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「海辺のカフカ・上」

 久しぶりに長編小説を読んでいる。村上春樹の「海辺のカフカ」、新潮文庫で上巻が500ページ弱ある。昔は長編小説ばかり読んでいたが、最近では気力が続かず、長編小説など手に取ることもなくなっていた。しかし、昨年村上春樹がノーベル文学賞を受賞するのでは?などと噂が流布した頃から、それまでほとんど読んだことがなかった村上春樹を一度はしっかり読んでおくべきじゃないかと思い始めた。短編集は昨年の元日に「東京奇譚集」を読んでいたが、どうせなら一冊も読んだことのない彼の長編小説を読みたいと思った。ならば、最新作の「海辺のカフカ」を読むのが一番いいんじゃないかと勝手に思い込み、文庫本を買って読み始めた。
 実は上下巻読み通してから、感想文を書こうと思っていたのだが、上巻をやっと読み終えた今、果たして下巻を読み通すことができるかどうか少しばかり不安になったので、とりあえず上巻についてだけでも感想を書き留めておこうという気になった。と言うのも、村上春樹という作家が一体どんな作家なのかよく分からなくなったからだ。今の私が「海辺のカフカ」について抱いている感想を一言で言うなら、「マンガみたい」または「ファンタジーみたい」。そんな感想しかもてない小説を書く村上春樹とは何なんだろう・・。

 筋立ては、主人公たる少年が家出をして四国に行き、そこである人物と出会う、というのが本流だとすれば、それにこれから先絡んでいくであろういくつかの支流と呼ぶべきものを描いていって、それを一つずつ本流に合流させていって、最後に大きな流れとなるようにさせる、と言った長編小説の王道のような展開を見せている。上巻では幾つかの支流がまとまり始め、徐々に太い流れとなって本流に近付き始めた、というところで終わっている。従って、これから先の展開がどうなるのか面白いと言えば面白いし、楽しみでもあるのだが、登場人物の行動や設定に、現実では考えられない、起こり得ないものが多くて、物語がどんどん空想化していく印象を受けてしまう。それがファンタジーだと思った所以なのだが、この小説を原作として力のある漫画家と組み合わせれば、読み応えのあるマンガが出来上がるのではないかとも思った。
 小説は想像力の産物であるから、現実をなぞるだけでは面白くないのは当然だが、想像力が現実から遊離した空想力に変わってしまい、その中では何が起こっても不思議ではないというような小説になってしまうと、私には読み続けるのが難しい。そうした空想小説は一つのジャンルとして確かに存在し、それはそれとして面白いのかもしれないが、村上春樹はそうしたジャンルの小説家だと私は思っていなかった。ただ、「東京奇譚集」を読んだ時にも感じた、「村上春樹ってこんな小説を書くの?」という驚きと失望を持ち続けながら読んできたものだから、どうしてもこの小説の中に没入することができなかった。浅学非才な私であるから、こんな感想しかもてないのかもしれないし、たまたま「海辺のカフカ」がそうした小説なのであって、村上春樹の他の小説はまったく違うのかもしれない。さらには「まだ上巻しか読んでいないくせに何を言う!」という謗りを受けるかもしれない。だが、自分のブログに自分の正直な感想を記さずにいて何になろう。確かに文章としては読みやすく、機知に富んだ表現も随所に見られ、さすがに評判の作家だけあると感心したことも多かったが、何だか冗長な説明も多くて、もっと簡潔に表現すればいいのにと思う箇所も幾つかあって気にかかった。
 
 長編小説を半分近く読んでくると、自分なりにその小説に対する好悪がはっきりして、つまらなければそこで止めようかとも思うが、ここまで読んだなら頑張って最後まで読まなきゃ損だ、という気もしてきてどうしようか迷うものだ。今私は「海辺のカフカ・下」を手にしながら、そうした迷いの中にいるのだが、とりあえずは最後まで読んでみようと思っている。どうやって支流を一つの流れに収斂させていくか村上の手腕を知りたいと思うし、ひょっとしたらこれまでの荒唐無稽さにも何か深い意味が見つかるかもしれない。最後まで読み通した時に果たしてどんな感想を持っているのかもまた楽しみである。
 遅々として進まないかもしれないが、なんとか下巻500ぺージ余りを読み通そうと思っている。
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