共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

今日はレオナルド・ダ・ヴィンチの誕生日〜師匠ヴェロッキオの筆を折らせた《キリストの洗礼》

2022年04月15日 19時20分35秒 | アート
昨日に引き続き、今日も冷たい雨の降る生憎のお天気となりました。つい一週間前までソメイヨシノが満開だったことなど信じられないような寒さで、小学校の子どもたちも震え上がっていました。

ところで、今日4月15日は天才レオナルド・ダ・ヴィンチの誕生日です。



レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1519)のフルネームは『レオナルド・ディ・セル・ピエロ・ダ・ヴィンチ(Leonardo di ser Piero da Vinci)』といいます。因みによく略称で使われる『ダ・ヴィンチ』というのは『ヴィンチ村出身の』ということを意味なので、個人名の略称としては『レオナルド』と呼んだ方がより適切です。

1452年4月15日、レオナルド・ダ・ヴィンチは、フィレンツェ共和国から20kmほど離れた郊外のヴィンチ村で、当地の有能な公証人だったセル・ピエーロ・ダ・ヴィンチと農夫の娘カテリーナとの間に非嫡出子として誕生しました。幼少期に十分な教育を受けられなかったうえに左利きだったレオナルドは文字を書くと左右反転の鏡文字になってしまい、そのことが生涯にわたってコンプレックスだったといいます。

さて、《受胎告知》《東方三博士の礼拝》《岩窟の聖母》《聖アンナと聖母子》《洗礼者ヨハネ》《モナ・リザ(ラ・ジョコンダ)》といった数々の名作で知られるレオナルドですが、今日はそんな天才の初期の活動にスポットをあててみようと思います。

1466年頃、レオナルドは当時フィレンツェにおいて最も優れた工房の一つを主宰していた画家で彫刻家でもあったアンドレア・デル・ヴェロッキオ(1435〜1488)が運営する工房に入門しました。ヴェロッキオは入門当時のレオナルドをモデルにして



この《ダヴィデ》を制作したといわれています。

そんなヴェロッキオ工房が1472年から75年にかけてフィレンツェのサン・サルヴィ修道院より依頼を受けて制作されたのが



《キリストの洗礼》という宗教絵画です。

ヴェロッキオは、絵画や版画、鋳造、機械工学や、数学、音楽の才にも恵まれた当時のフィレンツェにおける一流の芸術家であったため、彼の工房には大勢の有望な若い弟子たちが集まっていました。その中にはレオナルドの他に、若き日のサンドロ・ボッティチェリ(1445〜1510)らもいたといいます。

ヴェロッキオの工房では絵画や彫刻など多岐にわたる分野の作品を制作していたため、弟子たちとの共同での制作が頻繁に行われていましたた。この《キリストの洗礼》も、そのうちのひとつにあたる作品です。

この絵でも様々な弟子が制作に関わっていると伝わりますが、その中の



画面左端に跪いてキリストを見上げている天使をレオナルドが担当したといわれています。因みに



レオナルドの天使の隣の天使を描いたのはボッティチェリだともいわれています。

この作品について、ジョルジョ・ヴァザーリ(1511〜1574)が1550年に出版した『画家・彫刻家・建築家列伝(芸術家列伝)』によると、この天使の出来栄えに驚嘆したヴェロッキオは筆を折ることを決めてしまい、以後二度と絵を描かなくなったという逸話が残されています。もっともこの逸話は現在では真実ではないとされていますが、この天使がヴァザーリにそんなことを書かせてしまうほどの出来栄えであることを示していることに違いはありません。

様々な伝説に事欠かないレオナルドですが、その天才ぶりは少年期から発揮されていたわけです。レオナルドの誕生日である今日、そんなことに思いを馳せてみるのもいいのではないでしょうか。
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薮に咲くこの花は…

2022年04月14日 18時35分18秒 | 
寒い…

何ということでしょう、昨日の茹だるような夏の暑さから一転して今日は昨日より10℃以上も気温が下がり、すっかり冬の陽気に逆戻りしてしまいました。あまりの寒さに急遽仕舞いかけていた厚手の上着を引っ張り出して着たのですが、本格的に仕舞いこんでしまわなくて本当によかったと思います。

