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歴史の意味をぼかす「終戦の日」「先の大戦」という呼称

2024年08月16日 | 政治

 

次世代にはピンとこない

2024年8月16日

 天皇、皇后両陛下、岸田首相らは15日、全国戦没者追悼式に参列し、310万人の犠牲者を悼みました。新聞、テレビはみな「79回目の終戦の日となった15日」、「終戦から79年を迎えた15日」など、「終戦」という呼び方をしています。

 

 「終戦」というと、戦争に勝ったのか負けたのかが分かりません。「国民の9割が戦後生まれとなり、衆院においても終戦以前に生まれた議員はわずか8名」(額賀衆院議長の追悼の辞)となり、戦争の記憶が風化していくでしょう。実際に、「えっ、米国と日本が戦争したことがあるの」という世代も増えているそうです。

 

 はっきり「敗戦の日」というメディアがあってもいいはずです。朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日経新聞も「終戦」という呼び方です。「終戦の日(敗戦の日)」と書くか、「はっきり敗戦といいにくいので、終戦という曖昧な呼び方で政府は逃げている」くらいの説明を添えるべきです。

 

 天皇は「過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返えされないことを切に願う」と述べ、岸田首相は「戦争の惨禍を繰り返さない。この決然たる誓いを世代を超えて継承していきます」と。日本の戦争史を知らない「世代に継承していく」なら、悲惨な敗戦だったことをはっきり表現していくべきでしょう。

 

 「お言葉」、「式辞」に必ず出てくる「先の大戦」という呼び方も曖昧模糊としています。天皇は「さきの大戦においてかけがいのない命を失った多くの人と遺族を思い・・」、首相は「先の大戦では、300万人余の同胞の命が失われた」と述べています。

 

 「先の大戦」とは、なんのことなのだろうという、若い世代が増えてくるに違いない。かつて軍部は「大東亜戦争」(閣議決定)と呼び、敗戦後にGHQに使用を禁止され、「太平洋戦争」が「先の大戦」と呼ばれることになった時期もありました。「大東亜戦争」には、侵略、植民地、日本の権益確保の意味がありましたから、GHQの命令は当然ともいえます。

 

 この問題を経済紙の日経の社説が「『さきの大戦』と呼ぶ意味を考えよう」という見出しで、問題提起をしています。社説がこうした角度から考えようとする姿勢は評価します。

 

 もっとも、「先の戦争」とは日経社説でも触れているように、「4つの戦争が重なった複合戦争だった。日中戦争、日米戦争、英仏欄との戦争、対ソ戦争が含まれ、戦争の呼称を定めにくい」(波多野澄雄氏)そうです。それにしても「さきの大戦」は分かりにくい。

 

 「大東亜戦争、太平洋戦争」の定義が国会で議論になったことがあり、政府は2006年の答弁書で「それらの定義を定める法令はない。いかなる用語を使うかは文脈による」としました。政府の立場からするとそうなのかもしれない。メディアは自由に問題点を報道したらよい。

 

 朝日新聞の社説は「敗戦から79年の今年」と、「敗戦」という表現を使いました。毎日新聞の社説は「世界の紛争は2023年、59件を数え、1946年以来の最多となっ」と、指摘しました。読売新聞は「日本は先の大戦の苦い教訓を踏まえ、憲法の平和主義と、国連憲章を忠実に守り、国際社会の安定に尽くしてきた」と、政府側の立場を踏襲したような言い方です。社説を書くなら、「終戦」なのか「敗戦」なのかを、はっきり指摘しておくべきでしょう。

 

 この日、自民党の木原防衛相、高市経済安保相らが靖国神社を参拝しました。ほかに「靖国神社で参拝する国会議員の会」(野党を含む超党派で構成)からも参拝した議員がいたはずです。靖国参拝が日中間の外交問題になるのは、「大東亜戦争」を主導し、海外にも国民にも苦しみを与えたA級戦犯(戦争責任者)が1978年に突如、合祀されたからでしょう。

 

 自民党議員はともかく、野党議員ならば、「明治時代以来、国のために殉難した将兵らが祀られており、その人らを思い参拝した。私の参拝では、A級戦犯はその対象にしておりません」くらいの説明はできそうなものにと、思います。自民党議員の場合でも、そうしたことを述べる人がいてもいいのに、そんな話は聞こえてきません。

 

 

 

 


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