毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
新旧交代?
母の日。私は3時に塾の授業を終えて、妻の実家へ「母の日」のプレゼントを持って行った。

前日に妻が買っておいた花だが、花屋で私の従姉が偶然手伝いをしていたため、おまけをどんどん加えてもらって、立派なアレンジになったと喜んでいた。私の母の霊前にも写真右の花を供えてくれた。
家に戻ってTVをつけたらBS日テレで「巨人vs.中日」戦を放送していた。朝刊でどのTV局も野球中継をしないのを確認していたが、それは地上波のことでBSでは放送があるのには気付かないでいたわけで、新聞も隅々まで見なくてはいけないな、と反省した。
メジャーリーグも松井秀喜とヤンキースの調子がイマイチで、私の心の中ではどうにも盛り上がりに欠ける日々が続いているため、若い力が台頭しているNPBに注目する機会も以前よりも多くなってきた。特に、昔からファンであった巨人の新鋭、坂本勇人選手の活躍には括目させられる日々が続いている。5月6日のサヨナラHRに象徴されるように開幕から打ちまくり、ここ数試合は1番バッターに定着し、昨日も8回に逆転2ランHRを放ち(ちょうど彼の打席の前で放送が終了してしまい、逆点HRをライブで見ることはできなかったのは残念・・)、中日を3タテし巨人の独走態勢を確固たるものにしてしまった。まだ20歳、私の息子と同じ若者が巨人の堂々たる1番バッターとなったのは、驚きもするし、誇らしい気もする。もうすぐ35歳になろうとする松井の火を吹かない打撃に悶々とする日々を送っている私には、世代交代の波が否応なく押し寄せているのをひしひしと感じざるを得ない。
だが、そんな荒波に必死で抗おうとしている選手もNPBには数多い。4月の月間MVPを獲得した阪神の金本は40歳、最年長ホールド記録を達成したばかりの横浜の工藤は46歳、いずれもいぶし銀の働きをしている。他にも楽天の山崎などチームの主力として活躍している選手も多く、ベテランの意地を感じる。その中でもこのところ殊勲が目立っているのが中日の立浪。今シーズン限りでの引退を表明しているようだが、代打としての存在感は際立ったものがある。5月7日には歴代6位となる通算13本目のサヨナラ安打を放ち、昨日は8回に5-6とリードされている1アウト1・3塁で代打に立ち、ライト線へ2ベースヒットを放って同点とする活躍を見せた。直後に井端が逆転タイムリーを放ち、勝利の立役者となったかと思ったが、坂本がそんな中日ファンの夢を打ち砕いてしまった・・。
私が試合結果を知ったのは夜遅くになってからだが、あのまま試合が終わって立浪がヒーローになればいいのに、と思っていただけに、坂本の一打には驚いた。立浪の年齢を感じさせない一振りに感激して、それを話題にしようと思っていた私だけに、20歳の若者の底知れぬ可能性には舌を巻くばかりだ。そう言えば、先週我が家にやって来た巨人ファンの姪は、「坂本が一番好き!」と言っていたが、これだけの活躍をすれば、誰だってしびれてしまう、すごいものだ。
坂本くらいの活躍は松井にも可能だとずっと思っているが、そんな思いは未だ実現していない。もう松井は限界かな、思いたくもないけど、どうしたってそんな思いが頭をよぎってしまうこの頃である。とは言え、まだまだ松井の力を信じているけどね・・。


前日に妻が買っておいた花だが、花屋で私の従姉が偶然手伝いをしていたため、おまけをどんどん加えてもらって、立派なアレンジになったと喜んでいた。私の母の霊前にも写真右の花を供えてくれた。
家に戻ってTVをつけたらBS日テレで「巨人vs.中日」戦を放送していた。朝刊でどのTV局も野球中継をしないのを確認していたが、それは地上波のことでBSでは放送があるのには気付かないでいたわけで、新聞も隅々まで見なくてはいけないな、と反省した。
メジャーリーグも松井秀喜とヤンキースの調子がイマイチで、私の心の中ではどうにも盛り上がりに欠ける日々が続いているため、若い力が台頭しているNPBに注目する機会も以前よりも多くなってきた。特に、昔からファンであった巨人の新鋭、坂本勇人選手の活躍には括目させられる日々が続いている。5月6日のサヨナラHRに象徴されるように開幕から打ちまくり、ここ数試合は1番バッターに定着し、昨日も8回に逆転2ランHRを放ち(ちょうど彼の打席の前で放送が終了してしまい、逆点HRをライブで見ることはできなかったのは残念・・)、中日を3タテし巨人の独走態勢を確固たるものにしてしまった。まだ20歳、私の息子と同じ若者が巨人の堂々たる1番バッターとなったのは、驚きもするし、誇らしい気もする。もうすぐ35歳になろうとする松井の火を吹かない打撃に悶々とする日々を送っている私には、世代交代の波が否応なく押し寄せているのをひしひしと感じざるを得ない。
team | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | total |
中日 | 1 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 7 |
巨人 | 1 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0 | 0 | 2 | × | 8 |
だが、そんな荒波に必死で抗おうとしている選手もNPBには数多い。4月の月間MVPを獲得した阪神の金本は40歳、最年長ホールド記録を達成したばかりの横浜の工藤は46歳、いずれもいぶし銀の働きをしている。他にも楽天の山崎などチームの主力として活躍している選手も多く、ベテランの意地を感じる。その中でもこのところ殊勲が目立っているのが中日の立浪。今シーズン限りでの引退を表明しているようだが、代打としての存在感は際立ったものがある。5月7日には歴代6位となる通算13本目のサヨナラ安打を放ち、昨日は8回に5-6とリードされている1アウト1・3塁で代打に立ち、ライト線へ2ベースヒットを放って同点とする活躍を見せた。直後に井端が逆転タイムリーを放ち、勝利の立役者となったかと思ったが、坂本がそんな中日ファンの夢を打ち砕いてしまった・・。
私が試合結果を知ったのは夜遅くになってからだが、あのまま試合が終わって立浪がヒーローになればいいのに、と思っていただけに、坂本の一打には驚いた。立浪の年齢を感じさせない一振りに感激して、それを話題にしようと思っていた私だけに、20歳の若者の底知れぬ可能性には舌を巻くばかりだ。そう言えば、先週我が家にやって来た巨人ファンの姪は、「坂本が一番好き!」と言っていたが、これだけの活躍をすれば、誰だってしびれてしまう、すごいものだ。
坂本くらいの活躍は松井にも可能だとずっと思っているが、そんな思いは未だ実現していない。もう松井は限界かな、思いたくもないけど、どうしたってそんな思いが頭をよぎってしまうこの頃である。とは言え、まだまだ松井の力を信じているけどね・・。
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「木枯らし紋次郎」(2)
私が「木枯らし紋次郎」の大ファンだというのはずいぶん前の記事に書いた。「あっしには関わりのないこって」と言いながらも結局は渦中に巻き込まれていってしまう紋次郎の生き様は今でもかっこいいと思う。世間に背を向けた積もりでいても、様々なしがらみによって否応なしに世間に関与せざるを得ないのは生きている以上仕方のないことであろう。そんなことは分かりきっていても、ぎりぎりまでやせ我慢を通そうとする紋次郎が若い頃の私には憧れであった。アウトローになりたいと思ったことはないが、アウトローを気取りたいとずっと思ってきたのも紋次郎の影響がずいぶん大きかったように思う。
そんな私が、「木枯らし紋次郎」がリメイクされると聞けば、何があっても見ないわけにはいかない。さすがに老境に達した中村敦夫が紋次郎を演じるわけにはいかず、今度のドラマでは江口洋介が紋次郎役に挑戦するという。かなり以前に岩城滉一主演でドラマ化されたのを見た覚えがあるが、岩城の紋次郎はなかなかのはまり役に思えた。だが、残念なことに続編が作られなかった。もう今の時代には「木枯らし紋次郎」など受け入れられないのかな、とその時思った。だが、それなら今また江口洋介を起用して、「木枯らし紋次郎」を作るのは何故だろう?腑に落ちないまま録画したものを見た。
やはり最初、江口の紋次郎には違和感を禁じえなかった。まず、道中合羽がいやに長い。ロングコートかと言いたくなるほどの長さで、歩くのに邪魔じゃないかと思ったりした。頬の刀傷もなんだか形がおかしいし、楊枝を銜えて喋っているにしては、妙に滑舌がいい。それでいて上州訛りが身に付いていず、台詞が上滑りしているように聞こえる。似合わない・
「ああ!!こんなの紋次郎じゃない!!」
と拒否したくなったが、共演している小澤征悦や渡辺いっけいがいい味出していて、ついつい引き込まれてしまった。ストーリーもよく練れていて、一ひねりも二ひねりもしてあり、市川昆劇場の頃の「木枯らし紋次郎」を髣髴とさせる。そして何よりも上條恒彦が歌う「誰かが風の中で」が劇中歌として効果的に使われているのがいい。やはりあの歌は「紋次郎」の歌だ。素晴らしい!!話の半ばでちょい役として中村敦夫が登場したのは、往年のファンに対するサービスのようなものだろうが、
「よくぞ年老いるまで生き延びたな、紋次郎!」
と思わず声をかけたくなったほど、私には感動的なシーンだった。