午後から雨が降るという予報だったので、とにかく必要な用事は午前中に済ませてしまおうと思って外出しました。すると、道すがらの薮に



こんな花が咲いていました。

さて、いきなりですがここで問題です、この花は一体何の花でしょうか?ヒントは、秋になると食べられる実がなる植物です。

答えは…



アケビの花です。私が子どもの頃に近くにあった裏山へこの時期に入ると、そこいら中にこの花が咲いていたものでした。

ただし、上の写真の花はアケビの雄花です。なので近くに雌花があるはずと蔓を伝って探してみると…



ありました!これがアケビの雌花で、この花に花粉が受粉すると秋に実がなります。

こんな近くにアケビの花を見たのは久しぶりです。秋にまたここに来れば恐らくアケビの実がなっているでしょうが、車道の近くという場所柄なので、もしかしたらホコリだらけになっているかも知れません。

それでも、一応この場所を覚えておいて、9月頃に実がなっているかどうか確かめに来てみようと思います。

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染み渡るアイスカフェモカと『桜のパンナコッタ』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2022年04月13日 20時50分20秒 | カフェ
今日も厳しい日差しが照りつける夏日となりました。体育の授業のサポートで小一時間外にいたのですが、気づくと肘から先が真っ赤に日焼けしていてビックリしました。

こうなると、そろそろ顔面をツートンカラーにする『マスク焼け』を気にしなければいけなくなってくるでしょう。元来私は日焼け止めなんぞ塗るようなタマではありませんが、こうなるとそんなことも言ってはいられません。

そんな小学校勤務を終えてから、一路横浜あざみ野の音楽教室に向かいました。そして、《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

今日はとにかく暑かったので、冷たいものがいただきたくなりました。なので今日は



新メニューのひとつであるアイスカフェモカをお願いしました。

ココアの甘味の効いた冷たいコーヒーの上にたっぷりの生クリームがトッピングされ、濃厚なチョコレートソースがかけられています。始めはスプーンでクリームをすくいながら、途中からはカフェモカと生クリームをブレンドさせながらいただきましたが、疲れた身体に上質な甘味が染み渡ります。

今日は



そろそろ季節的に終わりを迎えるであろう『桜のパンナコッタ』もオーダーしてみました。ほんのりと香る桜の風味はホッとする味わいで、実に美味しいスイーツです。

ところで、今日4月13日は『喫茶店の日』なのだそうです。これは1888(明治21)年のこの日に、上野に日本初の本格的なコーヒーを饗する喫茶店《可否茶館(かひいさかん)》がオープンしたことを記念するものだそうですが、そんな記念日にこちらに来られたのも何かの御縁と言えるかも知れません。

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久々の参詣

2022年04月12日 17時50分55秒 | 神社仏閣
今日、遂に半袖シャツで通勤することにしました。早朝に自宅を出る時にはまだ空気がヒンヤリしていましたが、小田原の学校に到着する頃には半袖通勤で大正解!という暑さとなりました。

今日も一般級との交流の付き添いで一日終わりました。その中で支援級の子どもたちの身体測定もありましたが、当初懸念されていたように泣いて拒否する子は一人もおらず至極穏やかに粛々と身体測定を終えることができて、大人たちはホッとしていました。

そんな小学校勤務を終えてから、ちょっと足を伸ばして以前放課後子ども教室の前に参詣していた



大稲荷神社に立ち寄ってみました。鳥居の横の桜の花はだいぶ終盤になっていて、桜吹雪が美しく舞い散っていました。

それから、鳥居横の曹洞宗福泉寺にある



宇賀辯財天を祀る満願辯財天にも参詣しました。我が家にも宇賀辯財天を祀っていることもあるので、久しぶりに参詣することができました。

明日も暑くなるようです。とりあえず明日用の半袖シャツを準備しておこうと思います。

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急遽準備!

