共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

大嘗宮一般公開

2019年11月29日 18時16分55秒 | 日記
今日は久しぶりに、抜けるような快晴に恵まれました。そんなお天気の下、今日は皇居東御苑で開催中の大嘗宮の一般公開に出かけました。



手荷物検査と金属探知器検査を受けてから、普段は開かれていない皇居坂下門から皇居内に入ります。

そして



皇居宮殿車寄を左手に見ながら乾通りの手前を右折し、



富士見櫓を見ながら列を作って、誘導に沿って本丸を目指します。汐見坂を登って本丸の広場に出ると、



旧大奥の辺りに設えられた大嘗宮が姿を現します。



大嘗宮は新天皇陛下御即位の後、初めて新穀を皇祖天神地祇に供えられ、自らも召し上がられて国家国民の安寧と五穀豊穣等を感謝され、御祈念になる大嘗祭の中心的儀式『大嘗宮の儀』を執り行うために造営された仮宮です。下は宮内庁HPに掲載された平面図です。



儀式が終われば大嘗宮は取り壊され更地に戻されることになっていますが、今回は特別に一般に公開されることとなりました。

大勢の人でごった返している中を進むと、



先ず東側にある悠紀殿(ゆきでん)に供える神餞(しんせん)を調理した膳屋(かしわや)という建物が見えてきます。そこから進むと



皇嗣秋篠宮文仁親王殿下が入られた小忌幄舎(おみあくしゃ)という壁の無い建物と悠紀殿の千木が見えてきます。

悠紀殿は主に東日本の五穀豊穣を感謝するためのもので、この中に



天皇陛下と介添の女官が入られ、神餞を供えて御拝礼され御告文(おつげぶみ)を奏されて、自らも召し上がるという『悠紀殿供餞(きょうせん)の儀』が執り行われた建物です。



御簾の下がった悠紀殿の手前には



皇后陛下が御拝礼のためにお出ましになった、



帳殿(ちょうでん)という観音開きの扉の建物もあります。

正面手前には



庭燎舎(ていりょうしゃ)という庭火を焚いた小屋があって、屋根の下にある石器の中には焚いた庭火の燃えさしが残っていました。

そして、



大嘗宮正面に出てきました。正面の神明鳥居は南神門と呼ばれるもので、その向こうに女性皇族が入られた殿外小忌幄舎(でんがいおみあくしゃ)が見えます。

更に進むと



西側の主基殿(すきでん)と西側の帳殿が見えてきます。こちらでは西日本の五穀豊穣を感謝する『主基殿供餞の儀』が執り行われました。

主基殿と悠紀殿とは北の廻立殿(かいりゅうでん)を中心に左右対称に建てられています。なので悠紀殿側同様、主基殿側にも



膳屋が建てられています。神餞を調理する場所だけあって、壁には大量の榊の枝が挿されています。

そこから左手に回り込むと



主基殿の真横に出ます。主基殿の手前にある建物は楽師が奏楽を行った楽舎で、左奥には廻立殿が見えます。



廻立殿は天皇皇后両陛下が大嘗宮の儀に先立って御祭服や帛御服にお召替えされた建物です。

そこから更に裏手に回り込むと、



主基殿と悠紀殿が一緒に見えるポイントに出ます。

本来、これらの建物は茅葺屋根になるはずでした。しかし、歴史的意義を解さず金勘定しか頭にない一部の人間の難癖を受けて、今回は板葺屋根となりました。もしこれがきちんと茅葺屋根で設えられていたら、どれだけ壮麗なものとなったことか…。

廻立殿を裏からみると



高床式になっていることが分かります。こうした建築様式は弥生期頃の穀倉図にも見られ、伊勢神宮をはじめとする神社建築にも多く見られます。

そして



悠紀殿の裏手に回り込むところで一般公開は終了となります。

こうした皇室儀式が、建築や工芸、織工、農耕といった日本の伝統文化を伝承していく上で大きな役割を果たしていることは間違いありません。今回の一般公開を拝見して、改めてその思いを新たにしました。

この大嘗宮一般公開は12月8日まで開催されています。平日の今日でもかなり混み合いましたので、会期末には相当な混雑が予想されます。興味のある方はお早めにお運び下さい。


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