毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
催眠
私が浴槽につかるとすぐに眠ってしまうのは、このブログで何度か書いてきた。一日の締めとして湯につかろうと思いながら湯船に入り、一日の出来事を振り返ったりしていると、いつの間にか寝入ってしまう。自分では寝てしまった感覚はまるでないのだが、鼻の中に水が入ってあえぎながら目が覚める。呼吸が困難になったりするが、入った水を必死で出しながら「寝てたのか」とふっと意識が戻る。しかし、次の瞬間にはまた寝てしまっている。再び、鼻の中に入った水で起こされるのだが、これを何度か繰り返さないと意識が完全に戻らない。
しかし、こうした体験から溺死というのは苦しい死に方なのだろうなと想像できるようになった。普段何気なく繰り返している呼吸がどれだけ人間にとって大切なものかがよくわかる。鼻の中に入った水を必死の思いで出しながら、空気の有難さが身に沁みる。と同時に、こんなことを繰り返していたら、いつか本当に浴槽の中で溺死してしまうのではないかと心配になる。妻にこの話をすると、浴槽から私の大きな身体を運び出すのは大変だから、そんな死に方は勘弁してくれと言われる。それもそうだから、何とか踏ん張って浴槽の中で眠らないように頑張ってみるのだが、どうしても寝てしまう。何故だろう。
確かにぎりぎりまで起きていて、半睡半覚の状態で入浴するのだから眠ってしまうのも無理はないかもしれない。しかし、それにしても毎回余りにも簡単に睡魔の手に落ちてしまうのには他に理由があるような気がする。年をとって感覚が鈍くなったせいもあるのかなと思わなくはないが、年のせいにしたくはない。もっと他に外的要因があるのではないだろうか・・。そう思って浴室を頭の中で点検してみたところ、一つ思い当たることがあった。それは浴槽に湯を入れる蛇口から絶えず水が漏れていたことだ。ポツン・・ポツン・・、などと言うわずかな雫の音などではなく、ポンポンポンポンと絶えることなくリズミカルに蛇口から水滴が漏れていた。かなり前から漏れていたので、水道屋に相談したこともあるが、中のパッキンが古い物で、今ではその型がなくなってしまったから、修理できないと言われていた。蛇口丸ごと変えなけりゃ直らないと宣告されたのだが、私の父があれこれ抵抗を試みて、ごまかしながら今までやってきた。しかし、水漏れが完治することはなく、常にポンポンポンポンと蛇口から水が漏れていた。かなりもったいない・・。
それが私の居眠りに大きな関係があるのでは?などと思いついたのはつい最近である。いかにも穿った見方だが、水漏れの単調なリズムが私の脳を休める働きをして、眠りへと誘うのではないだろうか、と水滴の催眠効果に思いが至ったのだ。と言うのは、父が業を煮やして、「蛇口ごと代える!」と言い放って、自ら買ってきた蛇口を取り付けたからである。
さすがと言うしかないほど、ぴたりと水漏れがやんだ。以前は、家族の中で最後に風呂に入る私が出る前にしっかり蛇口を締めたつもりでも、翌朝には必ず湯船いっぱいにたまっていた。蛇口を変えたら、水漏れがぴたりとなくなった。湯船につかっても今までと違って水滴の音がしない。物足りないくらい静かだ。ならば、私の居眠りもなくなったのだろうか?う~~ん、どうだろう。居眠りする時間が短くなったような気はするが、眠らなくなったわけではない。ただ、眠りが浅くなったと言えるかもしれない。それも蛇口の使い方に慣れていない緊張感から来るだけで、慣れてしまえば元通りになるかもしれない。
あれこれ言ったところで、湯船での居眠りをなくす一番の方法は、「すこしでも早く寝ろ」と言うのに尽きるのだが、「分かっちゃいるけどやめられない」である。でも、溺死だけはしないようにくれぐれも注意しなければいけないと思っている。
しかし、こうした体験から溺死というのは苦しい死に方なのだろうなと想像できるようになった。普段何気なく繰り返している呼吸がどれだけ人間にとって大切なものかがよくわかる。鼻の中に入った水を必死の思いで出しながら、空気の有難さが身に沁みる。と同時に、こんなことを繰り返していたら、いつか本当に浴槽の中で溺死してしまうのではないかと心配になる。妻にこの話をすると、浴槽から私の大きな身体を運び出すのは大変だから、そんな死に方は勘弁してくれと言われる。それもそうだから、何とか踏ん張って浴槽の中で眠らないように頑張ってみるのだが、どうしても寝てしまう。何故だろう。
確かにぎりぎりまで起きていて、半睡半覚の状態で入浴するのだから眠ってしまうのも無理はないかもしれない。しかし、それにしても毎回余りにも簡単に睡魔の手に落ちてしまうのには他に理由があるような気がする。年をとって感覚が鈍くなったせいもあるのかなと思わなくはないが、年のせいにしたくはない。もっと他に外的要因があるのではないだろうか・・。そう思って浴室を頭の中で点検してみたところ、一つ思い当たることがあった。それは浴槽に湯を入れる蛇口から絶えず水が漏れていたことだ。ポツン・・ポツン・・、などと言うわずかな雫の音などではなく、ポンポンポンポンと絶えることなくリズミカルに蛇口から水滴が漏れていた。かなり前から漏れていたので、水道屋に相談したこともあるが、中のパッキンが古い物で、今ではその型がなくなってしまったから、修理できないと言われていた。蛇口丸ごと変えなけりゃ直らないと宣告されたのだが、私の父があれこれ抵抗を試みて、ごまかしながら今までやってきた。しかし、水漏れが完治することはなく、常にポンポンポンポンと蛇口から水が漏れていた。かなりもったいない・・。
それが私の居眠りに大きな関係があるのでは?などと思いついたのはつい最近である。いかにも穿った見方だが、水漏れの単調なリズムが私の脳を休める働きをして、眠りへと誘うのではないだろうか、と水滴の催眠効果に思いが至ったのだ。と言うのは、父が業を煮やして、「蛇口ごと代える!」と言い放って、自ら買ってきた蛇口を取り付けたからである。
さすがと言うしかないほど、ぴたりと水漏れがやんだ。以前は、家族の中で最後に風呂に入る私が出る前にしっかり蛇口を締めたつもりでも、翌朝には必ず湯船いっぱいにたまっていた。蛇口を変えたら、水漏れがぴたりとなくなった。湯船につかっても今までと違って水滴の音がしない。物足りないくらい静かだ。ならば、私の居眠りもなくなったのだろうか?う~~ん、どうだろう。居眠りする時間が短くなったような気はするが、眠らなくなったわけではない。ただ、眠りが浅くなったと言えるかもしれない。それも蛇口の使い方に慣れていない緊張感から来るだけで、慣れてしまえば元通りになるかもしれない。
あれこれ言ったところで、湯船での居眠りをなくす一番の方法は、「すこしでも早く寝ろ」と言うのに尽きるのだが、「分かっちゃいるけどやめられない」である。でも、溺死だけはしないようにくれぐれも注意しなければいけないと思っている。
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