2022年04月11日 18時00分20秒 | 日記
いやぁ暑い!昨日ほどではないにせよ、今日も夏日に迫る暑さとなりました。まだ桜の花も残っているというのに、この急な暑さはたまりません。

はからずも先日半袖の洗濯を済ませておきましたが、本当によかったと思います。それでも、この急な暑さはなかなかだったので、



急遽しまっておいた扇子も引っ張り出してきました。

まさか4月に夏支度をする羽目になるとは思いも寄りませんでしたが、帰宅して玄関を開けた時に熱気を感じるようになっては呑気にしてもいられません。週末には



早くも台風1号が日本列島に接近してくるというのですから、一体今の季節は何なのか分からなくなりますね…。

さて、明日は小学校の出勤に半袖を着ていこうかどうか悩んでいます。とりあえず明日の朝の状況で決めようと思いますが、さてどうなりますやら…。

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めくるめくグリーン!

2022年04月10日 18時50分20秒 | 
今日は一段と暖かな一日となりました。日中は半袖でないと暑いくらいでしたから、そろそろ夏衣の準備も必要になってくるかも知れません。

そんな陽気を反映…したわけではないでしょうが、駅ビルの花屋の店先には



目にも涼し気なグリーンの花だけのコーナーができていました。以前にも違う花屋でこうしたコーナーを見かけたことがありましたが、グラジオラスやラナンキュラスやトルコキキョウといった様々な緑色の花があることに、改めて驚かされます。



看板を見ると、どうやらこのコーナーは今日までのようでした。本当は若葉萌える頃まで続けばいいのですが、商業ベースとしてはそうもいかないのでしょう。

明日から、また新しい一週間が始まります。桜の花が終わると藤や牡丹の時期がやってきますから、また楽しみが増えます。

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フリマで見つけた世紀の珍盤!〜ジェンキンス夫人《THE GLORY() OF THE HUMAN VOICE》

2022年04月09日 13時55分20秒 | 音楽
今日は、先日桜並木の写真を撮った相模川三川合流地区に出かけました。土手の桜並木はかなり花が散っていましたが、



テニスコート近くの広場の桜はまだ見頃と言ってもいい状況で、桜吹雪の舞い散る中に茣蓙を広げて草上の昼食を楽しんでいる人たちもいました。

さて、今日はこの近くで知り合いの方がフリーマーケットをされるということでやって来ました。河原近くの駐車場に向かうと



既に何人かの方が物色している最中でした。

今回の私のお目当ては



クラシックを中心とした大量のLPレコードでした。通算5つもの段ボール箱にギッシリ詰まったレコードを物色することしばし、若干出品者にご迷惑になっているのではないか…と思うほど探りに探って厳選したのが



これらのレコードです。フリッツ・クライスラーやセルゲイ・ラフマニノフの自作自演といった貴重なものもあるのですが、その中で個人的に一番の掘り出し物だったレコードが



20世紀最大の珍品レコードとの誉れ(?)高い『フローレンス・フォスター・ジェンキンス〜人間の声の栄光(????)』です。

このフローレンス・フォスター・ジェンキンスなる方は、ある大富豪の奥様だった御婦人です。大の音楽好きでよくリサイタルを開催されていた方なのですが、同時に大の音痴であることでも有名な方でした。

御主人からは何度も止められていたにも拘わらず歌うことが辞められなかったため、遂にジェンキンス夫人は離縁されてしまいます。それでも彼女はメゲず、何とアメリカの音楽の殿堂カーネギーホールでコンサートを開いてしまったというツワモノなのです。

このアルバムも、その延長線で制作されたものです。モーツァルト《魔笛》の夜の女王のアリアやヨハン・シュトラウス2世《こうもり》のアデーレのアリア、ドリーブ《ラクメ》の『鐘の歌』といった、いずれもきちんと歌えれば名曲揃いのアルバムなのですが、そこはジェンキンス夫人のことですからそう簡単にはいかず、それはそれは凄絶な歌唱を披露してくれているのです。

因みに、このレコード収録やコンサート開催にあたって伴奏ピアニストのオーディションを行ったのですが、演奏技量は勿論のこと「演奏中にジェンキンス夫人の『歌』を絶対に笑わないこと」が最大条件だったのだそうです。そして、その条件を唯一クリアのが、このレコードに収録されているコスム・マックムーンでした。

かつてはCD化もされていたレコードですが、まさか原盤にお目にかかれるとは夢にも思っていませんでした。早速自宅に連れ帰って聴いてみたのですが、久しぶりに爆笑させてもらいました(笑)。

