いやあ…疲れました。
昨日に引き続き、今日も小田原市立芦子小学校での『放課後こども教室』に向かいました。昨日は2年生のみだったのですが、今日は他の学年の子たちも来たので、一気に人数が増えました。それでも迎え撃つ大人の数は変わらないので、何とか平均的に様子を見ながら対応していました。
何しろ子どもたちの要望は多岐に渡ります。曰く
「算数が分からない。」
曰く
「(国語の教科書の)音読聞いて。」
曰く
「漢字教えて下さい」
と、あっちからもこっちからもお呼びがかかるのです。その度に私ともう一人いる学習アドバイザーが飛んでいくのですが、それだけでは捌ききれないので安全管理員の皆さんにも手分けして充って頂くこともあります。
それでも、普段の教室と違う環境下にあって、子どもたちのテンションもどうしても普段と違ってしまうことがあります。そうなると何が起こるかというと、女子の場合には宿題と全く関係ないおしゃべりが始まり、男子の場合には些細なことからの取っ組み合いが始まります。
この取っ組み合いの処理がまた大変なのです。見ている目の前で起これば、すぐさまブレイク出来るのですが、問題なのは私が他の子の相手をしている時に違う場所で起こってしまった場合です。何しろそんなにすぐには飛んで行けませんから、どなたかに代わりに行って頂くことになるのですが、最終的な責任は学習アドバイザーにあるので、対処できる状態になれば即座に現場に向かって対応することになるのです。
そして今日、ある意味最悪の事態が起きてしまいました。取っ組み合いを始めた二年生の男子が、よりによって自分が倒した相手の子の頭を踏んづけてしまったのです。
私はその時、他の子の音読の聞き役をしていました。そこに普段からおしゃべりな女子が
「○○君が✕✕君の頭を踏んでた!」
と御注進に来たのです。
これは一大事!と思ったので、とにかく切れのいいところまで見てから代わってもらい、現場へ直行しました。
その時にはもう取っ組み合いは解消されていたのですが、頭を踏まれた子が机に突っ伏して嗚咽している状態で、踏んだという子はシレッと折り紙で遊んでいました。
御注進しに来た子が説明しようとしたのですが、とりあえずそれを静止して頭を踏まれた子に事実確認しました。どうやら本当のことのようでしたが、どうやらそもそもの取っ組み合いの切欠を作ったのはこちらの方だったようです。
この時点で御注進の内容とズレがあることを確認してから、次に頭を踏んだ当事者に事実確認をするために別室に連行して話を聞くことにしました。御注進の子も着いてこようとしていたのですが、とりあえず扉を閉めてシャットアウトしてから話を始まりました。
私︰✕✕君の頭を踏んだって本当かい?
子︰踏んだ。
私︰頭を踏んだら、どういうことになるか分かってるかい?
子︰…ケガする。
私︰ケガだけで済むかい?あんまり強く踏んじゃったら…?
子︰…死んじゃうかも。
私︰そうだね。そんなこと、もし自分がされたらどう思う?
子︰…イヤだ!
私︰イヤだね。でも君は○○君に『自分がされたらイヤだ』と言ったことをしたわけだ。それについてどう思うの?
子︰…いけない。
私︰そうだね。ケンカの理由はともかく、他人に対して絶対にやってはいけないことをしたわけだ。じゃあ、どうすればいい?
子…(私に向かって)ごめんなさい。
私︰謝る相手は私かい?
子︰…違う。
私︰そうだね。じゃあ行っておいで。
そうすると○○君は✕✕君のところに行って
「ごめんなさい。」
と頭を下げました。そして○○君にも、取っ組み合いの切欠を作ったことを謝らせてから、念の為ケガの状況を確認したところ、特にコブが出来たり切れてしまったりはしていなかったので、引き続き宿題をしてもらいました。
こういう時に一番厄介なのは、申し訳ないのですが実は御注進に来た子です。こういう子は往々にして
『先生の役に立ったいい子な私』
の立場欲しさな部分があるので、得てして話を盛ることが多いのです。なので、報告したくれたことは良しとして、後はなるべく当事者同士の話を聞かないと事態がややこしくなるのです。
それに、この✕✕君は若干ですが多動性障害の傾向がみられ、普段から椅子にじっとしていることが出来ずに他の机で宿題をしている子に片っ端からチョッカイを出したがるのですが、だからこそ大人が遠慮している場合ではないので、積極的に大きな声で席に戻るように注意しています。
今回もかなり大きな声で呼ばれたので一人になった時にビクビクしていたのですが、思いの外静かに話をされたので拍子抜けした様子でした。でも、これが私が幼少期に祖父母から受けた『叱られ方』なのです。
父はよく『怒る』人でした。悪いことをした時には勿論、時には父の虫の居所が悪い場合にも理不尽なまでに怒鳴り散らし鉄拳を下す人でしたでした。それに反して祖父母は、板の間に膝詰めで座って、起きてしまった事象を順々と解明した上で静かに『叱る』人でした。
その時に祖父母がしていたのは「何故こういうことになったのか」という原因について基本的に聞かなかったことです。仮にそれを聞くと、人間はどうしても保身に走って言い訳を捏ね始めます。そこには真の反省は生まれません。ましてや頭ごなしに怒鳴りつけてしまった場合、子どもたちはその罵詈雑言から逃れることに考えが終始してしまうので、反省材料にはならないことが殆どなのです。それでは何にもなりません。だからこそ大人の方が冷静になって『叱る』必要があるのです。
✕✕君を叱ってからしばらくして、下校時刻となりました。ここから学童保育に行く子や自宅に帰る子にグループ分けしてそれぞれを昇降口まで安全管理員さん達が見送っている間に学習アドバイザーが後片付けをして、何とか今日の放課後こども教室を終えることができました。
帰り際、大稲荷神社に向かう道のところに
地蔵堂があります。いつもここで子どもたちの安全と健康を祈願しているのですが、今日はあんなことが起きてしまったことに対する管理不行き届きをお地蔵様に向けて反省しました。
一人前の学習アドバイザーになるまで、道のりはまだまだ遠いです…。