令和4年度は、冷たい雨降りの幕開けとなりました。気温も昨日と比べてグンと下がり、花冷えを通り越してまるで冬に逆戻りしたような寒さとなりました。
さて、今日4月1日はラフマニノフの誕生日です。
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セルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフ(1873〜1943)はロシア帝国出身の作曲家、ピアニスト、指揮者だった人物です。
チャイコフスキーやリムスキー・コルサコフといった先達たちの流れを汲む作曲家として活躍したラフマニノフは、時に『ロマン派最後の巨匠』などと呼ばれることがあります。同時期にはストラヴィンスキーやプロコフィエフ、ショスタコーヴィチといった近代音楽を代表する作曲家が活躍する中にあって、ラフマニノフはあくまでもロマンティシズムやリリシズムに満ちた情感溢れるメロディを生み出し続けました。
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作曲家として3曲の交響曲や、映画音楽にもなった《ピアノ協奏曲第2番ハ短調》、第18変奏が単独でも有名なピアノとオーケストラのための《パガニーニの主題による変奏曲》といった作品を作曲したことで広く知られているラフマニノフですが、ピアニストとしても高名だったこともあって数多くのピアノ作品も残しています。
その中でもとりわけ有名な作品といえば、何と言っても《前奏曲嬰ハ短調作品 3-2》です。この曲は、かつて浅田真央さんがバンクーバー冬季五輪でフリープログラムに使用して見事に銀メダルを獲得したことで一気にメジャーになりました。
《前奏曲嬰ハ短調作品 3-2》は、ラフマニノフがモスクワ音楽院を卒業してから自由な芸術家として書き上げた最初の作品の一つです。初演は1892年10月8日に、モスクワ電気博覧会の祝賀会で作曲者自身によって行われました。
この曲は4分前後と短いながら、実に重厚な響きに満ちた作品です。冒頭の『ラ、ソ#、ド#ー!』というテーマがクレムリン宮殿の鐘の音を想起させるということから俗に『鐘』のサブタイトルで呼ばれることもありますが、これはラフマニノフがつけたものではありません。
この曲のクライマックスでは
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通常なら2階建ての大譜表で書かれるピアノの楽譜が、何と4階建ての楽譜となるのです!上の楽譜では、上の2段が右手、下の2段が左手のパートになるのですが、ここまで音の厚みがある曲もそう多くはありません。
この作品の人気ぶりは初演直後から凄まじく、聴衆から「ラフマニノフの(例の)前奏曲」と呼ばれたり、ラフマニノフのリサイタルで聴衆からアンコールとして「Cシャープ!(嬰ハ短調のこと)」との呼び声がかかったりするほどだったといいます。ただ、作曲者自身はこの曲のあまりの評判に自分のその他のピアノ曲がかすんでしまうことを恐れて、この曲を毛嫌いするようになってしまっていたようです。
ところで、ラフマニノフの時代にもなると音楽録音技術が発達し、それによって当時の作曲家たちによる自作自演が様々なかたちで残されるようになりました。ラフマニノフの自作自演もSPレコードに録音されていますが、それと共に残されたのが
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当時普及していた自動演奏ピアノで再生するための
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ピアノロールという記録装置です。
ラフマニノフはアンピコ社(アメリカン・ピアノ・カンパニー社)と契約して、紙製のピアノロールに自身の演奏を記録しました。それを通じて後世に様々な自作自演を遺していますが、その中にこの《前奏曲嬰ハ短調作品 3-2》も含まれています。
そんなわけで、ラフマニノフの誕生日である今日は代表曲である《前奏曲嬰ハ短調作品 3-2》を、作曲家自身がピアノロールに遺した自作自演でお楽しみください。