毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
予告!
ゴジ健さんから、次のような告知が届いた。
予告!
「第2回恒例大晦日紅白祭り」開催迫る!
今年の紅白歌合戦の司会者も白組は中居くん紅組は仲間さんに決定いたしました。
もはや年末恒例の風物詩となっている、私たちの「大晦日紅白祭り」も早いもので今年は2回目を迎えます。
今年も、趣向を凝らし、皆様とともに大晦日の一日を楽しく、そして賑やかに過ごすことができればと考えております。
詳細につきましては、紅白歌合戦のメンバー発表に併せて告知させていただく予定です。今しばらくお待ちくださいませ。
おお、もうそんな時期になったのか・・・、よく考えれば今日が11月20日、今年も残すところ40日ほど・・・なんとまあ、時間のたつのがはやいことか。考えればいやになる。しかし、時間は誰にでも平等に過ぎるもの、ただただ己の使い方が悪いだけだと、たまには反省してみなければいけないだろう。
そうは言っても、大晦日はやってくる。楽しいこと、悲しいこと、喜ばしいこと、つまらないこと、まさしく悲喜こもごもの2006年が終わろうとする。新年を迎えるにあたって、今年の憂さを引きずっていては決して明るい年は望めないだろう。ここは一旦リセットして、来るべき2007年を迎えるくらいの心構えが必要なのだろう。ゴジ健さんの告知は、私にそう諭してくれているように思える。
そこで、私も去年の楽しかった大晦日の思い出を次のような替え歌にしてみた。
「大晦日」 (「お正月」のメロディーで)
もういくつ寝ると 大晦日
大晦日にはPC開けて
ネットにつないで遊びましょ
早く来い来い 大晦日
もういくつ寝ると 大晦日
大晦日には紅白見て
コメント入れて遊びましょ
早く来い来い 大晦日
紅白の司会に、中居君が決まったことに我が家のSMAPヲタさんはさほどの感慨を表明しなかった。今度で3回目になる司会も、中居君の力から言えば何の心配もないといったところなのかもしれない。それはそれで喜ばしいことだが、妻の関心は今のところ、木村拓哉主演の「武士の一分」に集中しているようだ。メイキングDVDともいうべきものがアマゾンから送られてきていたが、久しぶりにキムタクに熱い視線を送っているような気がする。工藤静香と結婚して以来、どうにも嫁の影を払拭できない妻だが、今回の映画にはひそかな期待を寄せているような気がする。TVドラマ「華麗なる一族」でも主演をつとめる木村さんからはしばらく目が離せないようだと、まったく関心のない私にも伝わってくるから不思議だ。
*大晦日の詳細については、後ほどお知らせいたしますので、奮ってご参加ください。
イルミネーション
まずは、商店街が近くの公園に飾ったイルミネーション。もう何年も同じ電飾なので、少々飽きてはきたが、きれいなのには変わりない。今年は右の写真のように、植木ごとに電球が巻きつけられて幻想的な雰囲気をかもし出しているのは、なかなかおしゃれな気がする。寂れる一方の商店街ではあるが、近年はいくつか新機軸を打ち出して、なんとか活性化を図ろうとしている。地元民としては古くからある商店街を大切にしたい気持ちはあるが、どうしても大型店に行ってしまう。反省すべきことだと思う。
次は、先日記事にした陶器展が開かれていた公共施設の壁面に飾られたイルミネーション。来年の干支のいのししを描いている。写真の大きさが違っていて見にくいが、左の写真では下がっている右手が、右の写真では上に上がっている。つまり、右手を上げ下げして、見る人たちに挨拶をしているように見える。手を上げると同時に微笑むのか、牙が見えるようになる。なかなか愛敬があって楽しい。去年は狛犬が描かれていた。私は、市のマスコットとして陶製の狛犬を描いたのだと思っていたが、このいのししを見て干支シリーズなんだなと初めて気づいた。ということは、来年はねずみか・・などと早くも来年に思いをはせてしまう。