このアルバムをご存知ない方のために、今日はこのレコードの冒頭に収録されているモーツアルトの『夜の女王のアリア』の演奏動画を載せてみました。タモリ倶楽部でも紹介された、天下の迷歌唱をご堪能(?)ください。



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何とか間に合った小田原城址公園とお堀端通りの桜

2022年04月08日 18時05分30秒 | 
今日から新現場での本格的な授業が始まりました。

今日は主に、支援級の新一年生の子どもたちが一般級での授業に参加する交流授業支援にあたりました。配られた教材に名前を書いたり、教室に飾るネームプレートに名前を書いて周りの絵に色塗りをしたりしました。

基本的には支援級の子たちの面倒を見ていたのですが、その隣の子や前後の子たちから

「せんせ〜!できた〜!」
「せんせ〜!みて〜!」
「せんせ〜!わかんな〜い!」

とあちこちから背中を突かれたり袖を引っ張られたりしてお声がかかり、ちょっとした騒ぎになってしまいました。それでも、そうした声を無視するわけにもいかず、本来するべき支援級の子たちのお世話もしつつ、近隣の子たちのお世話もするという、なかなかなカオスになったのでありました(汗)。

今日は午前中だけで授業が終わったので、子どもたちを送り出してから小田原城址公園に向かってみました。本丸広場に上ってみると、



天守閣の前の桜が春風に花弁を散らしていました。

それからお堀端通りに降りてくると



隅櫓越しにソメイヨシノや枝垂れ桜が咲き誇る様子を観ることができました。このすぐ横には、



水面に枝を伸ばす『スレスレ桜』の姿も観られました。

他にも



堀に架かる学橋(まなびばし)を臨む辺りでは、花筏を揺らしながら悠々と泳ぐ鯉の姿を観ることもできました。また、お堀端通りそのものも



こうした桜のトンネルを楽しむことができました。

少しばかり散り急いでしまっていましたが、それでも何とか小田原城の桜を楽しむことができました。明日は、もう一度相模川の桜並木の辺りに出かけてみようと思います。

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今日は宮城道雄の誕生日〜ルネ・シュメーのヴァイオリンと宮城道雄の箏との共演による《春の海》

2022年04月07日 17時00分35秒 | 音楽
今日も暖かなお天気となりました。桜の花も散り始め、桜吹雪が風に舞う美しい光景が見られるようになりました。

ところで、今日4月7日は宮城道雄の誕生日です。



宮城道雄(1894〜1956)は、神戸市に生まれた日本の作曲家・箏曲家です。

7歳の時に失明した宮城道雄は、この失明が転機となって音楽の道を志すことになりました。8歳で生田流箏曲の門を叩くとその才能を開花させ、弱冠11歳で免許皆伝となったといいます。

1930(昭和5)年には東京音楽学校(現東京芸術大学)講師となり、1937年同校教授となりました。1953年にはフランス、スペインの国際民族音楽舞踊祭に日本代表で参加して絶賛を浴びましたが、1956(昭和31)年6月25日に関西への演奏旅行の途上、東海道線刈谷駅付近で夜行列車から転落して亡くなってしまいました。

宮城道雄は作曲だけでなく新たな楽器の開発にも取り組みましたが、その中で生み出されたもののひとつが



十七絃箏という低音域の箏です(写真左)。宮城道雄はこの楽器のための作品も数多く遺していて、現在でも箏曲アンサンブルの貴重なレパートリーとなっています。

その後も宮城道雄は二十絃箏などの大型楽器を次々と開発していきましたが、その究極型が



八十絃箏という巨大箏です。これは88鍵のグランドピアノとほぼ同じ音域をカバーするものでしたが、あまりの巨大さと調弦や演奏の複雑さ故に実現化することはありませんでした。

宮城道雄が開発した八十絃箏は太平洋戦争で消失してしまいましたが、





戦後に再現したものがあります。ただ、これも演奏されることは殆どないようです。

さて、宮城道雄の代表作といえば何を置いても尺八と箏との二重奏曲《春の海》でしょう。タイトルだけ聞いて分からない方も、よくお正月になるとあちこちから流れてくる和風BGMといえばピンとくるのではないかと思います。