だが、不思議なことにドラマが終盤に差し掛かった頃には、江口の紋次郎にほとんど違和感を感じなくなっていた。殺陣にぎこちなさは感じられたが、ぎこちないのが紋次郎の喧嘩殺法だから、かえって紋次郎らしさがよく出ていて、大団円まで飽きることなく見ることができた。芥川隆行の「木枯らし紋次郎、上州新田郡三日月村の貧しい農家に生まれたと言う・・」という名調子のナレーションはもう聞かれなかったが、代わりの平榮子というよく知らない女性のナレーションもそれなりに趣があってよかった。
「木枯らし紋次郎」が放送されたのはもう35年以上も昔のことであり、当時と比べたら現代は一層の開発が進んでしまったから、江戸時代の風景を映しだそうとするのはもう不可能に近いだろう。だが、その割には美しい自然の映像も随所に挟みこまれていて、そのあたりも昔懐かしい「木枯らし紋次郎」を再現したように思えて、なかなかの見応えがあった。近頃のTVドラマなど一度見ればもう十分なものばかりだが、この「紋次郎」はもう一度見てみたいと思わせてくれた。
「何故、いま紋次郎なのか」に対する答えは分からなかったが、そんなことなどもうどうでもいいから、続編をぜひ作ってもらいたい。
そんな私が、「木枯らし紋次郎」がリメイクされると聞けば、何があっても見ないわけにはいかない。さすがに老境に達した中村敦夫が紋次郎を演じるわけにはいかず、今度のドラマでは江口洋介が紋次郎役に挑戦するという。かなり以前に岩城滉一主演でドラマ化されたのを見た覚えがあるが、岩城の紋次郎はなかなかのはまり役に思えた。だが、残念なことに続編が作られなかった。もう今の時代には「木枯らし紋次郎」など受け入れられないのかな、とその時思った。だが、それなら今また江口洋介を起用して、「木枯らし紋次郎」を作るのは何故だろう?腑に落ちないまま録画したものを見た。
やはり最初、江口の紋次郎には違和感を禁じえなかった。まず、道中合羽がいやに長い。ロングコートかと言いたくなるほどの長さで、歩くのに邪魔じゃないかと思ったりした。頬の刀傷もなんだか形がおかしいし、楊枝を銜えて喋っているにしては、妙に滑舌がいい。それでいて上州訛りが身に付いていず、台詞が上滑りしているように聞こえる。似合わない・
「ああ!!こんなの紋次郎じゃない!!」
と拒否したくなったが、共演している小澤征悦や渡辺いっけいがいい味出していて、ついつい引き込まれてしまった。ストーリーもよく練れていて、一ひねりも二ひねりもしてあり、市川昆劇場の頃の「木枯らし紋次郎」を髣髴とさせる。そして何よりも上條恒彦が歌う「誰かが風の中で」が劇中歌として効果的に使われているのがいい。やはりあの歌は「紋次郎」の歌だ。素晴らしい!!話の半ばでちょい役として中村敦夫が登場したのは、往年のファンに対するサービスのようなものだろうが、
「よくぞ年老いるまで生き延びたな、紋次郎!」
と思わず声をかけたくなったほど、私には感動的なシーンだった。

だが、不思議なことにドラマが終盤に差し掛かった頃には、江口の紋次郎にほとんど違和感を感じなくなっていた。殺陣にぎこちなさは感じられたが、ぎこちないのが紋次郎の喧嘩殺法だから、かえって紋次郎らしさがよく出ていて、大団円まで飽きることなく見ることができた。芥川隆行の「木枯らし紋次郎、上州新田郡三日月村の貧しい農家に生まれたと言う・・」という名調子のナレーションはもう聞かれなかったが、代わりの平榮子というよく知らない女性のナレーションもそれなりに趣があってよかった。
「木枯らし紋次郎」が放送されたのはもう35年以上も昔のことであり、当時と比べたら現代は一層の開発が進んでしまったから、江戸時代の風景を映しだそうとするのはもう不可能に近いだろう。だが、その割には美しい自然の映像も随所に挟みこまれていて、そのあたりも昔懐かしい「木枯らし紋次郎」を再現したように思えて、なかなかの見応えがあった。近頃のTVドラマなど一度見ればもう十分なものばかりだが、この「紋次郎」はもう一度見てみたいと思わせてくれた。
「何故、いま紋次郎なのか」に対する答えは分からなかったが、そんなことなどもうどうでもいいから、続編をぜひ作ってもらいたい。
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シエンタ
2009年05月09日 / 車
昨日、塾バスに代わる車、シエンタが納車された(16年間も頑張ってくれたバスには心から感謝している)。そのあたりの事情は4月15日の記事にしたが、ちょうど連休にかかってしまい、販売店が休みとなってしまったので、連休明けの納車となった。

色は「ライトグリーンメタリック」と言うらしいが、簡単に言えば草色だ。妻がこの色を気に入った。当面は妻がこの車で生徒の送迎をすることになるので、「明るい色がいい」という意見を尊重した。派手でもなく、地味でもなく、いい色だと思う。
このシエンタは7人乗りのミニバン(と言えばいいのかな?)で、コンパクトなボディーの割には室内空間が広く、大人7人が乗ろうと思えば乗れなくもない。前に2人、真中に3人、後ろに2人の座席が設置されていて、乗り降りも楽なように工夫されている。

↓

↓

↓

早速妻の運転で試乗してみたが、やはりトヨタの車は静かだ。運転席はセダンよりも高い位置にあるが、ワゴンほど高くなく、「視界が広くて運転しやすい」というのが、妻の第一印象だった。狭い裏道も走ってみたが、車幅を感じることなくスムーズに走れるので、実に爽快だった。「これなら楽に走れるね」と妻も気に入ったようだった。喜ばしいことだ。
ところで補正予算はまだ成立していないようだが、大丈夫なんだろうか?25万円の補助金がもらえるつもりで、思い切って買い換えた車だけに、「残念でした」では済まされない。「抵抗勢力」がいるなら排除せねば!!
この件に関しては、麻生太郎に「頑張れ!!」とエールを送りたい。

色は「ライトグリーンメタリック」と言うらしいが、簡単に言えば草色だ。妻がこの色を気に入った。当面は妻がこの車で生徒の送迎をすることになるので、「明るい色がいい」という意見を尊重した。派手でもなく、地味でもなく、いい色だと思う。
このシエンタは7人乗りのミニバン(と言えばいいのかな?)で、コンパクトなボディーの割には室内空間が広く、大人7人が乗ろうと思えば乗れなくもない。前に2人、真中に3人、後ろに2人の座席が設置されていて、乗り降りも楽なように工夫されている。