そしてこれがメインの、駅前にできたイルミネーション。駅前に架かる橋の歩道にアーチ状の電飾が施され、その下をくぐれるようになっている。これは今年初めてのお目見えで、なかなかきれいだ。神戸のルミナリエなどと比べたら、まるでおもちゃのようなものだろうが、これしか知らない私には素晴らしい光の芸術に思われる。無知なのもかえって幸せなのかもしれない。中に入ってみたら、ベンチがあったので腰掛けてみた。
上を見上げると真っ黒な夜空を背にして、オレンジ色の光がロマンチックな気持ちにさせてくれる。年甲斐もなく、しばしうっとりしてしまった。電飾にもさまざまな色があるが、私はやっぱりオレンジ色のものが一番心を和ませてくれるように思う。
以上、総数12万個の電球を使っているそうだが、冬の風物詩として来年1月7日まで点灯される予定だ。一晩中ついているものだと思っていたら、午後5時から午前0時までの間だけだそうだ。夜の早いこの街では、深夜出歩く人などほとんど見かけないから、それくらいにしておくのが妥当なのかもしれない。
紅葉狩り
実は、12日の日曜日にも塾を終えてから妻と出かけたのだが、そのときは赤くなっている木もあれば、まったく緑のままの木もあったりして、ちょっとがっかりして戻ってきた。ここ数日は朝晩だいぶ冷え込んでいるから、これならもう紅葉が見ごろになったのではないかと、再び妻と出かけてみた。
駐車場に車を止めて、車から降りた瞬間に、日曜日とは明らかに違っているのに気づいた。周りが全体的に赤い。薄日が差す日ではあったが、紅葉の赤が目に焼きつく。そんな気がするほど、きれいに赤く染まっている。
まだ、ところどころ赤くなっていない木もある。同じ木でも、枝によっては、緑が多く残っているものもある。よく見れば「赤」といっても濃いものもあれば、鮮やかものもあり、くすんでいるものもあって、なかなか面白い。葉も大きなものから小さなものまで様々だ。全体を見て楽しむのもいいが、部分を見て楽しむのもまた一興だ。
私が嬉しがって写真ばかり撮っていたら、
「まったくブログのためには一生懸命なんだから・・」
と妻に嫌味を言われた。図星を指されてはごまかすしかない。
「そんなことばかり言ってないで、おでん食べよう、おでん」
と、一軒だけ開いていた店で、こんにゃくのおでんとどて煮を買った。
こんにゃくは水っぽくておいしくなかったが、ベンチに座って周りを眺めるとこれもまたなかなの風景だった。
週末でも、金曜日だと人出は少ないのだろうか。すれ違う人も多くなく、静かな中を散策できた。一番の見ごろはもう少し先のようだが、これだけでも十分堪能できた。
しかし、赤はやはり燃える色だ。レッドソックスに入団が確定的な松坂大輔も来シーズンは球場全体が真っ赤に染まるフェンウェイパークで、その評価にたがわぬ実力を存分に発揮せねばならない。松井ファンとしては、ヤンキースに入団して、投打の両輪として松井と二人で大車輪の活躍を期待していたのだが、今はもうかなわぬ夢となってしまった。こうなったらもう仕方ない、二人がいつまでも語り継がれるような名勝負を演じてくれるように祈るばかりだ。(もちろん松井に勝ってもらいたいが・・)
秋の静かな日に、一人血が騒ぐオヤジであった。
銀のたまご
みなさん、銀のたまごの作り方を知っていますか。これから、その作り方をお話しましょう。
まず、たまごの一方のはしを、やすりでかるくこすって、きりか、はしの先でついて、あなをあけ、中みをすすってしまいます。