《春の海》は1929(昭和4)年に、翌年の歌会始の勅題『海辺巖』に因んで、かつて宮城自身が瀬戸内海を船で巡った時の印象を基にして制作されました。瀬戸内の穏やかな波の音や鳥の声、船頭の舟唄などが織り込まれ、麗かな春の風情が音で紡がれています。

この《春の海》が本格的に有名になったのは、フランスの女流ヴァイオリニストのルネ・シュメー(1888〜1977)が尺八パートをヴァイオリン用にアレンジしたものが1932(昭和7)年にレコーディングされたことでした。このレコードは日本だけでなくアメリカやフランスでも発売され、この作品の知名度と評価を世界的に一気に押し上げたのでした。

現在ではオリジナルの編成は勿論のこと、尺八パートをヴァイオリンやフルートで、箏パートをハープやピアノで演奏されることもあります。私も2度ほどヴァイオリンで演奏したことがありますが、冒頭の舟唄感を出すのはなかなか難しいと感じています。

最近はどうしてもお正月の和風感をかもし出す音楽として使われがちな作品ですが、この曲は正月の海ではなくあくまでも『春』の海ですから、むしろ桜の咲く今の時期にこそ聴くべき曲です。

ということで宮城道雄の誕生日である今日は、この作品の世界的評価を高めるきっかけとなったルネ・シュメーのヴァイオリンと宮城道雄自身の箏との共演を収録した1932年のレコードをお聴きいただきたいと思います。桜の季節に、尺八での演奏とはまた一味違う《春の海》をお楽しみください。



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今日から新現場&桜のパンナコッタ@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2022年04月06日 18時00分18秒 | カフェ
今日は新現場の勤務初日でした。今日はオンラインでの新任式と始業式と入学式とが行われましたが、入学式には参列せずに終わりました。

昨年度は学習が追いつかない知的級の学習支援でしたが、今回割り振られたのは感情の起伏が激しい情緒級の学習支援でした。その中でも私が担当するクラスは殆どが中学年の男子で、しかもかなりテンション高めの子どもたちばかりでした。

担任の先生はこれまた男の先生で、支援級を担当されるのが初めてとのことでした。それでも、不安げながらも頑張って子どもたちと向き合う姿はなかなかのもので、これに今日は会えなかった一年生が二名加わっても、一年間何とかやっていけるのではないかと思ったのでした。

さて、学校を終えてから一度帰宅して昼食を済ませ、午後からゆっくりと横浜あざみ野の音楽教室を目指しました。そして、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

4月に入って、いくつかメニューも新しくなっていました。そんな中で、今日は



この時期ならではの『桜のパンナコッタ』をオーダーすることにしました。

ほんのり甘いパンナコッタの上に桜の花の塩漬けを刻んだクラッシュゼリーがトッピングされ、生クリームと桜の塩漬けがあしらわれています。いただくと、ほんのりとした桜の風味が鼻に抜けていきます。

食べ進めていくと、器の底にちょっとした『お宝』が潜んでいます。そんな演出も楽しみながら、



アイスコーヒーと一緒に美味しく堪能しました。

今日は午前中だけで終わりましたが、明後日からは早速午後までの授業のサポートが始まります。新一年生と私とはそこで初対面となるのですが、果たしてどんな反応をされますやら…。

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明日の入学式&始業式に向けて

2022年04月05日 19時20分19秒 | 日記
昨日の冷たい雨もようやく上がって、今日は気持ちのいいお天気となりました。心配していた桜の花もそんなに散り急いでおらず、明日の入学式&始業式までもってくれそうです。

いよいよ明日は新現場への勤務が始まります。それについては、



交通費支給の申請書や勤務を開始するにあたっての宣誓書といった書類を提出する必要があります。

こうした書類を記入していると、新しい小学校に勤務することの実感がわいてきます。明日はオンラインでの新任式で私を紹介してもらえるそうですが、子どもたちの反応がどういったものになるのか気になっています。

