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今日は朝から冷たい雨が降る、生憎の空模様となりました。それでも昼間には蒸し暑さを感じるくらいまで気温が上がったので、着るものに悩まされました。
ところで、今日5月29日は《牧神の午後への前奏曲》のバレエ版が初演された日です。
バレエ『牧神の午後』は、
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クロード・ドビュッシー(1862〜1918)作曲の管弦楽曲《牧神の午後への前奏曲》(1894年)に基づいて作られたバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)のバレエ作品で、
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同団の花形かつ伝説的なダンサーであるヴァーツラフ・ニジンスキー(1890〜1950)が初めて振り付けを担当して主演を務めました。
『牧神の午後』の初演は、1912年5月から6月にかけてパリ・シャトレ座における『第7回セゾン・リュス(ロシア・シーズン)』の中で、5月29日に行われました。
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これは舞台美術家、衣装デザイナーのレオン・バクスト(1866〜1924)による牧神の衣装デザイン画です。
バレエの筋書きはドビュッシーの作品にインスピレーションを与えたステファヌ・マラルメ(1842〜1898)の詩『半獣神の午後』に拠っています。あらすじは…
牧神が岩の上で葡萄を食べていると、7人のニンフが現れ水浴を始める。欲情した牧神は岩から降りニンフを誘惑しようとするが、ニンフ達は牧神を恐れて逃げ出してしまう。ひとり残された牧神はニンフの一人が落としたヴェールを拾い上げると、それを岩に敷き自らを慰める。
…というものです。
「あらゆるセンチメンタリズムを追放する」
と宣言したニジンスキーの振付は、古典的なバレエの様式を全て否定したモダンダンスの元祖ともいうべきもので、舞台上のダンサーは常に観客に対して横を向いたままゆったりと左右に動いています。ただ、バレエ終盤の露骨な性的表現と相まって、パリで初演された際にはストラヴィンスキーのバレエ《春の祭典》と同様大きなスキャンダルとなりました。
この独特の二次元的な姿勢については、1910年夏にニジンスキーがルーブル美術館を訪れた際に古代エジプトの絵画を見たことが影響しているとされています。ただ、ニジンスキーに影響を与えたのはエジプトの絵画ではなく、
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ルーブル美術館で展示されていた古代ギリシャの壷絵だとする説もあります。
ラストシーンでは、ニンフが残していったヴェールの上にうつ伏せになった牧神が下腹部に手を入れて自慰の動作をし、腰を痙攣させて性的な絶頂を表現します。性的なテーマがこれほど露骨な形で表現された舞台作品というのはそれまで前代未聞でしたから、初演の時には演技中は客席が騒然となることはなかったものの、幕が降りると拍手に混じってブーイングが起こったといいます。
ただ、初演での観客の反応にも関わらず、翌日の新聞各紙は概ね好意的な批評記事を掲載しました。しかし、『ル・フィガロ』紙では編集長ガストン・カルメット自身の筆によってバレエ『牧神の午後』を
「常軌を逸した見世物」
と弾劾する記事を第1面に大きく掲載したため、バレエ・リュスの主宰セルゲイ・ディアギレフ(1872〜1929)はただちに抗議の文章と、マラルメの友人であった画家のオディオン・ルドン(1840〜1916)や彫刻家オーギュスト・ロダン(1840〜1917)による『牧神の午後』を擁護する文章を持って編集室に乗り込んだといいます。
この文章において、ルドンはマラルメがこの舞台を見ることができなかったことを惜しみ、ロダンはニジンスキーの演技を古代のフレスコ画や彫刻の美に喩えて賛美しました。カルメットは公平を期すために、これらの文章を翌日の新聞に掲載しています。
この騒ぎのため『牧神の午後』はパリの人々の注目を集め、その後に行われた公演のチケットは完売となりました。2回目の上演からは警察が立会ったといいますが、ニジンスキーがラストシーンの表現を若干穏やかなものに変更したこともあり、初演時ほどの大きな騒動には至らなかったようです。
その後『牧神の午後』はこの年だけで15回上演され、12月に行われたベルリン初演も大成功でした。こうしてモダン・バレエの最初の作品とも言える『牧神の午後』は人々に受け入れられていき、今日ではモダン・バレエの代表的作品とされるまでになりました。
そんなわけで、今日はバレエ『牧神の午後』を御覧いただきたいと思います。ルドルフ・ヌレエフが主演した1981年の映像で、ニジンスキーの振付とバクストの衣装による幻想的かつセンセーショナルな舞台をお楽しみください。