次に、そのあなに、はしをさしこんでささえ、ろうそくのほのおにかざします。すると、たまごがだんだん黒くなります。
こんどは、コップに、たまごがすっかりつかるくらい、水を入れます。その中に、はしにさした黒いたまごを、そっとおしこみます。これでいいのです。まっ黒だったたまごが、たちまち、銀色にかわってしまいます。
「面白いなあ」、と思った。「やってみたいなあ」、と思った。そこで、実際にこの文章の通りに試してみた。
たまご、割り箸、水、ろうそく、やすりを集めて作業を開始した。やすりでたまごの先を擦っていると先が薄くなった。なるほど、と思いながら割り箸をそこに突っ込むと、簡単に刺さった。箸をくりくりさせて黄味を攪拌してから外へ出そうとしたが、穴が1つだけでは出てこない。「仕方ないな」と観念して、口ですすって飲み込むことにした。生卵なんて飲んだことがあまりないので、気持ちのいいものではない。鶏の卵を生で飲み込むのか、と憂鬱にもなったが、何とか我慢して全部飲み込んだ。(よくやるよね)
火をつけたろうそくのうえにたまごの殻をかざして、すすで真っ黒にしていく。どれくらいの時間続けたらいいのか、色の濃さはどれくらいにしたらいいのか、何も書いてないので少々戸惑ったが、一面真っ黒になるまでやってみた。穴からもれる中身が焼けて、玉子焼きの香りがしてきたのはおかしかった。さあ、水の中につけてみよう。本当に銀色に変わるのだろうか、楽しみだ。
えっ、何これ?水に入れたら、すすがはがれてしまって、まだらになっただけだ。銀色になんかならない。「おかしいなあ・・」と手伝ってくれていた妻に訴えてもどうにもならない。ひょっとしたら、水で洗ったら銀色のたまごになっているかも、などと淡い期待を抱いて洗ってみても、右の写真のようになっているだけだ。「う~ん」、しばし考え込んでしまった。すすと言うものは炭素の粒であり、それがたまごの表面に付いたものを水に入れたところで化学変化が起こるはずもない。と言うことは、たまごの殻が何か別のものに変わるなどと考えるのはそもそも間違いだ。すると、化学変化ではなく、物理的な作用によって銀色のたまごになるのではないか、もっと言えば、銀色のたまごに「見える」のではないか・・などと、己のありったけの科学知識を総動員して考えてみた。「そうか、水に入れるのは光の屈折か反射を利用してるのかも・・」そう仮説を立てた私はもう一度はじめから試すことにした。
さすがにもう一個生卵を飲むのはきつすぎるから、穴を上下二つ開けて、中身を取り出し、その2つの穴に割り箸を通して、両端を左右の手で持って、くるくる回して、すすをつけた。(学習してるよ)
さあ、水に入れてみよう。うまくいくかな・・・
おお、たまごの両側が銀色に見える。確かに光の加減だ。水から取り出すと何の変哲もないすすけたたまごに戻ってしまう。きっと、すすが何らかの役割を果して、水の中に入ってきた光を全反射させ、コップを外側から見るとたまごが銀色に見えるようにしているのだ。
多分そうだ、いや、きっとそうだ・・・。
Imagine
「Imagine」は、1971年に発表されたから、もう35年も前の曲である。誰でも一度は耳にしたことがあるだろうし、その詞の内容も理解されているだろうと思う。私も数えられないくらい聞いたことがあるが、この曲は世界平和を願うジョン・レノンの、祈りにも似た「平和の歌」であり、聞くたびに思わず背筋をピンと伸ばしてしまう。ジョン・レノンは凶弾に倒れたが、その遺志は世界中にいる彼のファンの中に行き続けていることだろう。
2001年アメリカで起こった9・11の同時多発テロの数日後、N・Yタイムズに、
Imagine all the people living life in peace.
