」は「民放63%」、「NHK51%」、「ヤフーなどポータルサイト51%」、「新聞50%」、「SNSや動画投稿サイト25%」などです(読売)。
「メディアとの接触時間」と「ニュースを知るために利用するメディア」は同じではありません。ネットは「ニュースを知るため」だけに利用しているのではないからです。新聞にしても「健康・医療、食事、旅行、趣味・運動」などが占める比率がどんどん増えています。
「ニュースを知るため」に限定した調査では、メディア間の相克が分かりません。新聞との接触時間は、ネットはテレビに比べ、恐ろしいほど少ないのです。「接触」の意味もメディアごとに全く違う。
「新聞が事実を正確に伝えている73%」、「新聞報道は信頼できる75%」などはどうでしょうか。「一日の新聞購読時間」の項目では、「10分が19%、20分が15%」で合わせると「34%が10分か20分しか新聞を読んでいない」ことになります。
しかも「新聞を全く読まない(とっていない)が29%」にも達します。質問項目別では最多が「全く読まない」なのです。つまり「0分」の層が29%にもなります。「0分、10分、20分」を合わせると「63%」が「新聞を読まないか、ざっと目を通すだけ、あるいはテレビ欄を見るだけ」です。
これは重大なことです。6割を超える層が「新聞を読まないか、10分か20分」もおり、それを対象に含めて「新聞の信頼度」を判定してはならない。それにもかかわらず「新聞は信頼できる76%」、「新聞は正確が73%」とするのは自画自賛そのものです。
「何を新聞に期待しているか」の質問では、「情報を正確に伝える68%」、「事実を公平、中立に伝える54%」などが高率です。それに対し、新聞社の「主張を提示する6%」と最下位です。「主張の提示」とは、社説、政策提言記事のことでしょうか。
「羅針盤」としての新聞は不要なのか。新聞社のスタンスは、政権・政府寄り、反政府・権力批判に分かれる傾向が強まっています。朝日新聞の「慰安婦の捏造」、「福島原発事故報道の歪曲」は新聞社の報道姿勢と一体でした。以来、新聞社は報道姿勢への信頼度の低下は加速しました。
安倍首相の国葬問題、旧統一教会問題でも各紙の報道姿勢には、左右に割れ、相当な開きがありました。特に政治家、政界が絡む問題では、不偏不党という新聞の編集方針に疑問を持つ読者が多いのではないか。
「政府・官庁の広報紙化」、「反政府の機関紙化」を読者は感じ取っているのでしょう。特に政治ジャーナリズムにとの傾向が強い。親政権なら情報が入ってくる、反政権なら干される。テレビも同じです。好き勝手な主張が飛びだすネット論壇がその間隙をついているのです。
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