まぁ、今から気を揉んでも仕方ありませんから、とりあえず今日は早目に休もうと思います。

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『あんぱんの日』にあんぱんを探し求めて…

2022年04月04日 19時55分05秒 | スイーツ
今日も昨夜からの冷たい雨が残る、生憎の空模様となりました。折角仕舞い込もうとした上着が活躍するようになるとはソメイヨシノが開花した頃には思いも寄りませんでしたが、この冷え込みで桜の花がもってくれるのか、それとも花散らしの雨となってしまうのか分かりませんが、とりあえず明後日の入学式にはまだ満開でいてくれていることを期待したいと思います。

さて、今日4月4日は『あんぱんの日』なのだそうです。明治8(1875)年の4月4日に明治天皇が水戸徳川家の下屋敷に行幸されたみぎり、侍従だった山岡鉄舟の勧めでお花見のお茶菓子として木村屋(現在の木村屋總本店)のあんぱんが出されたことから制定されたとのことです。

明治初期に元水戸藩士族だった木村安兵衛が銀座に木村屋を出店してパンを売り出しましたが、当時の日本人の口に合わなかったようで売り上げは伸びませんでした。そこで饅頭をヒントにパンの中にあんこを入れて売り出したところ、饅頭に似ていながらも変わった風味のハイカラな食べ物だということで一気にヒットしたといいます。

そのあんぱんを好んで食していた山岡鉄舟は木村安兵衛に

「水戸屋敷での行幸には京の和菓子に替えて、純日本製の木村屋のあんぱんをお出ししてはどうだろうか」

と提案し、実現したといいます。明治天皇に饗するにあたって、木村安兵衛はあんぱんの真ん中に奈良吉野山の八重桜の塩漬けを取り寄せて入れたところ明治天皇はこの『桜あんぱん』をいたくお気に召し、木村屋は皇室御用達の栄誉を得ることとなりました。

そんなわけで、私もあんぱんをいただくべくいろいろなパン屋さんを見て周りました。ところが、そうした店にあるのは抹茶やヨモギを練り込んだ小洒落たあんぱんばかりで、いわゆる『あんぱん』は驚くほど見られなかったので



仕方なくヤマザキのあんぱんで我慢することとなりました(涙)。

ところで、市販のあんぱんには



こんな凹みがあります。これは一つにはパンの中の空洞を防ぐためともいわれていますが、一説には明治天皇にお出しした桜あんぱんと同じものを市販するのは畏れ多いと、桜の塩漬けを埋め込んだ部分だけを再現したことがきっかけであるともいわれています。

お煎茶と一緒に食べるあんぱんというのも、また乙なものです。でも、本当は木村屋のあんぱんが食べたかったなぁ…。

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年度初めの風物詩

2022年04月03日 19時10分20秒 | 日記
折角昨日はいいお天気だったのに、今日はまた冷たい雨の降る生憎の空模様となりました。ちょっと不謹慎かも知れませんが、この寒さで桜の花がちょっとだけ長持ちしてくれないかな…と思ったりしています。

さて、新年度がスタートしたことによって、今年も



本厚木駅のコンコースには通勤や通学の定期券を申し込む長い行列ができていました。特に明日の月曜日に間に合わせるためか殊更列が長いように見えて、



簡易の受付を終えて交付手続を待つ人たちの表情は、寒さも手伝ってかどことなくくたびれて見えました。

私は定期券を購入するほど特定の場所に行くわけでもないので、交通系ICカードや回数券で済ませています。明々後日からは小田原の新しい小学校での勤務がスタートしますから、そろそろまた小田原までの回数券の準備でもしておこうかと思っております。

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厚木・小鮎川河川敷名物の枝垂れ桜

2022年04月02日 20時35分45秒 | 
昨日の雨から一転して、今日は朝から気持ちのいいお天気となりました。ただ気温はそこまで上がらず、風の冷たさは相変わらずでした。

そんな陽気に誘われて、午後から散歩に出かけてみました。先日桜並木を撮影した小鮎川沿いを歩いていると、川沿いにある青松禅寺というお寺の門前にある



枝垂れ桜が満開になっていました。

昨日の雨に打たれて散り急いでしまったのではないかと思っていたのですが、



どういたしまして、まだ満開の花を咲かせていました。よく見ると



花萼がだいぶ紅くなってきていましたから、もうそろそろ散り始めるのではないかと思います。

来週の水曜日には小学校の入学式と始業式があるのですが、せめてそこまでソメイヨシノを含めた桜の花がもってくれるといいな…と思っているのですが、ここから気温が上昇すると、もしかしたら散り急いでしまうかも知れません。さて、どうなりますやら…。