早速妻の運転で試乗してみたが、やはりトヨタの車は静かだ。運転席はセダンよりも高い位置にあるが、ワゴンほど高くなく、「視界が広くて運転しやすい」というのが、妻の第一印象だった。狭い裏道も走ってみたが、車幅を感じることなくスムーズに走れるので、実に爽快だった。「これなら楽に走れるね」と妻も気に入ったようだった。喜ばしいことだ。
ところで補正予算はまだ成立していないようだが、大丈夫なんだろうか?25万円の補助金がもらえるつもりで、思い切って買い換えた車だけに、「残念でした」では済まされない。「抵抗勢力」がいるなら排除せねば!!
この件に関しては、麻生太郎に「頑張れ!!」とエールを送りたい。
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もう君は・・
城山三郎の遺作「そうか、もう君はいないのか」(新潮社)を読んだ。以前城山三郎についての記事を書いた時に「読みたい」と書いた作品をやっと読めたわけだが、正直思ったほど心を打たれなかった。
この本は、城山三郎の死後見つかった、妻について書き溜めた断片を編集して一巻にしたものであるため、城山自身の推敲が十分なされていないということもあり、完成した作品とみなして評価してはいけないのかもしれない。だが、本書の帯に「こんな夫婦でありたい・・。全国から読者の声大反響!」などと書いてあるような世評を少しばかり見聞きしてから読んだだけに、思ったほどジーンとする場面も少なく、一度も涙が浮かんでこなかったから、評判ほどではないと思ってしまったのも仕方ないように思う。(ただ、亡くなった妻との日々を断片的に綴ったものだけに、TVドラマの原作とするには好都合だったかもしれない。今年の1月にTVドラマが放映されたらしいが、あいにく私は見ていない)
老境に差し掛かった男が長く連れ添った妻に先立たれてしまったときの悲哀は、ちょうど20年前に母と死に別れた父のその後をともに暮らしてきた私には、痛いほど分かる。もちろん父の心の奥底の悲哀を十分に分かっているなどとは思わないが、共有してきたものもいくらかはあるだろうから、何分の一かは感じ取ってきたように思う。そんな私であるから、城山の悲しみは何も特別なものではないし、城山夫妻が理想の夫婦だなどとも思ったりしなかった。妻を当たり前に愛して生きて来た普通の男が、妻に先立たれて味わう悲しみを当たり前に描いた話であり、当たり前に悲しいし、当たり前に美しい話だ、と率直な感想をもっただけである。それは何も城山夫妻を貶めようというつもりではなく、ともに長い時を歩んできた二人の男女が、いつかは直面せねばならない別れとどう向き合ったかを忌憚なく語ったのが本書であるという意味であり、彼らの生き様を指して、「素晴らしい」と評するのはどこかおこがましいのではないか、そんな気がするのだ。
妻との別れを迎えてどう対処するか、それを乗り越える必要があるかどうかも私には分からない。もちろん社会的、家庭的に責任のある立場だったら、事はそう簡単ではないかもしれないが、老境に達し、子供たちは独立し、社会的にも十分働いた後であるなら、もう己の気持ちに殉じてもいいのではないか、そう思う。妻の死に萎れて一気に朽ち果ててもいいだろうし、もう一度生き直してみようと思い立つのもいい、どんな選択をしようが本人の勝手だし、他人がとやかく言うことではないように思う。
夫婦の関係が千差万別であるのと同じように、連れ合いに先立たれて残されたもう一方がどう生きるかは、夫婦が培ってきた時間が決めるものだと私は思う。私の父が母とどんな時間を過ごしたかは、その後の父の生き方を見てきて何となく分かる気がする。確かに肉体は死によって滅び、二度と触れることはできないが、心の中では思い出として生き続けることができる。父が母との心の対話を今もしているかは分からないが、母の死後20年間毎月命日には必ず墓参していることからも、父の中で母の思い出は生き続けているのだろう・・。それは死という圧倒的な力を持ったものでも消し去ることができないものなのだ。
本書の中に描かれた城山夫妻の姿を私の父母とダブらせてしまうのは少々的外れかもしれないが、ほぼ同じ時代を生きてきた人間として、通底するものがあるように思う。そう考えると、妻が存命中に城山が書いた詩は、同じようなことを私の父も考えたことがあるのだろうか、などと思いを馳せてしまう・・。
「おい」と声をかけようとして やめる。
五十億の中で ただ一人「おい」と呼べるおまえ
律儀に寝息を続けなくては困る
確かに息が止まっては困る。困るが、止まるものは仕方ない。仕方ないから余計悲しい。夫婦の別れとはそんなものかもしれない。
この本は、城山三郎の死後見つかった、妻について書き溜めた断片を編集して一巻にしたものであるため、城山自身の推敲が十分なされていないということもあり、完成した作品とみなして評価してはいけないのかもしれない。だが、本書の帯に「こんな夫婦でありたい・・。全国から読者の声大反響!」などと書いてあるような世評を少しばかり見聞きしてから読んだだけに、思ったほどジーンとする場面も少なく、一度も涙が浮かんでこなかったから、評判ほどではないと思ってしまったのも仕方ないように思う。(ただ、亡くなった妻との日々を断片的に綴ったものだけに、TVドラマの原作とするには好都合だったかもしれない。今年の1月にTVドラマが放映されたらしいが、あいにく私は見ていない)
老境に差し掛かった男が長く連れ添った妻に先立たれてしまったときの悲哀は、ちょうど20年前に母と死に別れた父のその後をともに暮らしてきた私には、痛いほど分かる。もちろん父の心の奥底の悲哀を十分に分かっているなどとは思わないが、共有してきたものもいくらかはあるだろうから、何分の一かは感じ取ってきたように思う。そんな私であるから、城山の悲しみは何も特別なものではないし、城山夫妻が理想の夫婦だなどとも思ったりしなかった。妻を当たり前に愛して生きて来た普通の男が、妻に先立たれて味わう悲しみを当たり前に描いた話であり、当たり前に悲しいし、当たり前に美しい話だ、と率直な感想をもっただけである。それは何も城山夫妻を貶めようというつもりではなく、ともに長い時を歩んできた二人の男女が、いつかは直面せねばならない別れとどう向き合ったかを忌憚なく語ったのが本書であるという意味であり、彼らの生き様を指して、「素晴らしい」と評するのはどこかおこがましいのではないか、そんな気がするのだ。
妻との別れを迎えてどう対処するか、それを乗り越える必要があるかどうかも私には分からない。もちろん社会的、家庭的に責任のある立場だったら、事はそう簡単ではないかもしれないが、老境に達し、子供たちは独立し、社会的にも十分働いた後であるなら、もう己の気持ちに殉じてもいいのではないか、そう思う。妻の死に萎れて一気に朽ち果ててもいいだろうし、もう一度生き直してみようと思い立つのもいい、どんな選択をしようが本人の勝手だし、他人がとやかく言うことではないように思う。
夫婦の関係が千差万別であるのと同じように、連れ合いに先立たれて残されたもう一方がどう生きるかは、夫婦が培ってきた時間が決めるものだと私は思う。私の父が母とどんな時間を過ごしたかは、その後の父の生き方を見てきて何となく分かる気がする。確かに肉体は死によって滅び、二度と触れることはできないが、心の中では思い出として生き続けることができる。父が母との心の対話を今もしているかは分からないが、母の死後20年間毎月命日には必ず墓参していることからも、父の中で母の思い出は生き続けているのだろう・・。それは死という圧倒的な力を持ったものでも消し去ることができないものなのだ。
本書の中に描かれた城山夫妻の姿を私の父母とダブらせてしまうのは少々的外れかもしれないが、ほぼ同じ時代を生きてきた人間として、通底するものがあるように思う。そう考えると、妻が存命中に城山が書いた詩は、同じようなことを私の父も考えたことがあるのだろうか、などと思いを馳せてしまう・・。
「おい」と声をかけようとして やめる。
五十億の中で ただ一人「おい」と呼べるおまえ
律儀に寝息を続けなくては困る
確かに息が止まっては困る。困るが、止まるものは仕方ない。仕方ないから余計悲しい。夫婦の別れとはそんなものかもしれない。
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連休明け・・
今年の私のGWはなかなか楽しかった。その模様はこのブログの記事にしたが、それなりに変化に富んでいてあっという間に3日間が過ぎてしまった。娘と息子が帰ってこなかったのは少しばかり残念だったが、それももう慣れてしまったから、さほど寂しくもなかった。休みといっても結局は酔っ払って転寝を繰り返すだけのことであるから、誰かがいなくても何もしなくても、飲んでしまえば同じことなのかもしれない・・。
