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春霞

 昨日は県会議員選挙の投票を済ませた後、近くの公園で花見としゃれこんだ。といっても、私たちの他誰も花見などしない場所なので、ささやかな宴ではあったが何の遠慮もなしに和むことができた。

  

 桜は満開だ。しかし、枝の中には花弁が全くないものもあり、なんとなく寂しい。「今年はどこの桜も花が少ないよ」と、叔母が話したが、2月が暖かく、3月が少し寒かった影響なのかもしれない。気候の変動をもっとも如実に示すのが草花なのだろう。桜も暖冬で、もっと早く満開になるといわれていたのが、例年とさほど変わらなくなったのも、いいのか悪いのかよく分からない。


青いビニールシートを敷いて、スーパーで買ってきたビールと簡単なつまみ、それだけのものだったが、私としては飲めればそれだけで十分だ。日の高いうちから飲むビールはやはりおいしい。しかも屋外となれば何倍もうまみが増す。前日の雨がすっかり上がり、ぽかぽかと春の日差しが心地よい。時折弱い風が吹くと、桜の花びらが青いシートの上に舞い落ちてくるのも興趣をそそる。
 今は親戚と顔を合わせると、どうしても東京に行った息子のことが話題になる。入学式から1週間たつが家に電話してきたことはない。妻は一人寂しがっているが、私はそれほど苦にはしていない。一人暮らしの楽しさを味わったことがある者とそうでない者との違いなのかもしれない。しかし、桜と菜の花を春霞の中に見渡したときは、李白の「黄鶴楼送孟浩然之広陵」という漢詩を思い出して、少しばかり胸が熱くなってしまった。  



  故人西辞黄鶴楼    故人西のかた黄鶴楼を辞し、
  煙花三月下揚州    煙花三月揚州に下る。
  孤帆遠影碧空尽    孤帆の遠影碧空に尽き、
  唯見長江天際流    唯だ見る長江の天際に流るるを。

  古き友(孟浩然)は西の黄鶴楼を出発して、
  菜の花が春霞でかすむ3月、揚州へと下っていった。
  帆舟はみるみる小さくなってその影は青空に吸い込まれるがごとく消えて行き、
  私はただ水平線に流れる長江をみつめるばかりだった。


4月も2週目に入り、息子も大学の授業が始まるようだ。娘はカリフォルニアにいる友人のところから帰ってきて、相変わらず忙しくしているらしい。私は新学期が始まり、心新たに頑張ろうと心に誓っている。感傷に浸っている暇はない。                              
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