共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

今日はヘンデルの歌劇《リナルド》初演の日〜悲しみを長調で歌う名アリア『私を泣かせてください(Lascia ch'io pianga )』

2025年02月24日 15時55分51秒 | 音楽

今日も朝から冷え込む一日となりました。天気予報では明日から徐々に春めいてくるということでしたが、にわかには信じ難いような天候が続いています。

ところで、今日2月24日は歌劇《リナルド》が初演された日です。《リナルド》は



ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(1685〜1759)の作曲したオペラで、イタリアの詩人トルクァート・タッソ(1544〜1595)による11世紀のエルサレムを舞台にした叙事詩『解放されたエルサレム』が原作です。

《リナルド》はロンドンで初演された最初のヘンデルのオペラで1711年2月24日の初演は大成功し、上演回数は1711年のシーズンで15回、ヘンデルの生前に合計53回を数えるほどの人気を誇りました。《オルランド》、《アルチーナ》、《テゼオ》、《アマディージ》とともに5つあるヘンデルの『魔法オペラ(魔法使いが登場するオペラ)』のひとつで、スペクタクル的な要素もふんだんに盛り込まれているのが特徴です。

ヘンデルは1706年ごろからイタリアのローマ、フィレンツェ、ヴェネツィアなどを旅行し、イタリアオペラののエッセンスを吸収することができただけではなく、自作の歌劇《アグリッピーナ》を本場ヴェネツィアで成功させることができました。1710年にはハノーファー選帝侯づきの宮廷楽長の地位を得たもののハノーファーには居つかずに旅行に出かけ、同年末になってイギリスへ渡りました。

ロンドンでヘンデルはヘイマーケット劇場の支配人アーロン・ヒルと知り合い、ヒルはタッソーを元に脚本を書いて、それをもとにジャコモ・ロッシが台本を仕立てました。速筆で知られるヘンデルはわずか2週間でこのオペラに作曲し、台本の作成が追いつかないほどであったといいます。

ただし、オペラのうちの15曲は過去の自作からの流用であったことが速筆を可能にした要因でもありました。完成したオペラはシーズン中に15回も上演されるという大成功をおさめ、ヘンデルはシーズンが終わる1711年6月までロンドンに滞在しました。

全部観ると3時間近くかかるので、今回はその中から有名なアリア『私を泣かせてください(Lascia ch’io pianga)』をご紹介しようと思います。



(ヘンデルの自筆譜)

『私を泣かせてください』 は主人公である十字軍の英雄リナルドの恋人アルミレーナのアリアで、エルサレムのイスラーム側の魔法使いの囚われの身になったアルミレーナが、敵軍の王アルガンテに求愛されても愛するリナルドへの貞節を守るため


Lascia ch'io pianga

mia cruda sorte,

e che sospiri la libertà.

Il duolo infranga queste ritorte

de' miei martiri sol per pietà.


どうか泣くのをお許しください

この過酷な運命に

どうか自由にあこがれることをお許しください

わが悲しみは、打ち続く受難に鎖されたまま

憐れみさえも受けられないのであれば


とアルガンテに歌うアリアです。後に19世紀のイタリアの音楽学者アレッサンドロ・パリゾッティ(1853〜1913)が17〜18世紀のオペラや宗教曲のアリアを編曲・編集して1914年にリコルディ社から出版した“Arie antiche”(古典アリア集)に含まれていたため単独で有名になり、日本では



“Arie antiche”を基にした『イタリア歌曲集』に掲載されている曲として知られていて、今でも音大生の必須歌曲のひとつとなっています。


そんなわけで、今日はヘンデルの歌劇《リナルド》から名アリア『私を泣かせてください』をお聴きいただきたいと思います。絶望や悲しみを長調で歌う、ヘンデル歌曲の真骨頂をご堪能ください。



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