昨日、故・五十嵐郁子先生のお別れ会に参加してきてから一夜明けて、今日は何も予定のない一日でした。本来なら何らか練習でもすればいいのでしょうが何だかそんな気持ちにもなれず、仏壇に伽羅のお線香をあげて般若心経を読儒しながら、昨日のお別れ会に思いを馳せていました。
先生とは大学在学中だけでなく、卒業後もいろいろな現場で御一緒させて頂きました。その中で、私が忘れられないステージがあります。それが、ブラームスの《ドイツ・レクイエム》です。
昭和音大という学校は、藤原歌劇団に所属している団員や準団員の方が講師としておいでになっていた学校なので、歌で採り上げられるのもイタリア語の作品が殆どでした。むしろ、年末の《メサイア》が異例に英語だった他はイタリア語かラテン語の作品だらけだったと言っても過言ではありません。
そんなわけで、五十嵐先生と御一緒する時にはラテン語のレクイエムが殆どだったのですが、卒業してから初めて御一緒したのはベートーヴェンの第九でした。その時、初めてではないものの久しぶりに先生のドイツ語の歌唱を聞いて、新鮮な気持ちになったものでした。
そして、次に先生のドイツ語歌唱を聞いたのが《ドイツ・レクイエム》でした。この曲は全7曲あるうちの第5曲がソプラノソロと合唱とで歌われる曲で、私が参加した時のコンサートのソリストも五十嵐先生でした。
弱音器を着けた弦楽合奏から始まるこの第5曲のソロを、先生はリハーサルからあの真っ直ぐな『Bella voce』で、優しく、美しく歌い上げられました。あまりの歌唱の美しさに、一度第5曲だけを通しでリハーサルした直後にオケや合唱団から拍手が沸き起こったくらいでした。通常、ソリストの方は本番に備えてリハーサルでは軽く歌われることが多いのですが、先生は本番通りに歌って下さるのでオーケストラ側としてもバランスが掴みやすくて有り難かったことをよく覚えています。
そして本番、先生が「Ihr habt nun Traurigkeit,…」と伸びやかな美しい声で歌いだすと会場の空気がフワー…と温かくなり、聴衆の顔に微笑が広がっていきました。その様子を舞台上から見ていた私は、自分は今、とても貴重な場面に居られているのだ…という事を実感して震えました。全曲終演後、先生が万雷の拍手を浴びたのは言うまでもありません。
そんなことを思い出しながら、ふと第5曲の歌詞の意味を紐解いてみました。
第5曲
あなた方は、今は悲しんでいます。
けれども、私はあなた方と再会しましょう。
その時、あなた方の心は喜び、
その喜びは何ものにも奪われません。(ヨハネ福音書 16:22)
私を御覧なさい。
私はほんのわずかの労苦で
大いなる慰めを見出しました。(ベンシラの知恵 51:35)
私もあなた方を慰めましょう、
母がその子を慰めるように。(イザヤ書 66:13)
まるで亡くなった先生が昨日の会衆ひとりひとりに語りかけているのではないか…とも思えてしまう内容に、またしても涙が溢れてきてしまいました。
「あなた方は、今は悲しんでいます。けれども、私はあなた方と再会しましょう。その時、あなた方の心は喜び、その喜びは何ものにも奪われません。」
本当にそうならば、こんなに嬉しいことはありません。いつか私が旅立つ時が来て彼岸に降り立ち、そこで先生と再会できたならどんなにか嬉しいことでしょう。奇しくも何の気なしにこの歌詞を紐解いたことによって、先生と同じ彼岸のステージに迎え入れて頂けるような人間になるべく、明日からまた前を向いて生きていく決意が出来ました。有り難いことです。
今日はその《ドイツ・レクイエム》の第5曲を、五十嵐先生の音源は残念ながら見つからなかったので、それに匹敵するくらいに美しいアーリーン・オウジェーの名唱でお聞き頂きたいと思います。
合掌。
