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つんどく

 買ったはいいが、数ページ読んだだけでもうそのまま打っ棄ってしまった本が何冊もある。特に新書は買った本の半分くらいがそんな扱いになってしまう。最近では、村井哲之「コピー用紙の裏は使うな」(朝日新書)を書名に惹かれて買ってしまったが、1枚何十銭のコピー用紙の裏紙を惜しんで使うことで、対価に払うものの方がはるかにコストが大きいことを7項目に分けて箇条書きしてあるのを読んで、もうこんな細かなことに付き合って入られないと、わずか18ページ読んだだけで読むのを止めてしまった。これこそが無駄遣いの代表だ、とコスト削減を本旨とした本を買ったのを後悔するのは笑えぬアイロニーである。
 そもそも新書はある一つのテーマに沿って、最新の知識や考えなどを学ぶにはもってこいの書物であるから、題名を見て直感的に面白いかなと思うとどうしても飛びついてしまう。だが、いざ読み始めると文章が雑だったり、論の組み立てが冗長で散漫だったり、素人の私が見ても内容が浅薄だったりして、急に読書意欲が萎えてしまうものが少なからずある。著名な作家や研究者が著した新書はやはりそれなりに興味深く最後まで読み通せるものが多いが、聞いたことのないような作者の場合には当たり外れ(もちろん私個人の趣味を基にしてだが)が大きいように思う。
 以下にここ半年くらいの間に空しくお蔵入りしてしまった新書を、供養の意味も込めて、買った動機や読まなくなった理由を簡単にコメントしながら、列記してみようと思う。

『数学を愛した作家たち』(片野善一郎・新潮新書)・・夏目漱石について書かれた箇所を読んだら、「後はもういいか」と思ってしまった。なんだか安手の文学入門書のようでイヤになった。
『99.9%は仮説』(竹内薫・光文社新書)・・字も大きくて読みやすいが、文系の人間が科学の楽しみを知ろうと思って無理をするといつの間にか遠ざかってしまう好例。でも、これは続きを読みたいと思っている。
『ウェブ進化論』(梅田望夫・筑摩新書)・・ブロガーとして、ウェブのことを少しくらいは知らなくちゃと買ってみたが、どだい私には理解不能なことばかり書いてあった。作者の名前が「もちお」と読むことを知って、妙に感動した。
『エルメス』(戸矢理衣奈・新潮新書)・・ブランドの王者エルメスについて興味がないのは名古屋人じゃないと名古屋近郊在住者が背伸びをしたのが仇になってしまった。エルメスの歴史を勉強してもなぁ。
『日本人の遺訓』(桶谷秀昭・文春文庫)・・これは本当に読みたいと思って買ったのに、1ページも読んでないのはなぜ?日本武尊から三島由紀夫まで32人の日本人の遺訓に関して書かれたものであるから、必ず読む!
『ブッダは、なぜ子を捨てたか』(山折哲雄・集英社文庫)・・新聞の書評欄につられて買ってみたが、受験期で忙しくて本を読む時間的余裕がなかったせいなのか、全く読んでない。いい本だそうだが・・。
『昭和33年』(布施克彦・ちくま新書)・・この題名を見れば昭和33年生まれの私はどうしたって買ってしまう。買った後で、著者が33年生まれではないことに気づいて、急に意欲が冷めてしまい1ページも読まないままになっている。
『上品な人、下品な人』(山武也・PHP新書)・・3分の1くらいは読んだが、「こんな立派なことが書けるんですから、さぞやあなたは上品な方なんでしょうね」、と作者に言いたくなって読むのを止めてしまった。
『「かわいい」論』(四方田犬彦・ちくま新書)・・ノリで買ってしまった本。どんなノリかは忘れたけど、軽い気持ちで買って、ちょっと読んでそのまま・・。という典型的なパターン。これじゃあダメだよなあ。


 まだ他に何冊も部屋に転がっているが、こんなに未読のまま放置された本があるのが分かって何だか気が重くなってきた。しかし、いくつもの出版社が競って新書を発行するようになったのだから、その内容に優劣があるのは当然のことであろう。要は、題名や帯のキャッチコピーに惑わされず、ちょっと立ち読みして本当に読む気がするものだけを買えばいいのだろう。今までのように何でもかんでも手当たり次第買ってしまう愚だけは改めなければならない。
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