昨日の冷たい雨も朝にはあがり、昼頃からは再び陽が差してくるようになりました。関東地方は先月から一ヶ月以上雨が降らずに空気がカラカラの状態でしたから、いいお湿りになったことは確かです。
ところで、明日から始まる小学校勤務に向けて今日も内職をしながらいろいろな音楽を聴いていたのですが、その中でちょっと気になったものをとりあげてみたいと思います。それが
バッハの《2台のチェンバロのための協奏曲 ハ長調 BWV1061》です。
バッハは生涯にわたって少しでもよい条件の働き口を探し続けていた人なのですが、その最後の到着点は
ライプツィヒの聖トーマス教会のカントルでした。ただ、この仕事は教会の仕事だけでなくライプツィヒ市全体の音楽活動の責任を負う立場でもあったので、バッハにとってはかなりの激務だったようです。
そんな激務の中でバッハが喜びを見出したのが、コレギウム・ムジクムの活動でした。コレギウム・ムジクムは若い学生や町の音楽家などによって構成されたアマチュア楽団で、当時のライプツィヒ市では人気があったようです。
コレギウム・ムジクムは、通常の時期は毎週1回の演奏会、見本市などがあってお客の多いときは週に2回の演奏会を行っていました。バッハはこのアマチュア楽団の指導と指揮活動を、1729年から1741年まで務めています。
バッハの一連のチェンバロ協奏曲は、すべてこのアマチュア楽団のために書かれたもので、ソリストはバッハやバッハの息子たちや弟子たちが担当していました。ただ、そのほとんどがオリジナル曲ではなくて、自作か、または他の作曲家の作品を編曲したものでした。
その理由としては、公務の合間の活動であったことで、すべてオリジナル作品で演奏するのはさすがのバッハでも大変だったのでしょう。しかし編曲ものとは言え、その手練手管はいずれの作品でも見事なものです。
そんなバッハのチェンバロ協奏曲群の中で一際異彩を放っているのが、今回ご紹介する《2台のチェンバロのための協奏曲 ハ長調 BWV1061》です。
この作品はバッハのチェンバロ協奏曲の多くが自作、もしくは他の作曲家の作品の編曲であったのに対して間違いなくオリジナル作品なのですが、協奏曲としてみるとおかしなところがあります。楽譜を見ると一番分かりやすいのですが、チェンバロ協奏曲とはいいながらどうにも後ろのオーケストラが『取ってつけたよう』な印象を受けるのです。
バッハの協奏曲といえばソロ楽器とオーケストラとが有機的に絡み合い、重厚な響きを聴かせてくれるものが多く見受けられます。ですが、この曲のオーケストラからはそうした重厚さが感じられないのです。
そんなわけで、先ずはオーケストラをバックに従えた《2台のチェンバロのための協奏曲 ハ長調 BWV1061》をお聴きいただきたいと思います。ネザーランド・バッハ・ソサエティの演奏で、何とも明るい響きのチェンバロ協奏曲をお楽しみください。
どうでしょう、何だか違和感を感じられませんでしたか?
明らかにおかしいのは第2楽章で、この楽章では弦楽合奏が完全に沈黙して2台のチェンバロだけで演奏されています。更に第1楽章の弦楽合奏もリズムにアクセントをつけたり主題動機を反復したりという控えめな役割に徹しているだけですし、第3楽章はフーガ形式で書かれているにも関わらず弦楽合奏は特別な動きを見せず、独奏チェンバロにユニゾンで付き従っているだけなのです。
つまり、これは協奏曲とは言いながら、『弦楽合奏がなくても2台のチェンバロのみによる作品としても十分に成り立ってしまう』作品なのです。もしかしたら、これは有名な独奏チェンバロのための《イタリア協奏曲 BWV971》のような試みを2台のチェンバロによって行った作品であって、それをバッハ自身がコレギウム・ムジクムでの演奏会用に仕立て直したのかも知れません。
今日ではそうしたアプローチの演奏も聴かれるようになっていて、2台のチェンバロだけでの演奏や録音もされるようになってきました。果たして真相はどうなのか…そんなことを思いながら聴き比べてみるのも楽しいのではないでしょうか。
ということで、今度はオーケストラの無いバージョンの《2台のチェンバロのための協奏曲 ハ長調 BWV1061》をお聴きいただきたいと思います。ダ・カーポというイタリアのチェンバロデュオによる演奏で、至極スッキリとしたバッハのチェンバロ協奏曲をお楽しみください。