だが、休み明けの6日はいつになく億劫だった。1年に連休など3月と5月と8月、そして暮れから正月にかけての計4回しかない私であるから、貴重な休みではあるが、終わってしまえば気持ちを切り替えるのは、今までだったらさほど難しくはなかった。朝起きて、「さあ、今日からまた塾だ!」と気合を入れればそれでもう塾長モードに切り替わるはずなのに、どうしてか今回はそれがうまく行かなかった。何故だろう・・?
休みの3日間、塾舎にほとんど立ち寄らなかった。PCを使うため事務室には入ったが、教室には一切入らなかった。こんなことは今まであまりなかった。だいたい3連休のうち1日は塾で片付けなくてはならない仕事があるのが通例だが、今年はどういうわけだか遣り残したことがまるでなくて、塾に用事がなかったのが大きな原因だろう。また、今年は自分の部屋にもう一台PCを設置したため、このブログを更新するのにわざわざ塾の事務室まで行く必要がなくなったのも、もう1つの要因だろう。そうやって、私の頭の中で塾の占める割合がいつもより少なくなったため、普段の塾長モードに切り替わるのに時間がかかってしまったのではないだろうか?・・そんな分析をしてみたが、それにしてもやはり昨日は、いつもの連休明けよりはるかに気持ちが弛緩していたようだ。というのも・・、
午前中、なんだか気持ちが切り替わらず、「塾の授業をするのが面倒くさいなぁ・・」などと不埒な思いが頭に浮かんで来たので、昼食後、塾バスの給油に行って少しでも塾長モードに切り替えようと思った。連休中はガソリンの安売りをするとスタンドからメールが来ていたので、この機会を利用しない手はないと、億劫な気持ちを振り切って少し離れたスタンドまで出かけた。
5円引きはやはり大きい。一年前比べれば、ガソリン代もずいぶん安くなり楽になったとは思うが、安ければ安い方がいいに決まっている。今ではセルフスタンドばかりで給油しているので、スタンドではスムーズに給油できるようになった。停車して、給油口を開けて、機械にカードを挿入し、油種と給油量を選択し、給油を行う。給油が終わったら、給油口を閉めてカードを抜いて作業完了!、慣れたものだ。最近はスタンドに置いてある濡れタオルを使って窓拭きをする余裕さえできたので、店員がいるスタンドに通っていた頃と比べても何の遜色もない。
「それなら少しでも安いスタンドに行くよなあ・・」
などと一仕事終えた気持ちに満足しながら、バスを走らせ家まで戻ってきた。ところが・・。
バスから降りようとしてカードを入れておく手帳を手に取ったところ、カードが入っていないのに気が付いた。
「あれ?どこにやったんだろう?」
と、助手席の上を探したが見つからない・・。えっ?カードを抜き忘れたのか?うーん・・、そう言えば抜いた記憶はない。一連の手順の中で、レシートは忘れずに抜いたから手帳に挟んであったが、カードがないのはどうしてなんだろう?もしかして抜き忘れたんだろうか?
慌ててレシートに印刷されているスタンドの電話番号に電話してみた。電話に出た女の人に、事情を手短かに話したら、「探してきます」と言って電話を保留した。メロディーが流れるがなかなか戻ってこない。ないのかな、ないとヤバイよな、あのカードにはVISAも付いているから・・。ないならすぐに利用停止の電話をしなくちゃいけない・・。しまったなあ・・、面倒だなあ・・、いやだな・・。などと思いながら、もう一度運転席から助手席を調べてみた・・。すると・・、
「あった!」
助手席の横からずり落ちて、助手席とその横にあるコンソールボックスの間に入り込んでいた。何でこんなところに?とは思ったが、とにかくよかった、助かった・・。
ほっとしていたら、電話の向こうで「見つかりませんが・・」と女の人がすまなさそうに言う声が聞こえた。
「すみません、ありました。ご迷惑かけました、ありがとうございました」と余りにバツが悪くて早口でお礼を言って電話を切ってしまったが、本当に申し訳ないことをしてしまった。恥ずかしい・・。
このバカさ加減にやっと目が覚めたのか、その後の塾はいつもどおりに張り切ることができた。よかったと言うか、なんと言うか・・。
だが、休み明けの6日はいつになく億劫だった。1年に連休など3月と5月と8月、そして暮れから正月にかけての計4回しかない私であるから、貴重な休みではあるが、終わってしまえば気持ちを切り替えるのは、今までだったらさほど難しくはなかった。朝起きて、「さあ、今日からまた塾だ!」と気合を入れればそれでもう塾長モードに切り替わるはずなのに、どうしてか今回はそれがうまく行かなかった。何故だろう・・?
休みの3日間、塾舎にほとんど立ち寄らなかった。PCを使うため事務室には入ったが、教室には一切入らなかった。こんなことは今まであまりなかった。だいたい3連休のうち1日は塾で片付けなくてはならない仕事があるのが通例だが、今年はどういうわけだか遣り残したことがまるでなくて、塾に用事がなかったのが大きな原因だろう。また、今年は自分の部屋にもう一台PCを設置したため、このブログを更新するのにわざわざ塾の事務室まで行く必要がなくなったのも、もう1つの要因だろう。そうやって、私の頭の中で塾の占める割合がいつもより少なくなったため、普段の塾長モードに切り替わるのに時間がかかってしまったのではないだろうか?・・そんな分析をしてみたが、それにしてもやはり昨日は、いつもの連休明けよりはるかに気持ちが弛緩していたようだ。というのも・・、
午前中、なんだか気持ちが切り替わらず、「塾の授業をするのが面倒くさいなぁ・・」などと不埒な思いが頭に浮かんで来たので、昼食後、塾バスの給油に行って少しでも塾長モードに切り替えようと思った。連休中はガソリンの安売りをするとスタンドからメールが来ていたので、この機会を利用しない手はないと、億劫な気持ちを振り切って少し離れたスタンドまで出かけた。
5円引きはやはり大きい。一年前比べれば、ガソリン代もずいぶん安くなり楽になったとは思うが、安ければ安い方がいいに決まっている。今ではセルフスタンドばかりで給油しているので、スタンドではスムーズに給油できるようになった。停車して、給油口を開けて、機械にカードを挿入し、油種と給油量を選択し、給油を行う。給油が終わったら、給油口を閉めてカードを抜いて作業完了!、慣れたものだ。最近はスタンドに置いてある濡れタオルを使って窓拭きをする余裕さえできたので、店員がいるスタンドに通っていた頃と比べても何の遜色もない。
「それなら少しでも安いスタンドに行くよなあ・・」
などと一仕事終えた気持ちに満足しながら、バスを走らせ家まで戻ってきた。ところが・・。
バスから降りようとしてカードを入れておく手帳を手に取ったところ、カードが入っていないのに気が付いた。
「あれ?どこにやったんだろう?」
と、助手席の上を探したが見つからない・・。えっ?カードを抜き忘れたのか?うーん・・、そう言えば抜いた記憶はない。一連の手順の中で、レシートは忘れずに抜いたから手帳に挟んであったが、カードがないのはどうしてなんだろう?もしかして抜き忘れたんだろうか?
慌ててレシートに印刷されているスタンドの電話番号に電話してみた。電話に出た女の人に、事情を手短かに話したら、「探してきます」と言って電話を保留した。メロディーが流れるがなかなか戻ってこない。ないのかな、ないとヤバイよな、あのカードにはVISAも付いているから・・。ないならすぐに利用停止の電話をしなくちゃいけない・・。しまったなあ・・、面倒だなあ・・、いやだな・・。などと思いながら、もう一度運転席から助手席を調べてみた・・。すると・・、
「あった!」
助手席の横からずり落ちて、助手席とその横にあるコンソールボックスの間に入り込んでいた。何でこんなところに?とは思ったが、とにかくよかった、助かった・・。
ほっとしていたら、電話の向こうで「見つかりませんが・・」と女の人がすまなさそうに言う声が聞こえた。
「すみません、ありました。ご迷惑かけました、ありがとうございました」と余りにバツが悪くて早口でお礼を言って電話を切ってしまったが、本当に申し訳ないことをしてしまった。恥ずかしい・・。
このバカさ加減にやっと目が覚めたのか、その後の塾はいつもどおりに張り切ることができた。よかったと言うか、なんと言うか・・。
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GW最終日
昨日は私のGW最終日、家でおとなしくしていようと思っていたら、弟家族が遊びに来てくれた。
「ちょうどいい、あの『炉ばた大将』が使える!」

