昨日に引き続き、今日も我が家で遠足の疲れを取っていました。決してただダラダラしていたわけではありません(ホントかよ…)。
ところで、今日5月28日はレオポルト・モーツァルトの祥月命日です。
ヨーハン・ゲオルク・レオポルト・モーツァルト(1719〜1787)は、18世紀の作曲家、ヴァイオリニスト、音楽理論家で、
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756〜1791)の父親です。
レオポルトは神聖ローマ帝国のアウグスブルクで生まれました。1743年にザルツブルク宮廷楽団のヴァイオリン奏者(無給)に採用され、以後ザルツブルク大司教シュラッテンバッハの元で仕えることとなりました。
1747年、アンナ・マリア・ペルトゥル(1720〜1778)と結婚して、7人の子供をもうけました。ただ、成人したのは三女のナンネル(1751〜1829)と三男のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのみでした。
1747年にはザルツブルク宮廷室内作曲家に就任し、30代の半ばの1756年ににヴァイオリンの演奏法の教則本を出版して高い評価を受けました。そして同じ年に息子ヴォルフガング・アマデウスが誕生し、それからは息子の教育に力を注ぎました。
1757年には宮廷作曲家の称号を授与され、1758年にザルツブルク宮廷楽団第2ヴァイオリン奏者に就任しました。更に1763年には宮廷副楽長にまで昇進し、この後死ぬまでこの地位に留まりました。
1785年にはウィーンへ赴いてザルツブルクを離れていたヴォルフガングと再会しましたが、これが2人の最後の別れとなってしまいました。1787年、ザルツブルクでナンネル夫妻らに看取られて死去し、聖セバスティアン教会の墓地に埋葬されました(享年68)。
ザルツブルクと決別していたヴォルフガングは臨終の床に立ち会わず、葬儀にも立ち会いませんでした。それでも、友人宛の手紙で
「最愛の父が死んだと知らされた。僕の心境を察してくれるだろう!」
と悲しみの情を吐露しています。
そんなレオポルトの祥月命日にご紹介するのは《シンフォニア『田舎の結婚式』》です。
レオポルト・モーツァルトの作品というと、クラシックにお詳しい方が真っ先に思い浮かぶのは《おもちゃの交響曲》かと思います。この曲はかつてはハイドン作とされ、その後レオポルド・モーツァルトの作品だとされた時期がありましたが、現在ではエトムント・アンゲラーという同時代の作曲家の1770年ころの作品と考えられています。
《シンフォニア『田舎の結婚式』》はレオポルトの手によって、1756年に作曲されました。当時のシンフォニアというのは後の交響曲の前身ですが、どちらかというとオペラの序曲から派生した器楽曲であることを示すものであって、必ずしもハイドンやモーツァルトの交響曲的なものではありません。
《シンフォニア『田舎の結婚式』》の編成は、オーボエとホルンが各2本にファゴット、弦楽に加えて
庶民の代表的管楽器のバグパイプと
これまた庶民の代表的弦楽器ハーディガーディ、これに婚礼の掛け声が加わります。結婚式とあるように非常に描写的で、交響曲というよりも、バロック後期にザルツブルクで活躍したハインリヒ・イグナツ・フランツ・フォン・ビーバー(1644〜1704)の作品と同様に機会音楽に近いところがあります。
聴いていただくと分かりますが、これが本当にザルツブルク宮廷作曲家が書いた作品なのかと思うくらいにラフな音楽です。文字通り田舎の農民たちの結婚式の場面を表現したもので、音楽の合間にバグパイプやハーディガーディの音色が聞こえ、座興にのった列席者の奇声も混じってきます。
更にこの音楽の端々に、『本来西洋音楽のルールでは使ってはいけない音の進行』が出てきます。そうした音の進行や田舎くさい楽器をあえて使うことである種の野暮ったさを演出しているのですが、これが天才モーツァルトの父親の作品かと思うと何だか不思議な気持ちになります。
そしてこの曲の第1楽章に出てくるメロディを、後に息子であるモーツァルトがレオポルトの死後に作曲した《音楽の冗談》というおふざけ音楽に使っているのです。当時の端な音楽家風情をこき下ろすような《音楽の冗談》に自身の厳格な父親の作品をパロディしたモーツァルトの心境とは、はたしてどんなものだったのでしょうか…。
そんなわけで、レオポルト・モーツァルトの祥月命日である今日は《シンフォニア『田舎の結婚式』》をお聴きいただきたいと思います。命日に聴くには些か楽し過ぎますが、後に息子にパロられてしまった迷曲(?)をお楽しみください。