というメッセージが書かれた広告が掲載された。これは「イマジン」の歌詞の一部であり、その広告主はジョンレノン夫人、オノヨーコであった。あの全米を揺るがしたテロの直後に、こうしたメッセージを発信すること自体すごいことであるが、あの時にはどれだけの人が彼女の心を理解しただろう。結果として、アメリカはテロへの報復からイラク戦争にまで突っ走ってしまったが、オノヨーコの行為は決して無駄ではなかったと思う。真に平和を願うならば、どんな状況であっても意思表示をし続けることの大切さを教えてくれる行為であったと私は信じている。
昨今の世界状況を鑑みると、「Imagine」が発表された時よりも良くなったとは思えない。じわじわと終末に近づいているのでは、などと考えたくもないことを思ってしまう。だからこそ、私も新井満にならって、平和を願いながら、ここで自分なりの「Imagine」訳を試みてみたいと思う。あくまでも「自由訳」ということで、多少の誤訳は大目に見てもらうことにして。
「イマジン」
思い描いてみて、天国なんてないって
やってみれば簡単さ
足元に地獄なんかもありゃしない
僕たちの上には空があるだけ
誰もが、今日のために生きてるって
思い描いて・・
思い描いてみて、国なんてないって
そんなに難しいことじゃないさ
そのために殺したり死んだりするものなんてない
宗教も同じさ
誰もが平和な暮らしをしてるって
思い描いて・・
あなたは僕が夢を見てるって言うかもしれないけど
僕は一人じゃないよ
いつかあなたも僕らと一緒になって
世界がひとつになれたらいいな
思い描いてみて、財産なんてないって
あなたにできるかな
欲張ることやお腹をすかせる必要なんてない
人はみな兄弟なんだ
誰もが世界を分け合ってるって
思い描いて・・
あなたは僕が夢を見てるって言うかもしれないけど
僕は一人じゃないよ
いつかあなたも僕らと一緒になって
世界がひとつになれたらいいな
修学旅行(2)
1年前にも書いたが、私は八つ橋というものが苦手だ。ニッキの香りがどうにも好きになれない。1年で好みが変わるわけもなく、今年も食べずに、生徒たちに分けて食べてもらった。もちろん、八つ橋をくれた生徒に断っての上だが、食べられないものは仕方がない。「土産を買ってきてくれるなら、八つ橋だけはやめてくれよ」と事前に通達するのは土産を請求するみたいで、やはり無理なことだ。多分これからも、買ってきてくれる生徒がいるだろうから、一口くらいは食べられるようにしなければいけないのだろう・・・でも、無理だなあ。
これは初めてもらった、「誠くんのいちごだんご」。「新撰組!」に便乗した商品のような気がしないでもないが、京都と新撰組の関係は歴史上も確かなものだから、こんな商品があってもおかしくはない。でも、なぜイチゴなんだろう?封を開けたら、イチゴの香りが部屋中に広がった。甘くていい香りだ。これも生徒に分けたのだが、みなおいしいと言った。粉で口の周りが真っ白になったのはご愛嬌だが、その辺りが評価の分かれるところかもしれない。
これは大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)に行った生徒のお土産だ。市内の小学生の修学旅行は長く、奈良・京都と決められていたが、今年初めてUSJに行く小学校が現れた。中学生の修学旅行では、東京ディズニーランドへ行く学校も多いから、何も不思議なことではないが、最初聞いたときは驚いた。子供たちは奈良よりも楽しいとおおむね喜んでいたそうだが、遊べる時間が少ないと贅沢な不満を述べる子供もいたそうだ。この写真のクッキーは、スヌーピーのキャラクターの顔の形をしていてなかなか可愛かった。右上のチャーリーブラウンが嬉しそうな顔をしているのがいい。食べるには惜しい気がした。