これは、お祝いのお返しとしてもらったカタログから選んだ商品だが、なるべく早く試してみたいと思っていただけに好都合だった。子供たちもこれでBBQっぽいことをしたら面白がってくれるのではないか、そんな思いで買い出しにも念を入れた。
肉はもちろん、鮎やさざえ・えびなど魚介類も買い集めて、弟たちの訪問を待ち受けた。あいにくの雨模様だったため、庭で飲み食いするのは断念して、家の台所で楽しむことにした。
4時過ぎにやって来た弟家族はやはり賑やかだ。GWと言えども帰省しない子供たちばかりの我が家では、久しぶりの賑わいだ。子供の歓声は家の中を明るくするし、元気になれる。子供たちとはしゃいだ私の声は少しばかり嗄れてしまった・・。
しばらく遊んだあとで、「炉ばた焼き大将」の登場だ。

これを見て、義妹が「すごい!」と叫んだが、それもあながちお世辞とは受け取れないほど、なかなかいい感じだ。できればもう一回りか二回り大きいといいな、とないものねだりも浮かんだが、そんな贅沢もしばらくしたら忘れてしまうほど、火力もなかなか強く、肉も魚もおいしく焼けた。これはいい!!
食事が終って子供たちと、絵を描いたり、野球をやったり、しばらく腹ごなしにいろいろ遊んだ。甥のあーちゃんは野球がやりたいらしく、夢は巨人の選手として活躍すること。全身運動神経の塊のような子供で、飛んだり跳ねたりする敏捷さは将来の夢を叶えてくれそうもする、などと伯父バカな私は思ってしまう。小笠原選手のファンらしく、背番号2のユニフォームを持っていると自慢していた。
「巨人の背番号2は元木大介だろう」
などと思わず言ってしまうほど最近の巨人の事情に疎い私では、坂本選手のファンである姪のひまちゃんにも馬鹿にされてしまったが・・。

(左はひまちゃんの描いた「柏餅」、右はあーちゃんの描いた「ブルドーザー」)
さあ、これで私のGWは終わった。
「また明日から塾を頑張ろう!!」
弟家族を見送りながらそう思った私ではあるが、家に戻って風呂に入ったらその後すぐに眠ってしまった。GWは3日間、夕方からビールを飲んでは酔っ払い、すぐにだらしくなく眠ってしまうことの繰り返しだった。なんだか大事な時間を無駄使いしたような気もするが、もうこうやってしか休みを過ごせなくなってしまったから、それも仕方のないことだ。
「気持ちを切り替えて頑張るしかない!」
そんなことをリトルワールドのネパール寺院前の売店で買った天珠に誓った私であった・・。

「ちょうどいい、あの『炉ばた大将』が使える!」

これは、お祝いのお返しとしてもらったカタログから選んだ商品だが、なるべく早く試してみたいと思っていただけに好都合だった。子供たちもこれでBBQっぽいことをしたら面白がってくれるのではないか、そんな思いで買い出しにも念を入れた。
肉はもちろん、鮎やさざえ・えびなど魚介類も買い集めて、弟たちの訪問を待ち受けた。あいにくの雨模様だったため、庭で飲み食いするのは断念して、家の台所で楽しむことにした。
4時過ぎにやって来た弟家族はやはり賑やかだ。GWと言えども帰省しない子供たちばかりの我が家では、久しぶりの賑わいだ。子供の歓声は家の中を明るくするし、元気になれる。子供たちとはしゃいだ私の声は少しばかり嗄れてしまった・・。
しばらく遊んだあとで、「炉ばた焼き大将」の登場だ。



これを見て、義妹が「すごい!」と叫んだが、それもあながちお世辞とは受け取れないほど、なかなかいい感じだ。できればもう一回りか二回り大きいといいな、とないものねだりも浮かんだが、そんな贅沢もしばらくしたら忘れてしまうほど、火力もなかなか強く、肉も魚もおいしく焼けた。これはいい!!
食事が終って子供たちと、絵を描いたり、野球をやったり、しばらく腹ごなしにいろいろ遊んだ。甥のあーちゃんは野球がやりたいらしく、夢は巨人の選手として活躍すること。全身運動神経の塊のような子供で、飛んだり跳ねたりする敏捷さは将来の夢を叶えてくれそうもする、などと伯父バカな私は思ってしまう。小笠原選手のファンらしく、背番号2のユニフォームを持っていると自慢していた。
「巨人の背番号2は元木大介だろう」
などと思わず言ってしまうほど最近の巨人の事情に疎い私では、坂本選手のファンである姪のひまちゃんにも馬鹿にされてしまったが・・。


(左はひまちゃんの描いた「柏餅」、右はあーちゃんの描いた「ブルドーザー」)
さあ、これで私のGWは終わった。
「また明日から塾を頑張ろう!!」
弟家族を見送りながらそう思った私ではあるが、家に戻って風呂に入ったらその後すぐに眠ってしまった。GWは3日間、夕方からビールを飲んでは酔っ払い、すぐにだらしくなく眠ってしまうことの繰り返しだった。なんだか大事な時間を無駄使いしたような気もするが、もうこうやってしか休みを過ごせなくなってしまったから、それも仕方のないことだ。
「気持ちを切り替えて頑張るしかない!」
そんなことをリトルワールドのネパール寺院前の売店で買った天珠に誓った私であった・・。

