社説も主張が曖昧模糊
2021年12月9日
北京冬季五輪に対する「外交的ボイコット」という言葉だけが踊っています。中国は痛くもかゆくのないというふりをしています。
実際に、米英などから閣僚や政府関係者が来なくても、五輪開催に全く支障がでない。中国のイメージ悪化に多少の影響が出るくらいでしょう。
中国は「断固とした対抗策をとる」と叫んでいます。実際は、あまり実害の生じない「言葉の空中戦」に終わる。実弾を使わない「言葉の空中戦」です。日本も「五輪担当相ら派遣中止」の表明を決断したらよい。
本当に抗議するのならば、選手団の派遣中止です。そこまでいくと、五輪の政治的利用の領域に踏み込みます。そこで米英豪などはそれは避け、「外交的ボイコット」と、実害が生じない方法を選んだのでしょう。
五輪は「平和の祭典」です。同時に「商業主義の祭典」、「自国民のための祭典」という色彩が強くなっています。米国もその両面から、選手団の派遣中止、テレビ放映の価値の棄損という選択をしなかったのです。
「商業主義の祭典」というのは、五輪はテレビ中継を含め、スポンサー企業の宣伝活動となる。報道するテレビや新聞は巨額の広告収入で潤う。だから「商業五輪」なのです。IOCの活動も放映権料収入で支えられていますから、バッハ会長は実害の回避に必死です。
「自国民のための祭典」というのは、夏の東京五輪誘致は、成功すれば政治的な得点になると、政治家が計算したからです。五輪特需で自国経済も潤うというソロバン勘定もしていたのでしょう。実際は、新型コロナ対策で無観客が基本にされたため、外国人も来ず、大きな赤字を出しました。
米国の場合、議会が中国批判を強めていますから、バイデン政権はそれに対する言葉のジェスチャーで、何かをやる必要がありました。それも中国向けと同時に「自国民向け」です。
どうにも煮え切らないのは、岸田首相の五輪外交の姿勢です。それを論じる新聞などの主張の曖昧さです。五輪外交といっても、「言葉の空中戦」なのですから、「閣僚は派遣中止」と明確な姿勢を示すべきです。
岸田首相は「総合的に勘案し、国益の観点から自ら判断する」と、表明しています。9日現在、何の態度表明もありません。中国経済との相互依存関係という「国益」を重視しているのでしょう。
「自ら判断」と言いながら、他国の動き、中国の顔色、国内の反中派の動向などを探っているのでしょう。「自ら判断」ではなく、「他動的に判断」ということなのでしょう。優柔不断です。
新聞メディアの態度も、社説をみると、なぜもっとはっきり主張をしないのかと不満です。表現がまどろっこしい。
朝日新聞は「主役はアスリートである。国家は脇役にすぎない。政府関係者の是非は各国がそれぞれの判断で決めればよい」との主張です。
「各国それぞれの判断」は当然のことです。日本はどう判断すればいいのかが問われているのです。そこは逃げています。
毎日新聞は「平和と協調という五輪精神を追求しなければならない」と。「だからどうなのだ」と聞きたい。毎日は「外交ボイコット」に反対のニュアンスです。それなら「米国に追随するか」といえばいいのに、言わない。
読売は「強い批判が現れているということだ。中国は真摯に受け止め、不不信の払拭に努めるべきだ」と。中国にボールを投げているのではなく、日本の態度表明が注目されている。そこには触れない。
閣僚である五輪担当相の存在感はゼロに近い。「派遣中止」をしても何ら問題は生じないでしょう。
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