最後に、一番驚いたお土産、「木刀」!長さが1m近くあり、樫の木でできている。私立中学受験を目指す、体重が80kgもある巨漢の男の子が買ってきてくれたものだが、これを持って教室に入って来たときには、正直ぎょっとした。普段勉強が進まず、私が叱ってばかりいる子なので、意趣返しに、などと思わないでもなかったが、嬉しそうな顔をして私に木刀を手渡してくれたので、ほっとした。何でも、自分と友達と私の分、合わせて3本買ってきたのだそうだが、これを修学旅行の間ずっと持っていたのかと思うと、少しばかり異様な気がする。よく先生が許してくれたものだと思うが、今までもらったお土産の中でも1、2を争うインパクトを受けたお土産だった。
毎年、こんなにお土産がもらえる私はなんて幸せだろう、しみじみありがたく思っている。
リベンジ
「すごい!」私は思わず叫んで、自分の部屋にいた父にたずねた。「掘ってきたの?」
「おお」そういって父は、うれしそうにこちらを見た。「今から作るか?」もちろん私は食べたいけれど、妻には妻の予定があるだろうからどうするか聞いてみた。「いいけど・・でも、山かけにする刺身は買いに行ってられないね」
「そんなものはいらん」と、もうやる気満々の父は部屋から出てきた。
「もう洗ってあるしな」ときれいに洗った自然薯をざるに入れて持っている。
「準備がいいなあ」と妻が驚くと、
「この間のがまずかったからな」と先週の人工自然薯のまずさを初めて認めた。あの時は「なかなかいけるな」とか何とか、かなり無理なことを言っていたが、やっと白状した。
話を聞くと、古い友達と二人で山の中に入って、半日くらいかかってなんとか写真の自然薯を掘り出すことができたのだそうだ。昔の父だったらもっと掘れただろうが、自然薯の数が少なくなったことと体力の衰えとで、これだけが精一杯だといっていたが、それにしてもよくもまあ、これだけ掘れたものだ。私たちが散々「まずい」と言い続けたのが余程気に入らなかったのかもしれない、半分意地になって掘ってきたのだろう。無理をしていなければいいが・・・
父は自分ですり鉢とすりこ木を出して、応接間に座って作り始めた。私はおでんの食べ比べをしなければならなかったので、しばらくは父が一人で下ごしらえをしていた。私が食べ比べを終えて、父のところに行ったら、陶製のおろし金で薯が全てすりおろしてあった。それをすりこ木でできるだけ長くこねていくわけだが、父は私に「ほい」とすりこ木を手渡した。きっと疲れていたのだろう、それからは、私と妻が交代で、ごしごしやり始めたのだが、その粘りが強いことには驚いた。やたら力が要る。私よりも妻のほうがずっとうまくすりこ木を使える。すりこ木を回す方向は一定にしていないと、薯の繊維が切れてしまってうまくない、というのが父の持論なので、妻と私が交代しても、回す方向は同じにした。
「粘る、粘る!」と驚きながらも、力を込めてすりこ木を回していると、だんだん空気を吸ってかさが多くなってくる。それも薯自体の粘りによるものなのだろうが、これだけの粘りは先週の栽培薯にはなかった。これを見ただけでも、この薯はおいしいに決まっている。すり鉢に鼻を近づけると、自然薯特有の土っぽい香りがして、食欲をそそる。「早く食べたい」と気は焦るが、最後まで気を抜かずに作っていくことが肝要だ。つゆを入れながらのばしていく時も、どばっと一気に入れないで、少しずつ加えながらゆっくりのばしていかなければならない、根気がいる。
