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老人力

 わが市の65歳以上の高齢者の市全体の人口に占める割合が、名古屋市近郊では初めて20%を上回った、という記事が先日新聞に載っていた。中でも、私の住む町のすぐ隣の学区では30%を超えたそうだ。と言うことは、住民の3分の1近くが65歳以上の老人ということになる。市の中心部であり、商店街のある商業地域でもあるが、小学校の各学年すべて1クラスという状態がもう10年以上続いている。「町を歩けば年寄りしか見ない」というのも冗談には思えないような人口構成だ。こんな状況では塾に通って来る生徒が減るのも当然だ、などとついつい愚痴を言いたくなってしまう。本当に子供の数が少ない・・。
 市内には老人のための施設が続々と開設されている。最近オープンしたデイケア施設はすぐ前に大きな墓地が広がっていて、まるでブラックジョークみたいな土地に立っているが、そうした施設から派遣される送迎用のマイクロバスが市内をひっきりなしに走っている。私が毎朝行く喫茶店の常連さんたちもほとんどが老人だ。三々五々集まって来ては新聞を読んだり談笑したりと、現代風な喫茶店が平日の午前中だけは完全に老人の憩いの場となっている。そういう場に集まる老人達はみな元気だ。時には大きな笑い声で周りの客たちから白い目で見られたりするが、そんなことはお構いなしだ。身体の元気な老人はどんどん家の外に出て行くべきだし、仲間とのコミュニケーションをとるのも大切な仕事だ。孤独で寂しい老後なんてあまりに悲しい。
 現代では、65歳を超えたくらいで老人と呼んでしまうのは間違っているのかもしれない。「矍鑠」という表現が失礼に当たるのではないかと思うくらい、色んな分野で当たり前のように活躍している高齢者も目立っている。再選された石原東京都知事を例に出すまでもなく、年齢の定義によって高齢者と言われるだけで、気力がまったく衰えていない意気軒昂な人たちの力は決して侮ってはならない。中にはいい加減世代交代したほうがいいのにと思う人も少なからずいるが、自分でまだまだやれると思う彼らの気持ちを尊重することも必要なのかもしれない。
 などと私が思うようになったのは、今週私の父が塾舎に併設された建物のトタン屋根に上がって、そのペンキを塗り替えたのを見たからだ。家族が「危ないから止めろ」と言っても聞くわけがない。自分がやらずに誰がやる、と強い義務感で動くときの父には何を言っても無駄だ。ただただ「気をつけてやってよ」と言うしかない。私が手伝おうと言っても、足手まといになるだけだから、と承知などしてくれない。もうこうなったら、無事にやり遂げてくれるのを願うだけだ。
 
 そうした願いが通じたのか、何とか首尾よく塗り終えてくれた。よかった。

  

 こういう時の父は一日中機嫌がいい。自分の力がまだまだ残っているのを再認識できた喜びや仕事をやり遂げた充実感から来るのだろうが、口も滑らかで若い頃の父に戻ったように思える。そうした父を見るのは私にとっても嬉しいことなので、もし万一途中で転げ落ちて死んだたとしても本望だろうと、父のやりたいようにやらせている。
 しかし、74歳になってどうしてあんなに高いところに上ってペンキを塗ったりできるのだろう。私は、今の年齢でもとてもそんなことはできるような気がしないのだけれど。
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