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リトルワールド
犬山にある野外民族博物館「リトルワールド」に行った。「1周2.5kmの周遊道路に沿って、世界の民家を移築・復元しています。異国情緒いっぱいの園内で見て、食べて、体験する一日世界旅行をお楽しみください」と入り口でもらったパンフレットに書いてあった。私は20年以上前、まだこのリトルワールドが開園してさほど時間がたっていない頃に行った記憶がある。その時はまだ展示施設が少なく、余り面白くなかった。だが、その後徐々に施設が整えられ、結構楽しいという話を塾生から聞いていたので、もう一度行ってみたいな、と少し以前から思っていた。連休2日目をどこでどう過ごそうかと考えたとき、「リトルワールドに行こう」と閃いたのもそうした思いがずっとあったからだろう。
さすがにゴールデンウィーク。車を停めるにもかなり時間がかかったし、園内も大勢の人々で溢れていた。しかし、なんと言っても敷地が広大なだけに展示施設を巡るのにさほど混雑を感じることはなかった。天気も曇天で、ぶらぶら歩きながら行くには暑くもなく寒くもない、ちょうどいい感じだったため、調子にのって何枚も写真を撮ってしまった。。
(1)に収められた写真は、順に、「沖縄県の家」、「北海道アイヌの家」、「台湾の農家」、「北アメリカ・インディアンとナバホの家」、「アラスカ・トリンギッドの家」、「ペルー・大農領主の家」、「インドネシア・ミクロネシア・ポリネシアの家」、「ドイツ・バイエルン州の村」、「フランス・アルザス地方の家」、「イタリア・アルベロッペの家」を写したもの。
(2)に収められた写真は、順に、「テント村(北アメリカ・中国・モロッコ・スウェーデン・ケニア・シリア)」、「タンザニア・ニャキュウサの家」、「南アフリカ・ンデベレの家」、「西アフリカカッセーナの家」、「ネパール仏教寺院」、「インド・ケララ州の村」、「タイの家」、「韓国の家」、「山形県・月山山麓の家」、そして野外ホールで演じられていた「スーパー・エアリアル・サーカス」の一部を写したもの。
さすがにこれだけ見学すると、自分が日本にいないような錯覚も持ってしまうが、リトルワールドの楽しみ方はこうした建物を巡るだけではない。幾つかの場所でその国の民族衣装を着ることができ、多くの人が利用していた。その様子も許可をもらって写真に撮ってみた。
台湾 インドネシア フランス(アルザス)

イタリア インド 南アフリカ

韓国

さらには各地の料理が供されていた。あれこれ食べていたら、満腹になってしまったが、その中でも一番すごかったのは妻が食べたワニとダチョウの串焼き・・。白いのがワニで赤いのがダチョウの肉。

結構おいしいらしい・・。
さすがにゴールデンウィーク。車を停めるにもかなり時間がかかったし、園内も大勢の人々で溢れていた。しかし、なんと言っても敷地が広大なだけに展示施設を巡るのにさほど混雑を感じることはなかった。天気も曇天で、ぶらぶら歩きながら行くには暑くもなく寒くもない、ちょうどいい感じだったため、調子にのって何枚も写真を撮ってしまった。。
(1)に収められた写真は、順に、「沖縄県の家」、「北海道アイヌの家」、「台湾の農家」、「北アメリカ・インディアンとナバホの家」、「アラスカ・トリンギッドの家」、「ペルー・大農領主の家」、「インドネシア・ミクロネシア・ポリネシアの家」、「ドイツ・バイエルン州の村」、「フランス・アルザス地方の家」、「イタリア・アルベロッペの家」を写したもの。
(2)に収められた写真は、順に、「テント村(北アメリカ・中国・モロッコ・スウェーデン・ケニア・シリア)」、「タンザニア・ニャキュウサの家」、「南アフリカ・ンデベレの家」、「西アフリカカッセーナの家」、「ネパール仏教寺院」、「インド・ケララ州の村」、「タイの家」、「韓国の家」、「山形県・月山山麓の家」、そして野外ホールで演じられていた「スーパー・エアリアル・サーカス」の一部を写したもの。
さすがにこれだけ見学すると、自分が日本にいないような錯覚も持ってしまうが、リトルワールドの楽しみ方はこうした建物を巡るだけではない。幾つかの場所でその国の民族衣装を着ることができ、多くの人が利用していた。その様子も許可をもらって写真に撮ってみた。
台湾 インドネシア フランス(アルザス)



イタリア インド 南アフリカ



韓国

さらには各地の料理が供されていた。あれこれ食べていたら、満腹になってしまったが、その中でも一番すごかったのは妻が食べたワニとダチョウの串焼き・・。白いのがワニで赤いのがダチョウの肉。

結構おいしいらしい・・。
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「クローズZERO Ⅱ」
私の連休は3・4・5の3日間。その貴重な初日に選んだのは、「クローズZERO Ⅱ」、その選択に間違いはなかった。
とにかく疾走感があるのがいい。映画が始まって5分もすれば、話の大筋は見えてしまう。だが、そのエンディングに向かって、登場人物が突っ走る躍動感がなんとも言えぬ爽快感を与えてくれる。小栗旬がかっこいいとか、山田孝之の存在感がすごいとか、そんなことなどどうでもいいほど、映画全体の高揚感が私を惹き付けた。息もつかせぬ展開とはまさしくこういうことを言うのか、そんな感慨さえ催させる映画だった。
PG12に指定されているように、全編殴り合いの連続だ。殴って蹴って頭突きをして・・、役者はそれだけしかしていないようにさえ思える。だが、それだからいい。それだから見ていられる。刃物や飛び道具を使うものは、弱者として徹底的に排除される。そんな闘う男としてのプライドが漲る者たちのせめぎ合いは見ていて清々しい。思ってみれば、黒木メイサ以外に女性の主だった人物は登場しない。男ばかりだ。しかし、不思議なほど暑苦しさを感じない。どうしてだろう・・。
見終わってから、パンフレットを買った。そんなことは初めてだが、役者がいったい誰なのか、小栗と山田以外はほとんど分からなかったからだ。芸能通の妻でさえ三浦春馬以外は分からなかった程だ。
小栗旬はやっぱりカッコイイ。長身で細くてギラギラしていればかっこいいに決まっている。しかし敵に向かって跳んでいく蹴りはものすごい。あんな跳び蹴りができたらなあ・・、などと50のオヤジが羨ましく思っても仕方ないが、とにかくカッコイイ。「ムサシ」での小次郎役もなかなかのもののようだが、普段のインタビューで見せるシャイな様子などまるで感じさせない演技は、さすがだ。
山田孝之は「鴨川ホルモー」の安倍を演じたのと同じ人物だとは思えない。どちらがこれからの彼の進む道に近いのか分からないが、演技の幅が広がってきたのは彼にとって喜ばしいことだろう。ただ、ハードボイルドを演じるには少々身長が足りない・・。
しかし、この映画で上記の二人と引けを取らないほどの魅力を感じさせてくれたのは、小栗旬の敵役を演じた金子ノブアキだ。