薯の少ない日や、食べる人数が多い日はうすくのばさねばいけないけど、この日は家族だけで、しかも薯が多かったため、かなり濃い目のものに仕上がった。すりあがったとろろの表面は細かな泡で覆われている。泡が細かければ細かいほど、念入りにすったことの表われだ。うまそうだ。早速ご飯にかけてみた。
いつもなら、ご飯にかけた瞬間に「しゅわあーっ」と、とろろがしみこんでいく音が聞こえるのだが、さすがにこれだけ濃いと簡単にはしみこまない。「いただきま~す」という暇もないくらいに箸で口の中にかきこむ。「うまい!!」本当にうまい。これこそとろろだ!!一言もしゃべらすに、3杯一気に食べてしまった。父も妻も「うまい!!」としか言わない、いやそれしか言えないのだ。本当においしかった。
あまりにおいしいので、ご飯にかけるのも何だかもったいない気がして、茶碗にとろろだけをすくって飲んでみた。ああああ、至福・・・
父のリベンジは見事成功した。成功どころかまったくの降参だった。天然ものの力強い味わいを、人間の手で作り出すにはまだまだ相当時間がかりそうだ。(永遠に無理かも)
「ごちそうさまでした。また食べさせてね」
食べ比べ
そこで、家の近くにある4軒のコンビニで3種類のおでん(大根・はんぺん・白滝)を買ってきて、食べ比べてみるのも面白いではないかと思い立った。コンビニ名は、ランク付けする関係上、イニシャルや数字で表記する。以下に、ノミネートする会社名は、①K、②L、③F、④7の4社とし、食べ比べるおでんの種類は、(a)大根、(b)しらたき、(c)はんぺん、の3種類とする。
優劣は、見ただけではなかなか分からない。大根の大きさは同じくらいだ。しらたきは、K社と7社が糸こんにゃくっぽい。はんぺんが一番特徴的で、味の違いが際立つだろう。ただ、F社だけは普通のはんぺんが売り切れていて、ごぼう巻きになっている。つゆの色も一見しただけではそれほど違いがない。はてさて、ビール片手に味見をし始めた私と妻にその味の優劣が見抜けるものか、はなはだ疑問ではあるが、一応次のような順位をつけてみた。
【大根】
(妻)1.7社 2.K社 3.F社 4.L社
(私)1.7社 2.F社 3.K社 4.L社
【しらたき】
(妻)1.7社 2.K社 3.F社 4.L社
(私)1.7社 2.F社 3.K社 4.L社
【はんぺん】
(妻)1.F社 2.7社 3.K社 4.L社
(私)1.K社 2.F社 3.7社 4.L社
これだけ見ると、私と妻の評価がL社に対して厳しい。つゆがうす味で全体的に染み込んでいない印象を受けたのは、ひょっとすると、私がおでんを煮込み始めたばかりの時に買ったせいなのかもしれないが、それは言い訳にはならないだろう。店にとっては、いつどんなときに買ってもおいしさが同じであるようにしておく心遣いは必要なものであろうから。だが、この評価がなんの根拠もないはなはだ恣意的なものであることは、遅く帰ってきた息子に残っていたおでんの味見をさせた結果が、私と妻のものとはまるで違っていたことからもよく分かった。
【大根】
(息子)1.7社 2.K社 3.L社 4.F社
【しらたき】
(息子)1.K社 2.7社 3.L社 4.F社
【はんぺん】
(息子)1.L社 2.7社 3.K社 4.F社
味覚というものは、ある年代には共通なもので、年代が違うと異なるものなのだろうか。
I'm a champion!!
えっ? うそ? こんな簡単でいいの?
チュルチュル一飲み・・・
こんなものですか?