Arleen Augér; "Ihr habt nun Traurigkeit; Ein deutsches Requiem; Johannes Brahms
先生とは大学在学中だけでなく、卒業後もいろいろな現場で御一緒させて頂きました。その中で、私が忘れられないステージがあります。それが、ブラームスの《ドイツ・レクイエム》です。
昭和音大という学校は、藤原歌劇団に所属している団員や準団員の方が講師としておいでになっていた学校なので、歌で採り上げられるのもイタリア語の作品が殆どでした。むしろ、年末の《メサイア》が異例に英語だった他はイタリア語かラテン語の作品だらけだったと言っても過言ではありません。
そんなわけで、五十嵐先生と御一緒する時にはラテン語のレクイエムが殆どだったのですが、卒業してから初めて御一緒したのはベートーヴェンの第九でした。その時、初めてではないものの久しぶりに先生のドイツ語の歌唱を聞いて、新鮮な気持ちになったものでした。
そして、次に先生のドイツ語歌唱を聞いたのが《ドイツ・レクイエム》でした。この曲は全7曲あるうちの第5曲がソプラノソロと合唱とで歌われる曲で、私が参加した時のコンサートのソリストも五十嵐先生でした。
弱音器を着けた弦楽合奏から始まるこの第5曲のソロを、先生はリハーサルからあの真っ直ぐな『Bella voce』で、優しく、美しく歌い上げられました。あまりの歌唱の美しさに、一度第5曲だけを通しでリハーサルした直後にオケや合唱団から拍手が沸き起こったくらいでした。通常、ソリストの方は本番に備えてリハーサルでは軽く歌われることが多いのですが、先生は本番通りに歌って下さるのでオーケストラ側としてもバランスが掴みやすくて有り難かったことをよく覚えています。
そして本番、先生が「Ihr habt nun Traurigkeit,…」と伸びやかな美しい声で歌いだすと会場の空気がフワー…と温かくなり、聴衆の顔に微笑が広がっていきました。その様子を舞台上から見ていた私は、自分は今、とても貴重な場面に居られているのだ…という事を実感して震えました。全曲終演後、先生が万雷の拍手を浴びたのは言うまでもありません。
そんなことを思い出しながら、ふと第5曲の歌詞の意味を紐解いてみました。
第5曲
あなた方は、今は悲しんでいます。
けれども、私はあなた方と再会しましょう。
その時、あなた方の心は喜び、
その喜びは何ものにも奪われません。(ヨハネ福音書 16:22)
私を御覧なさい。
私はほんのわずかの労苦で
大いなる慰めを見出しました。(ベンシラの知恵 51:35)
私もあなた方を慰めましょう、
母がその子を慰めるように。(イザヤ書 66:13)
まるで亡くなった先生が昨日の会衆ひとりひとりに語りかけているのではないか…とも思えてしまう内容に、またしても涙が溢れてきてしまいました。
「あなた方は、今は悲しんでいます。けれども、私はあなた方と再会しましょう。その時、あなた方の心は喜び、その喜びは何ものにも奪われません。」
本当にそうならば、こんなに嬉しいことはありません。いつか私が旅立つ時が来て彼岸に降り立ち、そこで先生と再会できたならどんなにか嬉しいことでしょう。奇しくも何の気なしにこの歌詞を紐解いたことによって、先生と同じ彼岸のステージに迎え入れて頂けるような人間になるべく、明日からまた前を向いて生きていく決意が出来ました。有り難いことです。
今日はその《ドイツ・レクイエム》の第5曲を、五十嵐先生の音源は残念ながら見つからなかったので、それに匹敵するくらいに美しいアーリーン・オウジェーの名唱でお聞き頂きたいと思います。
合掌。
Arleen Augér; "Ihr habt nun Traurigkeit; Ein deutsches Requiem; Johannes Brahms