ムーディー勝山か?と思ってしまうほど風貌が似ている。1981年生まれでロックバンドRIZE、DADASのドラマーとしても知られているというが、私には何のことやらさっぱり分からない。役者として出演作もいくつかあるものの、私にはまったく知らない役者としてかなりのインパクトがあった。パンフレットの中に彼のインタビューがん載っていて、今後の活動に関して、
「欲が出ましたね。いろんなことをやりたいって思うようになったし。表現するというのは大事だしステキなことだと。(中略)本当にすべての経験が役に立ったと思うし、人生はもちろんまだまだ続くんですけど、『クローズZERO Ⅱ』は自分の中で分岐点になるんじゃないかと思います。間違いなく自分の代表作ですね」
と述べている。まだ30才にもならない男が、代表作などと言ってしまうのはどうかと思うが、それだけ思い入れの深い作品だと解釈するべきだろう。
原作の漫画を読んでいない私にはこの「クローズZERO」の意味が前作からずっと分からなかった。だが、パンフレットの裏表紙に書かれた英文が何となくその意味を教えてくれた気がする。
”TO FLY HIGHER THAN EVER, NEVER LOOK BACK BEFORE YOU JUMP.
TO BE BLACK AS CROWS, FORGET EVERYTHING AND START AGAIN FROM ZERO.
YOU'VE GOT NOTHING Ⅱ LOSE.”
とにかく疾走感があるのがいい。映画が始まって5分もすれば、話の大筋は見えてしまう。だが、そのエンディングに向かって、登場人物が突っ走る躍動感がなんとも言えぬ爽快感を与えてくれる。小栗旬がかっこいいとか、山田孝之の存在感がすごいとか、そんなことなどどうでもいいほど、映画全体の高揚感が私を惹き付けた。息もつかせぬ展開とはまさしくこういうことを言うのか、そんな感慨さえ催させる映画だった。
PG12に指定されているように、全編殴り合いの連続だ。殴って蹴って頭突きをして・・、役者はそれだけしかしていないようにさえ思える。だが、それだからいい。それだから見ていられる。刃物や飛び道具を使うものは、弱者として徹底的に排除される。そんな闘う男としてのプライドが漲る者たちのせめぎ合いは見ていて清々しい。思ってみれば、黒木メイサ以外に女性の主だった人物は登場しない。男ばかりだ。しかし、不思議なほど暑苦しさを感じない。どうしてだろう・・。
見終わってから、パンフレットを買った。そんなことは初めてだが、役者がいったい誰なのか、小栗と山田以外はほとんど分からなかったからだ。芸能通の妻でさえ三浦春馬以外は分からなかった程だ。
小栗旬はやっぱりカッコイイ。長身で細くてギラギラしていればかっこいいに決まっている。しかし敵に向かって跳んでいく蹴りはものすごい。あんな跳び蹴りができたらなあ・・、などと50のオヤジが羨ましく思っても仕方ないが、とにかくカッコイイ。「ムサシ」での小次郎役もなかなかのもののようだが、普段のインタビューで見せるシャイな様子などまるで感じさせない演技は、さすがだ。
山田孝之は「鴨川ホルモー」の安倍を演じたのと同じ人物だとは思えない。どちらがこれからの彼の進む道に近いのか分からないが、演技の幅が広がってきたのは彼にとって喜ばしいことだろう。ただ、ハードボイルドを演じるには少々身長が足りない・・。
しかし、この映画で上記の二人と引けを取らないほどの魅力を感じさせてくれたのは、小栗旬の敵役を演じた金子ノブアキだ。

ムーディー勝山か?と思ってしまうほど風貌が似ている。1981年生まれでロックバンドRIZE、DADASのドラマーとしても知られているというが、私には何のことやらさっぱり分からない。役者として出演作もいくつかあるものの、私にはまったく知らない役者としてかなりのインパクトがあった。パンフレットの中に彼のインタビューがん載っていて、今後の活動に関して、
「欲が出ましたね。いろんなことをやりたいって思うようになったし。表現するというのは大事だしステキなことだと。(中略)本当にすべての経験が役に立ったと思うし、人生はもちろんまだまだ続くんですけど、『クローズZERO Ⅱ』は自分の中で分岐点になるんじゃないかと思います。間違いなく自分の代表作ですね」
と述べている。まだ30才にもならない男が、代表作などと言ってしまうのはどうかと思うが、それだけ思い入れの深い作品だと解釈するべきだろう。
原作の漫画を読んでいない私にはこの「クローズZERO」の意味が前作からずっと分からなかった。だが、パンフレットの裏表紙に書かれた英文が何となくその意味を教えてくれた気がする。
”TO FLY HIGHER THAN EVER, NEVER LOOK BACK BEFORE YOU JUMP.
TO BE BLACK AS CROWS, FORGET EVERYTHING AND START AGAIN FROM ZERO.
YOU'VE GOT NOTHING Ⅱ LOSE.”
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憲法記念日に
昨日の毎日新聞朝刊の「ひと」欄に、「憲法前文をお国言葉に訳して」とネット上で呼びかけている山本明紀さんが紹介されていた。全国から多くの「翻訳」が寄せられているというが、実際に彼女のHPを覗いてみたら、各地の方言で「翻訳」された憲法前文がいくつも紹介されていた。その地方独特の言い回しを比べてみるのも楽しいが、われわれの生活を守る最高法規であるのに、近寄りがたいイメージをともすれば持ってしまいがちな憲法を身近な存在として感じるには、かなり有意義な運動であると思った。高邁な理想を掲げた日本国憲法の前文を読み通した人は、果たして全国民の何%ほどだろうか。日常使うことの少ない文言が多く含まれていて、現代人にはとっつきにくいことも確かだろう。だが、それを噛み砕いて、自分たちが普段使っている言葉で語られているのなら、そのエッセンスを読み取ることはさほど難しくはなくなるだろう。憲法論議をタブー視することなく、混迷を深める現代を生きる私たちの平和で豊かな暮らしを守る最後かつ最大の砦たる憲法を、命を持った有機体とみなしてより良いものにしていく議論は必要だと私は常々思っている。そうした議論が国民の間にも浸透していくようにするには、やはり憲法の条文を国民一人一人がきちんと読み通すことが何よりも大切だろう。そのためにもこの「前文をお国言葉になおす」運動が広がり、憲法を読みこなす人々が増えてくればいいなと思う。
そこで私も、普段自分が使っている言葉や言い回しで、前文を「訳して」みようと思う。
日本国民はよぉ、ちゃんと選挙された国会での代表者を通して行動してよぉ、
俺らぁと俺らぁの子孫のために、色んな国の人たちと仲よーやった結果もらえるもんと、
自由が俺らぁの国全体に持ってきてちょーす恵みとをしっかり受け取ってよぉ、 政府のやらっせることで、まぁ1回戦争でひどぉ目にあったりせんようにするって決心してよぉ、
ここに政治の中心が国民にあるって宣言し、この憲法を誰にも文句を言わせんもんにするでの、ええかん。
もともと、国の政治ちゅうのは、国民がぴしっとした気持ちで任せたもんやで、
その権威は国民から来とるし、
その権力は国民の代表者が使うし、
その福利は国民が楽しむんやわ。
これはよぉ、人類どこでも通用する決まりやし、
この憲法はこういう決まりに基づいとるものなんやわ。
ほんやで俺らぁは、これに逆らうどんな憲法も・法律も・天皇からの命令も絶対に受け入れんでよぉ。
日本国民は、ずっと平和が続くのを願っとるし、
人間お互いの関係を支配しとる志の高っかぁ理想を心の奥深くに持っとるもんで、
平和を愛しとる色んな国の人たちの、正しく公平で信じれる心を信頼してよぉ、
俺らぁが安全に暮らぁていこうって決めたんやわ。
俺らぁはよぉ、ずっと平和を保ってって、やりたぁよーにやられたり、奴隷みたぁに扱われたり、抑え付けられて窮屈にさせられたりするのをこの世からずっとなあよーにしたろうと頑張っとる国際社会の中で、カッコええ地位に立ちたぁと思っとる。
俺らぁは、全世界の国民が同じよーによぉ、恐(おそ)がいことや物がないなんちゅうことがのうなって、
平和の中で生きてく権利を持っとるちゅうことを確かめるでのぉ。
日本国民はよぉ、国家の恥っさらしにならんよーに、
思いっきしこの立派な理想と目的をやり遂げようと誓うでの、絶対誓うでの!!
急いで書いたため、余りいい出来ではない(しかし、汚い言葉だなあ・・)。時間があったら少しずつ直していきたいと思っているが、とりあえずはこのまま。
だが、こうやって実際に試してみると、「本当に憲法前文て素晴らしいな」と実感できた。9条でも試してみたい・・。
そこで私も、普段自分が使っている言葉や言い回しで、前文を「訳して」みようと思う。
日本国民はよぉ、ちゃんと選挙された国会での代表者を通して行動してよぉ、
俺らぁと俺らぁの子孫のために、色んな国の人たちと仲よーやった結果もらえるもんと、
自由が俺らぁの国全体に持ってきてちょーす恵みとをしっかり受け取ってよぉ、 政府のやらっせることで、まぁ1回戦争でひどぉ目にあったりせんようにするって決心してよぉ、
ここに政治の中心が国民にあるって宣言し、この憲法を誰にも文句を言わせんもんにするでの、ええかん。
もともと、国の政治ちゅうのは、国民がぴしっとした気持ちで任せたもんやで、
その権威は国民から来とるし、
その権力は国民の代表者が使うし、
その福利は国民が楽しむんやわ。
これはよぉ、人類どこでも通用する決まりやし、
この憲法はこういう決まりに基づいとるものなんやわ。
ほんやで俺らぁは、これに逆らうどんな憲法も・法律も・天皇からの命令も絶対に受け入れんでよぉ。
日本国民は、ずっと平和が続くのを願っとるし、
人間お互いの関係を支配しとる志の高っかぁ理想を心の奥深くに持っとるもんで、
平和を愛しとる色んな国の人たちの、正しく公平で信じれる心を信頼してよぉ、
俺らぁが安全に暮らぁていこうって決めたんやわ。
俺らぁはよぉ、ずっと平和を保ってって、やりたぁよーにやられたり、奴隷みたぁに扱われたり、抑え付けられて窮屈にさせられたりするのをこの世からずっとなあよーにしたろうと頑張っとる国際社会の中で、カッコええ地位に立ちたぁと思っとる。
俺らぁは、全世界の国民が同じよーによぉ、恐(おそ)がいことや物がないなんちゅうことがのうなって、
平和の中で生きてく権利を持っとるちゅうことを確かめるでのぉ。
日本国民はよぉ、国家の恥っさらしにならんよーに、
思いっきしこの立派な理想と目的をやり遂げようと誓うでの、絶対誓うでの!!
急いで書いたため、余りいい出来ではない(しかし、汚い言葉だなあ・・)。時間があったら少しずつ直していきたいと思っているが、とりあえずはこのまま。
だが、こうやって実際に試してみると、「本当に憲法前文て素晴らしいな」と実感できた。9条でも試してみたい・・。
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USBメモリー
私のPCは元々英語や数学の問題集を作成するために、いわばワープロの代わりに買ったものだ。今ではネットにつなぐのが主な用途になってしまっているが、やはり新学期はワープロの役目をすることが多く、今年もなかなかの活躍をしてくれた。しかし、このPCも7年近く使っているから、いつ何時壊れるかもしれない。バックアップはとってあるが、もうだいぶ前のもので、問題集の最新版はバックアップがとっていないことになる。もし、現時点で壊れてしまったら、かなり厄介なことになるので、少しでも早くバックアップをとり、同時に新しく買ったPCにもデータを移しておいた方がいいだろうと思い立った。以前はCDにバックアップをとったので、今回もそうすればいいのかな、とは思ったが、困ったことにこのPCはCDドライブが用を成さない。それが原因で新しいPCを買ったのだから、分かりきったことではあったが、それなら新しくバックアップをとるにはどうしたらいいのだろう・・。しばらくの間一人で悩んでいた。
だが、下手の考え休むに似たり、そんなことは妻に聞いたらいとも簡単に解決してしまった。
「USBメモリーを使えばいいじゃん」
なるほど、その手があったか・・。
USBメモリーというものの存在は知っていた。PCのUSBコンセントに差し込むだけでデータを写したり、取り入れたりできる、それくらいの知識は持っていた。だが、一度も使ったことがなかったので、USBメモリーでバックアップをとればいい、ということまで頭が回らなかった。まったく妻の機転には恐れ入る・・。
で、「カウネット」で注文してみた。「Buffalo」の2GBのUSBメモリー。