こんなものです・・・
高瀬舟
江戸時代、島流しになる京都の罪人は、高瀬川を舟でくだって大阪に送られた。ある夜、高瀬舟に乗せられた罪人の様子がいつもとは違うので、同心の庄兵衛は不思議に思って聞いてみた。すると弟殺しの罪で島に送られる喜助は、これまでの貧しい暮らしと決別できると顔をほころばせ、遠島を申し渡された際に与えられた二百文の鳥目をふところにした幸せをしみじみと話した。弟殺しについても、重病の弟が自分に迷惑をかけまいと留守の間に剃刀で自殺を図ったが死にきれずに苦しんでいたのだと言い、弟の頼みもあって傷口の剃刀を抜いてやったらそのまま死んでしまったのだという。
これがあらすじである。鴎外は「高瀬舟縁起」でも述べているように、この作品の中で二つの問題を提起している。「財産についての観念」と「安楽死」の問題である。「高瀬舟」といえば安楽死の問題を扱った小説であると、一般的には考えられているが、鴎外は安楽死の是非を断じてはいない。
『それ(弟)が早く死にたいといったのは、苦しさに耐えなかったからである。喜助はその苦を見ているに忍びなかった。苦から救ってやろうと思って命を絶った。それが罪であろうか。殺したのは罪に相違ない。しかしそれが苦から救うためであったと思うと、そこに疑いが生じて、どうしても解けぬのである。』
とだけ書いた。
これは終末医療に携わる医師や苦しむ患者の身内の者なら、一度は心に浮かんだことがある疑問ではないだろうか。私も母の臨終に際して、できるだけ苦しまぬようにしてやりたいと思った。苦しみを和らげることができるなら、たとえその副作用で命が短くなってもそういう治療を施してほしいと思った。
しかし、今の私は安楽死の是非を論じようと思ってはいない。ここでは、もうひとつの問題、「財産の問題」を少し考えてみたい。
喜助が手にしたお上から下された二百文は当時としてはそれほどの額ではない。それなのに銭をもった喜びで喜助の心は満たされている。同心庄兵衛は我が身と引き比べて「不思議なのは喜助の欲のないこと、足ることを知っていることである」と感嘆する。
『人は身に病があると、この病がなかったらと思う。その日その日の食がないと、食っていかれたらと思う。万一の時に備える蓄えがないと、少しでも蓄えがあったらと思う。蓄えがあっても、またその蓄えがもっと多かったらと思う。かくのごとくに先から先へと考えてみれば、人はどこまで往って踏み止まることが出来るものやらわからない。それを今目の前で踏み止って見せてくれるのがこの喜助だと、庄兵衛は気がついた。』
「足るを知る」と一言で言っても、それがどれほど難しいか、日々の生活の中で我々は実感している。人間は欲の塊だと言いたくなるほど、さまざまな欲がこの世はあふれている。現代の日本ではとくに物欲=金銭欲が大手を振ってはばからない。肥大化する物欲のせめぎあいの中で歪んだ社会ができてしまったと言っても過言ではないだろう。
確かに、欲望というものがあり、それを満たすために創意工夫を重ね、今のこの社会が出来上がったという面は否定できないだろう。しかし、毎日の報道に触れるたびに、人間の欲望の限りなさ、おどろおどろしさは目を覆うばかりだ。あまりの多さに、もう慣れっこになってしまって「ああ、またか・・」と神経がかなり麻痺してきているのも悲しい現実だ。
こうした圧倒的な現実を前にすると、一体どうしていいものやら戸惑うばかりであるが、こういう時代だからこそ、地に足つけて踏ん張らなければならない。パンドラの箱を開けて以来、我々には過酷な社会が待ち受けていたが、しかし「希望」も同時に箱から出てきているのだ。今はどんなにちっぽけにしぼんでしまった「希望」であっても、しっかり持ち続け、大きなうねりとなるように育んでいかなければならない。
そのためにも、『老子』の中にちりばめられた、「足るを知る」ことの大切さを表した箴言を、心に刻み付けておくことも大切なのではないかと思う。
「足るを知る者は富む」(33章)--- これでいいと満足することを知っている人は本当に豊かである。
「足るを知れば辱(はずかし)められず、止まるを知れば殆(あや)うからず」(44章)--- これでいいと満足をすることを知れば恥をかくこともなく、これでもういいと立ち止まることを知れば危険に出あわない。
「足るを知るの足るは、常に足る」(46章)--- 満足することの意味をよく知っていてこれでいいと満足することは、いつでも満足できる。
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