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今日はラフマニノフの誕生日〜ピアノロールに残した自作自演《前奏曲嬰ハ短調 作品3-2》

2022年04月01日 19時25分45秒 | 音楽
令和4年度は、冷たい雨降りの幕開けとなりました。気温も昨日と比べてグンと下がり、花冷えを通り越してまるで冬に逆戻りしたような寒さとなりました。

さて、今日4月1日はラフマニノフの誕生日です。



セルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフ(1873〜1943)はロシア帝国出身の作曲家、ピアニスト、指揮者だった人物です。

チャイコフスキーやリムスキー・コルサコフといった先達たちの流れを汲む作曲家として活躍したラフマニノフは、時に『ロマン派最後の巨匠』などと呼ばれることがあります。同時期にはストラヴィンスキーやプロコフィエフ、ショスタコーヴィチといった近代音楽を代表する作曲家が活躍する中にあって、ラフマニノフはあくまでもロマンティシズムやリリシズムに満ちた情感溢れるメロディを生み出し続けました。



作曲家として3曲の交響曲や、映画音楽にもなった《ピアノ協奏曲第2番ハ短調》、第18変奏が単独でも有名なピアノとオーケストラのための《パガニーニの主題による変奏曲》といった作品を作曲したことで広く知られているラフマニノフですが、ピアニストとしても高名だったこともあって数多くのピアノ作品も残しています。

その中でもとりわけ有名な作品といえば、何と言っても《前奏曲嬰ハ短調作品 3-2》です。この曲は、かつて浅田真央さんがバンクーバー冬季五輪でフリープログラムに使用して見事に銀メダルを獲得したことで一気にメジャーになりました。

《前奏曲嬰ハ短調作品 3-2》は、ラフマニノフがモスクワ音楽院を卒業してから自由な芸術家として書き上げた最初の作品の一つです。初演は1892年10月8日に、モスクワ電気博覧会の祝賀会で作曲者自身によって行われました。

この曲は4分前後と短いながら、実に重厚な響きに満ちた作品です。冒頭の『ラ、ソ#、ド#ー!』というテーマがクレムリン宮殿の鐘の音を想起させるということから俗に『鐘』のサブタイトルで呼ばれることもありますが、これはラフマニノフがつけたものではありません。

この曲のクライマックスでは



通常なら2階建ての大譜表で書かれるピアノの楽譜が、何と4階建ての楽譜となるのです!上の楽譜では、上の2段が右手、下の2段が左手のパートになるのですが、ここまで音の厚みがある曲もそう多くはありません。

この作品の人気ぶりは初演直後から凄まじく、聴衆から「ラフマニノフの(例の)前奏曲」と呼ばれたり、ラフマニノフのリサイタルで聴衆からアンコールとして「Cシャープ!(嬰ハ短調のこと)」との呼び声がかかったりするほどだったといいます。ただ、作曲者自身はこの曲のあまりの評判に自分のその他のピアノ曲がかすんでしまうことを恐れて、この曲を毛嫌いするようになってしまっていたようです。

ところで、ラフマニノフの時代にもなると音楽録音技術が発達し、それによって当時の作曲家たちによる自作自演が様々なかたちで残されるようになりました。ラフマニノフの自作自演もSPレコードに録音されていますが、それと共に残されたのが



当時普及していた自動演奏ピアノで再生するための



ピアノロールという記録装置です。

ラフマニノフはアンピコ社(アメリカン・ピアノ・カンパニー社)と契約して、紙製のピアノロールに自身の演奏を記録しました。それを通じて後世に様々な自作自演を遺していますが、その中にこの《前奏曲嬰ハ短調作品 3-2》も含まれています。

そんなわけで、ラフマニノフの誕生日である今日は代表曲である《前奏曲嬰ハ短調作品 3-2》を、作曲家自身がピアノロールに遺した自作自演でお楽しみください。


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