わずか5cmほどの小さな物体、こんなものの中に2GBのデータが入るのか?(と言っても、2GBとがどれだけのものなのかよく分からないが・・)と心配になるくらいちっぽけだ。私がこのPCを買ったときは、ワープロのフロッピィーディスクが使える機能の付いたノートPCはほとんどなくなっていて、当時一番価格の高かったこのPCを買わざるを得なかった。その頃すでにCDが主流になっていたが、今やその性能をはるかに凌ぎ、しかも小型化されたUSBメモリーなるものが盛んに使われるようになったのだから、科学の進歩には驚かされるばかりだ。この先いったいどこまで進んでいくのか、私ではとても想像できない。
私はワードを使っていない。ワープロソフトのオアシスをインストールして使っているが、手元にあるのは2002年版のもので古い・・。しかし、新しいバージョンを買う気にもならないので、そのまま新しいPCにインストールした。
古いPCからデータをUSBメモリーに記憶させるのは簡単だった。しかし、新しいPCの中にUSBメモリーからのデータを移すのには結構苦労した。どういうわけだか、古いPCでのオアシスと新しいPCでのオアシスではスタート画面が違う。新しいPCのOSが WINDOWS VISTA だからなのかもしれないが、勝手が違ってずいぶん苦労した。それもフォルダとファイルの区別がまだ十分にできない私だから仕方のないことなのだろうが・・。
高校生でPCに詳しい男の子に
「USBメモリーって簡単にPCに抜き挿ししてもいいものなの?」
と訊いたら、少し呆れた顔をして
「ダメですよ、データが飛んじゃいますよ、そんなことしてたら。画面の一番下のところにUSBのアイコンが出ていますから、そこをクリックして「USBメモリーをぬけます」というようなメッセージが出てから抜くようにしてください」
と教えてくれた。やはり機械にはきちんとしたマニュアルが存在しているものだ。驚き感心したが、PC関係はやはり私の手には負えないようだ・・。
だが、下手の考え休むに似たり、そんなことは妻に聞いたらいとも簡単に解決してしまった。
「USBメモリーを使えばいいじゃん」
なるほど、その手があったか・・。
USBメモリーというものの存在は知っていた。PCのUSBコンセントに差し込むだけでデータを写したり、取り入れたりできる、それくらいの知識は持っていた。だが、一度も使ったことがなかったので、USBメモリーでバックアップをとればいい、ということまで頭が回らなかった。まったく妻の機転には恐れ入る・・。
で、「カウネット」で注文してみた。「Buffalo」の2GBのUSBメモリー。

わずか5cmほどの小さな物体、こんなものの中に2GBのデータが入るのか?(と言っても、2GBとがどれだけのものなのかよく分からないが・・)と心配になるくらいちっぽけだ。私がこのPCを買ったときは、ワープロのフロッピィーディスクが使える機能の付いたノートPCはほとんどなくなっていて、当時一番価格の高かったこのPCを買わざるを得なかった。その頃すでにCDが主流になっていたが、今やその性能をはるかに凌ぎ、しかも小型化されたUSBメモリーなるものが盛んに使われるようになったのだから、科学の進歩には驚かされるばかりだ。この先いったいどこまで進んでいくのか、私ではとても想像できない。
私はワードを使っていない。ワープロソフトのオアシスをインストールして使っているが、手元にあるのは2002年版のもので古い・・。しかし、新しいバージョンを買う気にもならないので、そのまま新しいPCにインストールした。
古いPCからデータをUSBメモリーに記憶させるのは簡単だった。しかし、新しいPCの中にUSBメモリーからのデータを移すのには結構苦労した。どういうわけだか、古いPCでのオアシスと新しいPCでのオアシスではスタート画面が違う。新しいPCのOSが WINDOWS VISTA だからなのかもしれないが、勝手が違ってずいぶん苦労した。それもフォルダとファイルの区別がまだ十分にできない私だから仕方のないことなのだろうが・・。
高校生でPCに詳しい男の子に
「USBメモリーって簡単にPCに抜き挿ししてもいいものなの?」
と訊いたら、少し呆れた顔をして
「ダメですよ、データが飛んじゃいますよ、そんなことしてたら。画面の一番下のところにUSBのアイコンが出ていますから、そこをクリックして「USBメモリーをぬけます」というようなメッセージが出てから抜くようにしてください」
と教えてくれた。やはり機械にはきちんとしたマニュアルが存在しているものだ。驚き感心したが、PC関係はやはり私の手には負えないようだ・・。
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